日本一周by自転車

定年退職を機に、「もっと日本のことを知りたい」との思いから日本一周に挑戦。
4,800kmを走ったところで事故にあい負傷。
一度、心に決めた目標は絶対に達成する!!
2年後、「北海道開拓の歴史をたどる旅」をテーマとして再チャレンジ!
2008年10月遂に日本一周を達成。
夢はまだ続く。
新しい目標は、自転車で旅をしながら郷土の歴史を調べる。
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【2016年越後〜信濃〜上野の旅】(その4)
JUGEMテーマ:旅行
【2016年越後〜信濃〜上野の旅】(その4)

「5月11日(水)」
々堝阿粒詰廖
  長野〜県道35号〜松代〜国道403号〜国道18号〜上田〜小諸
⊇佝時刻(長野):07:50
L榲地到着時刻(小諸YH):17:30
そ蒜顱Ь諸YH
チ行距離:74km
ε係:小雨〜曇り〜晴れ
 
「旅の記録」
 昨晩のお宿中央館清水屋旅館は気に入った。
元々建てられたのは明治の終わりで、昭和のはじめに後ろ側の部分を増築したと言う。人によっては感じ方が違うだろうと思うが、アンティークなところが良い。特に建物の中央に螺旋状の階段があり、迷路の様に各部屋と結んでいる作りが特に気に入った。



「清水屋旅館」


「旅館内部」

 今日の長野県の天気は前半雨、昼頃から徐々に良くなる予報。では、午前中は博物館・資料館等での時間を多くとり、出来るだけ雨に当たらぬように。そして、天候が回復するであろう午後から距離を稼ぐ。そんな構想をもって07:50宿を出た。
 出発した時は丁度通勤通学時間帯で長野の町中は人・車で溢れていて非常に走りづらい。
 長野と言えば善光寺、それと、川中島の合戦である。
 今日の最大の目的は、その「川中島の古戦場」の跡地を探索するである。
 最初の目的地、八幡原の古戦場は千曲川と犀川にはさまれた中州一帯である。今はその多くが住宅地、工場用地、商業用地となっている。その一画に古戦場である八幡原史跡公園がある。数時間の合戦で武田、上杉の軍勢合わせて6000人もの人が亡くなったというから、ここは鎮魂の地である。





「犀川を渡る」


「甲越直戦地碑」


「信玄対謙信 一騎打ちの場面」


「武田・上杉戦闘配備図」

  武田は信濃から越後へ向けて領地拡張を目指し、上杉は領地の安堵を図るために一戦を交えた。第4次川中島の合戦。戦いは上杉方の勝利と言われているが、上杉が戦場から兵を引き上げたあと、武田は善光寺を含めた妙高までの一帯にまでその勢力を伸ばし武田の支配下となった。
この合戦で色々な逸話がのこっている。「謙信と信玄直接交えた」「敵に塩を送る」「娩静粛々 夜川を渡る」等であるが、それほどにこの戦いは日本人の心をくすぐる戦いであったと言える。
 「夜川を渡る」この川とは千曲川のことであるが、今日(5月中旬)の千曲川の流れは濁流の様で到底渡河のできるものではない。犀川と千曲川の中州には沢山の小河川の流れていた当時の千曲川と今のものとは比較ができないと思うが、よくも一万もの大軍が暗夜にまみれて整斉と渡河ができたものだとつくづく感心する。





「千曲川を渡る」




「海津城跡」

 千曲川を渡り武田が陣を構えた海津城(松代城)、その後、隣接する真田邸、真田家の藩校であった文武館を見学した。



「真田邸」


「文武館」

 海津城から名を変えた松代城は真田幸村の兄信幸(信之)の城である。ここに、真田家は幕末まで続いた。
 この松代にはもう一つ貴重な遺産がある。それは戦争遺産で、終戦間近この山中深くに政府機関を移すそうと、巨大な洞窟を作ったのである。それが、「象山豪」と呼ばれる。よくもまあ、こんな山中に、こんなにモノを作ったものだと思う。正気の沙汰とは思えない。こんな壕の中で、一億人民のいる国家の統治ができると考えたのだろうか?
 この洞窟。戦争とは狂気の沙汰である感じとることのできる歴史遺産である。






「象山豪」

 「象山」この壕の呼び名。どこかで聞いた名前はである。そう、あの偉大な佐久間象山である。かの人の出身がこの土地で松代藩士であったとは、ここに来るまで認識が無かった。



「佐久間象山の像」


「象山神社」

 そして、幕末の松代藩が作った藩校『文武館』に函館の五稜郭を作った武田斐三郎が招かれたとの記述が展示資料の中にあった。北海道の歴史に名を残した人の名前を見つけ何か嬉しくなった。
松代を出た時には正午をまわっていた。上杉軍が陣を張ったという妻女山を左手に望みながら国道18号線の合流点を目指し県道を走った。



「雨宮の渡し方向から見る妻女山」

「上杉の軍勢が闇と霧の中千曲川を渡ったと言う”雨宮の渡し”付近」
 左へ行くと千曲市街、右に行くと国道18号の標識。咄嗟に左へハンドルを切ったものの、やはり右だと強くブレーキをかけた。その途端にタイヤが小砂利にとられて頭から転倒、幸いヘルメットのお陰で頭部はなんともなかったが、左肩の打撲と膝に裂傷を負った。新潟県、長野県の道路整備は行き届いていない。車道脇の路側はアスファルト道路に使用した小さな砂利が散乱していて大変危険だ。昨日も妙高付近でパンクをしたが、国道18号線はこれが一級国道なのかと思いたくなるような維持状況。「一時期、コンクリートから人へ」という言葉が流行ったが、車の走る道路には補修の経費をつぎ込んで欲しい。これも、人の命を守るため。




「上田手前の千曲川」


「上田城」

「上田神社」 

 今日の宿は、小諸ユースホステル。浅間山麓の1,000mの高地にある。
 何でまたこんな高地の宿にとまるの?
 多分「ここからの眺めは最高だろう」。どうせ、標高1,000mの軽井沢まで明日走るのだから、今日の内に1,000mまで登っておけ。そんなことで、ここに泊まることにした。だけど、一日の走行の後半にこの急な登りは流石につらい。登れど登れど目的地に到着しない。
 やっとの思いで1,000台まで到着した。そして、下界の視界が開けた。



「1,000m台からの小諸の遠望」

 やはり、ここを選んで良かった。
 17:30到着YH小諸に到着
16:55 | 2016年越後〜信濃〜上野の旅 | comments(0) | -
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