日本一周by自転車

定年退職を機に、「もっと日本のことを知りたい」との思いから日本一周に挑戦。
4,800kmを走ったところで事故にあい負傷。
一度、心に決めた目標は絶対に達成する!!
2年後、「北海道開拓の歴史をたどる旅」をテーマとして再チャレンジ!
2008年10月遂に日本一周を達成。
夢はまだ続く。
新しい目標は、自転車で旅をしながら郷土の歴史を調べる。
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【2016年越後〜信濃〜上野の旅】(その3)
JUGEMテーマ:旅行

【2016年越後〜信濃〜上野の旅】(その3)

「5月10日(火)」
々堝阿粒詰廖
  高田〜国道18号〜関山〜道の駅しなの〜豊野〜長野
⊇佝時刻(高田):08:00
L榲地到着時刻:15:05
そ蒜顱中央館 清水屋旅館
チ行距離:85km
ε係:曇り、一時小雨
 
「旅の記録」

 高田には戊辰戦争の敗戦で罪人扱いを受けた会津藩士1,700名が幽閉されたと言う歴史がある。その場所は高田城下にあった寺町で、現在のJR高田駅の西側にある。
 朝食前の小一時間を利用し、これらの寺を自転車で散策してきた。



「寺町の配置図」

 できるだけでは多くの寺の写真を納めておきたい。と、カメラを首にかけ、走り、止まり、シャッターを押す。この連続で、殆んどの寺の門前を画像におさめた。もし歩いて廻ったら半日以上の時間がかかったのでは。自転車は本当に便利な乗り物である。










「お寺の写真」

 実は今回の旅のテーマの中に高田に幽閉された会津藩士の歴史についても設定していた。それは、普段、私が行う歴史研究のテーマが『屯田兵と北海道の開拓』で、札幌の琴似(明治8年)、山鼻(明治9年)に入植した屯田兵の中に多くの元会津藩士が含まれており、其の中に、高田に幽閉され、その後斗南に移住し、そこから屯田兵に志願した者が何人かいるためである。高田に残る其の歴史跡を見ておこうと思った。
 幕末〜維新当時、高田の榊原家は徳川譜代15万石の小さな藩で、戊辰戦争時は他の譜代大名と同様その進退を決するのに悩みます。そして、戦争が北越正面に及ぶようになると、苦渋の決断をし、幕府側ではなく新政府側につくことになります。そして、以降の戦争において先鋒を務めさせられることになり、大きな人的・財政的な被害を受けました。
 その高田藩榊原家は戦後処理の会津藩士1,700名を預かることになる訳です。
 敵味方として戦った血気はやる会津藩士を預かるのですからたまったものではなかったことでしょう。そんな事を思い起こしながら朝の散策を終えホテルに戻って来た。
 朝食を取り身支度を整えホテルを出たのは08:00。



「高田駅」


「ホテル」

 今日の天気は芳しくない。雨がくる前に目的地の長野へ入りたいと思いつつ、先ずは高田城跡へ。



「高田城」

「高田城の配置図」

「旧軍の第13師団司令部が置かれていた」


「上越市立総合博物館」

 そこには上越市立総合博物館がある。事前に連絡を入れていたのであるが、その時アポ取をしていた学芸員は不在で代わりの学芸員が対応してくれた。そのため、詳しい話を伺うことができず。丁度企画展で展示してある高田藩にお預けとなった会津藩士の名簿資料を見せてくれた。それは、高田藩榊原家に残る資料で、その中に、新撰組の齋藤一が一瀬伝八の名前で記載されているのが確認できた。
 長居は禁物。雨に会いたくないので、その資料を見せて頂いただけで博物館を後にした。



「高田の名物“がんぎ”」

 長野まで、途中、特に見学をする予定はないので時々休憩を入れながら18号線を南下した。
 妙高手前で、今旅行中2度目のパンク。3日間で2回のパンクである。「どうなっているのか」と腹立たしく思う。



「パンク修理」

 国道18号線、これが一級国道なのと思えるほどの継ぎはぎだだらけのポンコツ道路である。これならパンクもするはず。



「道路はがたがた」

 妙高高原の最高地点は腕時計の高度計で計ったら750m位あった。この付近は名だたるスキー場の標識が続いていた。



「妙高高原へ向けて走る」


「妙高高原 名だたる温泉とスキー場の看板」


「もうすぐ長野県」

 12時を過ぎて少し空腹を覚えた。信州の入口に来たのだから蕎麦でも食べるかと考えながら走っていると、対向車線側に手打ち蕎麦の“のぼり”が旗めいていた。蕎麦屋は当たりもの、期待半分で店に入った。
 食べ終えて大満足。蕎麦通ではないが、味、噛みごこち、蕎麦湯、それ以外に出された二種の漬物、番茶、店の雰囲気の全てが花○でした。更に、『並み』を注文したのに、少しい多く茹でましたのでと言って大盛りを運んでくれた。店の名前は「樹香」、ペンションもかねている。場所は「一里塚 妙高」にある。



「そばの店」


「一里塚 妙高」

「北国街道の宿場」 
 野尻峠から豊野へは約300mの下りで快適この上ない。道路も新潟県から長野県に入り少し良くなったように感じがする。
 長野の宿に着いたのは3時過ぎで、幸い雨に当たることもなく、パンクはあったものの大したトラブルもなく到着した。
 長野には兄夫婦が住んでおり、兄に善光寺のガイド役を買ってもらい説明を受けながら見学をした。この善光寺。噂程度にしか知らなかったが、由緒あるお寺で、茅葺き屋根の重厚な建て方は、京都や奈良の寺とは違ったたたづまいで、「伊勢を見ずして、伊勢を語るな」と言われるのと同様、一度はお参りをするべき寺であると感じた。拝観料を払うと本堂下の回廊に入りお参する機会を得ることができる。まるっきり灯りのない暗闇の中を、壁・柱を伝いながら歩くのは一度体験の価値あり。




「善光寺」


「善光寺旧寺跡」


「善光寺門前」

 明日は上杉と武田が覇権を争った地を走る。
17:10 | 2016年越後〜信濃〜上野の旅 | comments(0) | -
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