日本一周by自転車

定年退職を機に、「もっと日本のことを知りたい」との思いから日本一周に挑戦。
4,800kmを走ったところで事故にあい負傷。
一度、心に決めた目標は絶対に達成する!!
2年後、「北海道開拓の歴史をたどる旅」をテーマとして再チャレンジ!
2008年10月遂に日本一周を達成。
夢はまだ続く。
新しい目標は、自転車で旅をしながら郷土の歴史を調べる。
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【2016年越後〜信濃〜上野の旅】(その5)
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【2016年越後〜信濃〜上野の旅】(その5)

「5月12日(木)」
々堝阿粒詰廖
小諸〜中軽井沢〜国道18号〜軽井沢〜碓氷峠〜富岡
⊇佝時刻(小諸YH):07:50
L榲地到着時刻(富岡製糸場):15:15
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チ行距離:65km
ε係:晴れ
 
「旅の記録」
 昨晩は、ユースのオーナーから、もし良ければホールに来てください。と誘いを受けていたが、部屋に戻り、日記の整理をしていたらそのまま寝入ってしまった。申し訳ない。
 その分、朝早く目が覚めた。
 天気が良ければ、日が昇る時の景色を眺めようと期待をしていたが、生憎深い霧がかかりなにも見えず。この霧も朝食を終えた頃に晴れ上がり我の出発を歓迎してくれているかの様。
 朝食後、食卓テーブルの脇に立て掛けてあった立体型の信州周辺の地図が気になりテーブルに広げて眺めていると、ユースホステルの奥さんが近寄ってきた。大河ドラマの「真田丸」を見ているとのことで、この付近の地形と真田一族の生き方等の話で盛り上がった。ちょっと知ったかぶりをしてしまった様だが、楽しい会話ができた。
 昨日の宿泊者は私一人で、ユースホステルの皆さんは道路脇まで見送って下さった。
 また、機会があれば是非訪ねたいユースである。



「小諸ユースホステル」


「出発前の自転車」




「標高900m付近から眺める風景」



「何か北海道の牧歌的な感じに似ている」

 昨日は1,000mまで登っているので、軽井沢へは逆に下りが多かった。途中絶景ポイントで写真を撮りながら走ったが、09:30には軽井沢に到着した。



「軽井沢駅」

 ゴールデンウィークの終わった平日、あまり行楽客はいなかった。その分、目についたのがアジアの人たち。やはりこの高原の別荘地は魅力的なのだろうか。昨日行った真田家所以の松代や上田は熟年の日本人ばかりであったのとは対象的である。軽井沢では国の重要文化財である三笠ホテルを見学した。




「三笠ホテル」

 その場所は高級別荘が立ち並ぶ奥にある。ここは我ら平民にとっては異次元の世界で、そんな異空間を体験しようと走ってきた。




「高級別荘が立ち並ぶメインストリート」


「旧軽井沢」

 今日は何人かの自転車仲間と接触をした。最初はこの三笠ホテルで、見学を終え帰ろうとした時、施設の入口で写真を撮っている熟年の男女がいた。写真撮影の手伝いをした後、自転車談義となった。その方達、最近夫婦で自転車を始めたそうで、趣味が合い話が弾んだ。そして、旦那さんは日本一周の夢を語った。
 軽井沢は小さな街。すぐに町はずれの碓井峠に到着した。しかし、この場所、地図には『碓氷峠』と名前が載っているが、実際の道路上には『碓氷峠の』表記はなかった。



「碓氷峠にあった表示物」

 次に会った自転車仲間は碓氷峠のピーク。この場所に群馬県の横川側から走ってきた2人の若者(私より大分若そうだから)が休んでいた。「登りは大変でしたかと声をかけた」「いや、そんなにきつくはなかったです」との返事。彼らは、旧道の登り口の近くにある職場の同僚だそうで、最近自転車仲間が増え時々皆で走っていると言う。暫く自転車談義が弾んだ。
 碓氷峠から184曲がりの下りコースを右に左にハンドルと切りながら走った。誠に爽快である。カーブはきついが勾配はそれほどでもなく。適度にブレーキをかけながら楽に走れた。そして、鉄道遺跡「めがね橋」に到着した。そこにも自転車愛好家がいた。
 眼鏡橋は明治26年ドイツの山岳鉄道の技術を取り入れ造られたものである。よくもまあこんな橋を作ったものだ、その技術力の高さには感服する。






「めがね橋」

 この旧国道18号線は自転車愛好家にとって最高のトレーニングコースなのだろう。バイパス道路、上信越自動車道が近くを走っているので、この道を車で通る人は殆どいない。



「変わった形をした山 妙義山」

 途中、空腹を覚え今回の旅行中3度目の蕎麦をたべ富岡についた。小さな富岡の町は世界遺産の富岡製糸場一色あった。連休明けの平日であったが、製糸場の入場者は引きも切らない様子で多くの観光ボランティアの方が案内役を務めていた。
 この建物の設備には感動をした。明治5年〜6年にかけて建設されたと言うが、徳川の世からほんの数年しか経たない時に、良くもこんな近代的な建物を日本人が建てたなと思った。



「配置図」


「富岡製糸場碑」


「製糸場繭置」



「製糸場繭置所内部」


「繰糸所」


「首長館(ブリュナ館)」

 ここから生まれら生糸が日本の近代化に大きく関わってくるのである。北海道にも明治8年に製糸場が作られ養蚕が盛んとなってくる。この富岡で育った技術が全国に伝達されていったことを理解するのは容易である。
 宿には15時過ぎに到着した。旅も5日目に入り、かなり疲労がたまっている。
 宿ではシャワーを浴び、洗濯をして、食べて、寝るだけ。
 テレビが置いてあるがほとんど見ることは無い。
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