日本一周by自転車

定年退職を機に、「もっと日本のことを知りたい」との思いから日本一周に挑戦。
4,800kmを走ったところで事故にあい負傷。
一度、心に決めた目標は絶対に達成する!!
2年後、「北海道開拓の歴史をたどる旅」をテーマとして再チャレンジ!
2008年10月遂に日本一周を達成。
夢はまだ続く。
新しい目標は、自転車で旅をしながら郷土の歴史を調べる。
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2017年十勝の旅(その3)

2017年十勝の旅(その3)
【利別川沿いの入植地を走る】


「8月24日(火)」
々堝阿粒詰廖
 幕別〜R242〜池田〜本別〜足寄〜陸別広
⊇佝時刻トイピカル北帯広YH: 08:10
L榲地到着時刻:15:50
そ蒜顱 オーロラハウス
チ行距離:99km
ε係:曇り
旅の記録
 トイピカル北帯広YHでも印象的な出会いがあった。宿泊客は多くいるのに何故か夕食、朝食をとる人は数人だけ、夕食は4人、朝食はその4人と、3人父子?であった。そのため、夕食、朝食を共にした4人は話が弾んだ、プライベートな話はしなかったが、私を含めそれぞれが変わった人であった。一人は70歳前の長髪の自由人で、一年の殆んどを旅行に費やしていると言う大阪の人。一見、川端康成風の容姿で、今回の旅行の目的は8月22日に増毛・留萌に行くこと。その理由は、昭和20年8月22日が留萌沖でソ連の潜水艦に樺太から引揚者を載せた三隻の船が攻撃を受け多くの殉職者を出した「三船殉難事件」があった場所であったからであり、その一年前に沖縄から学徒をのせた疎開船「対馬丸」が撃沈された日と重なると言うことで、今回の旅の目的としたと話していた。こんな旅をしている人に会ったのは初めてで中々興味深い。もう二人は千葉からきたという母娘?帯広に一週間滞在すると言う。このYHをでた後は、「糠平」のYHに2泊、「八千代」のYHに2泊すると言う。特に観光地を巡るとかという考えはないらしい。お母さん?は聴き手上手で、我々初老の男性二人の話を熱心に聞いていた。そして、娘さん?は、二人の話を興味深そうに聞き入っていた。
 YHは宿泊した人達と交流するには最適の宿で、そんなことが理由で宿泊し食事を共に旅人も多いのだろう。
 7時からの朝食を済ませ、準備を整えたあと08:10に出発をした。
 今日の天気は曇りベースで、暑くもなく、寒くもなく、走行には不安材料な何もない。十勝川温泉から池田に入り、利別川沿いを北上した、途中高島にある池田町立郷土資料館に立ち寄った。
 池田町の高島地区は、横浜の実業家である高島嘉右衛門が332万坪の未開の原野を買い付け、小作人を入植させた地である。この郷土資料館にはそれらに関する資料が展示してあり、興味を持って入館した。

 

JUGEMテーマ:旅行

「利別川」

 「池田町立郷土資料館」

 「池田町立高島中学校の門柱」

 「高島の農場の風景」

 

 次に訪れたのは本別町の郷土資料館である。こちらの方は、ネットでバロン西こと(ロサンゼルスオリンピックの馬術で金メダルを受賞し、硫黄島で戦死した西中佐)や戦前本別にあった軍馬供給部に関する特別展を開催していたので立ち寄った。貴重な資料が沢山展示してあり1時間ほど興味深く見学させてもらった。
 帰り際、本別町の歴史に詳しい館長さんにも挨拶をすることが出来た。その時、館を案内しますかと話されたが、これから、50kmほど走り陸別に15時30分頃には到着しなければならないのでと、「残念ながら」との言葉を添えお断りをした。そうしたら、関係する資料を郵送しますというありがたい言葉をいただき感謝感激した。

 「本別町歴史民俗資料館」

 「西中佐」

 

 館を出た後は、亡くなった馬を慰霊する忠魂の碑に参拝し、軍馬供給部十勝支所のあった現在の北海道立農業学校、それと、軍馬を送り出した旧仙美利駅に立ち寄り、足寄〜陸別へ向かった。


 「軍馬忠魂の碑」

 「北海道立農業学校」

 「軍馬供給部で使っていた古い建物?」

 「仙美利駅」

 

 通過しただけが足寄は松山千春の故郷である。走りながら千春の歌を口ずさんだ。
陸別の郷土資料館のある旧陸別駅舎に建てられたオーロラハウスには15:50に到着した。事前に連絡を入れていた郷土史家のS氏が待っていてくれていた。とりあえず、現場を案内しますと言うことで、S氏が運転する自家用車に乗せてもらい、関神社跡、寛斎の住居でもあった陸別駅逓跡、寛斎とその妻であるあいの墓所、そして、関牧場のあった場所を小一時間ほどで案内をしてもらった。

 「関寛斎の像」

 「オーロラハウス」

 

 関寛斎と言う人物は、現在の千葉県東金市の農家の子として生まれ、迎えてくれた養家の計らいで医学の道に進み、戊辰の役では官軍の奥羽出張病院長になるほどの大人物。72歳になった時に一念発起し北海道の陸別の開拓事業に全財産を投入し移住した。あまりメジャーになっていないかも知れないが、もし、彼の人生をNHKの大河ドラマにしたら、多くの人の心を引きつける物語になりそうな人物である。
 今日の夕食は関家寛斎顕彰会のメンバーとの懇親会を予定していますと言うことで、感謝感激をしてお受けした。私以外に、千葉県から一週間ほど調査研究のため滞在している方にも案内しているという。本当に心のこもったもてなしに陸別の人の温かみを感じた。
 18時からの開始であったが、あっという間にホテルの門限時間23時になって仕舞った。5時間近く何を話したのか?その一部は覚えているが、楽しく有意義な時間を過ごすことが出来た。
明日は陸別に滞在である。心置きなく眠ることが出来る。

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