日本一周by自転車

定年退職を機に、「もっと日本のことを知りたい」との思いから日本一周に挑戦。
4,800kmを走ったところで事故にあい負傷。
一度、心に決めた目標は絶対に達成する!!
2年後、「北海道開拓の歴史をたどる旅」をテーマとして再チャレンジ!
2008年10月遂に日本一周を達成。
夢はまだ続く。
新しい目標は、自転車で旅をしながら郷土の歴史を調べる。
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2017年十勝の旅(その4)

2017年十勝の旅(その4)
【関寛斎と関牧場の今は】


「8月25日(金)」
々堝阿粒詰廖
  資料館見学、陸別周辺
⇔κ迷攤
宿泊:オーロラハウス
ち行距離:25km
ヅ係:晴れ時々曇り
旅の記録
  6時近くまで眠ることができた。いつも4時頃には起きているので久しぶりである。
  朝食の後、道の駅にもなっているオーロラハウスの前の出店で、採れたての野菜を買い自宅に宅急便で送ることにした。
  なぜか、昨晩ご一緒した関寛斎顕彰会のメンバーの中に農業を営む方がいて、その晩餐の料理の中で出されたカボチャが美味しくて、「何処で買えばいいの」と聞いたら、「明日は朝市の日だからオーロラハウスの前で買うことが出来るよ」と言っていたためである。出店の前には、昨日そのように話されたご本人も来られており、昨晩のお礼の挨拶をした。
今日の行動は、先ず、資料館の展示物に一通り目を通し、その後、現地を廻る。そんなことで、9時頃からオーロラハウス内の資料館を小一時間ほど見学した。資料は関寛斎の歩んだ道に沿って系統だって整理・説明されてあり、かつ、分かり易く展示されていた。また、閲覧室スペースには関寛斎自らが書いた日記などの複製本が閲覧できるように本棚に置かれていた。素晴らしいの一言に尽きる。一般的な資料館、博物館では、これらの古文書に類する資料は倉庫の資料室に仕舞って在り、人目には触れないように扱っている。
  地元郷土史家のS氏は、見学の申出を受けた場合、資料館での説明、現地の案内も引き受けて下さると言うがその情熱には頭が下がる思いである。
  資料館を見学した後は、自転車で現地を廻って来た。先ずは、昨日S氏に案内して頂いた史跡のある場所を。


 

 「関神社跡」
 

 「関寛斎顕彰の碑」
 

 「関寛斎とあいの墓」

 「墓の銘板」

「我が身ををば焼くな埋むなそのまゝに斗満の原の草木を肥せよ」と記されている。

 妻のあいは明治37年6月12日札幌で亡くなったが、本人の遺言により、札幌で埋葬されることなく、寛斎が亡くなった大正元年に遺骨をこの地に移し合葬された。

 

 「やちだもの家」

 

  澄み切った青空の天気での中で陸別の牧場風景に浸ることが出来たのは幸せであった。

 

 「陸別の農場風景 
 

 「陸別の農場風景◆
 

 「陸別の農場風景」
 

 「陸別の農場風景ぁ
 

 「陸別の農場風景ァ
 

 「利別川」
 

 「斗満川」

 

  そして、今日一日の行動を終えS氏にお礼の挨拶に行った。

 

 「昨晩関寛斎を愛する仲間が集まったガンビー」

 

  陸別には著名な作家が訪れている。関寛斎の生前に訪ねたのは徳富蘆花で「みみずのたはこと」を、死後であるが司馬遼太郎が訪れ「街道をゆく」を、城山三郎が「人生余熱あり」を、最近では、高田郁が「あい 永遠に在り」を、その他に多くの作家が彼を題材にした著書を書いている。
  司馬遼太郎がこの地をおとづれた時に残したメモが、寛斎とあいの墓がある“やちだもの家”の中に展示してある。

 

 「司馬遼太郎か書き残したメモ」

 

 「陸別は、すばらしい都邑と田園です。寛斎の志のなすところ、ひとびとが不退の心で拓いたところ、一木一草に聖書的な伝説の滲みついたところです。森に、川に、畑に、それらのすべてが息づいています。」

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