日本一周by自転車

定年退職を機に、「もっと日本のことを知りたい」との思いから日本一周に挑戦。
4,800kmを走ったところで事故にあい負傷。
一度、心に決めた目標は絶対に達成する!!
2年後、「北海道開拓の歴史をたどる旅」をテーマとして再チャレンジ!
2008年10月遂に日本一周を達成。
夢はまだ続く。
新しい目標は、自転車で旅をしながら郷土の歴史を調べる。
<< 2015年三陸の旅パート4 | TOP | 2015年三陸の旅パート2 >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | - | -
2014年三陸の旅パート3
JUGEMテーマ:旅行
「2015年三陸の旅」
その 気仙沼〜釜石

5月29日(金)
々堝阿粒詰廖Т箘羣蝓禅だ臂臓噌馥撮苅宜罅僧α姐眦帖疎臍ヅ蓮岨偉Φ班諭租眞亜然石
⊇佝時刻 :06:40
L榲地到着時刻:15:45
そ蒜顱Д曠謄 ルートイン
チ行距離:96km
ε係:くもり〜晴れ

「旅の記録」
 岩井岬はこの旅で知った地名である。今回自転車で走らなければ来ることは無かった。そして、民宿崎野原屋に泊まることは無かったし、この民宿がこの半島で唯一無傷で残った建物であることも知ることは無かった。




 朝の散歩で岬の突端まで散策したが、ここは気仙沼湾の入口に位置する景勝の地である。
宿は6時40分チェックアウトし出発した。右手に3階まで水に浸かり、廃墟となった向洋高校の校舎を見ながら気仙沼を目指した。




 気仙沼も大きな災害をうけたが、志津川の様に町の全てはなく、国道沿いは普段の生活を取り戻していた。また、気仙沼漁港には大小の漁船が係留されており、港は本来の活動を行っているようで、付近の気配から活気が感じられた。そして、やはりここでも土地のかさ上げ工事と復興住宅の建設が行われていた。
 






「復興住宅建設の状況」






「気仙沼漁港」

 陸前高田は奇跡の一本松として有名になったところで、唐桑トンネルをくぐり気仙沼から20km程走ったところにある。
  長部漁港を過ぎたあたりで一気に視界が開け、荒涼たる風景が目に入った。前方左手の山から取り出した土砂を運ぶ長大なベルトコンベヤーが町の中心まで伸びている。そのベルトコンベヤーを下から覗くと巨大な橋の様でもある。
  ここも消え去った街並に代って出現した台地をダンプカーが走り回り、建設機械が動き回っていた。まさに陸前高田一帯で巨大なプラント事業が行われているようであった。





「陸前高田の復興工事の状況」



「一本松見学のお客さんのために茶屋ができた」

 「奇跡の一本松」と言われる松は、高田松原の松林の中にあった一本の松で、津波の被害から奇跡的に免れた。地域の人達から復興のシンボルとして残そうと言う声が持ち上がり保存することとなった。
 今日は平日であると言うのに多くの見学者があった。外国から来た人もいた。
 訪れた人に希望と勇気を与える木である。



「奇跡の一本松」

 元『道の駅高田松原』のあった場所はメモリアル広場となっており、震災から復興を伝える施設があった。





「道の駅高田松原はメモリアル広場に」


「一本松の根は資料館に保存している」
 
 陸前高田は志津川同様に町の全てが無くなってしまったところである。被災現場を残すことには異論のあるところだが、両市・町とも遺跡として残し後世に伝える方向であるのか?
 ここから大船渡へは一旦国道を離れ新しく出来たアップルロードを使った。地元の人から平坦な道だと聞いていたが、やはり自転車で走るには快適な道とは言えなかった。細浦を過ぎた辺りから海岸線が見えてきた。そこは大船渡湾の美しい海の景色だった。今まで赤茶けた土の山ばかり見ていた目に安らぎを与えてくれた。
 ところで、被災地では住宅の高台移転を復興事業の柱としているが、この付近を走っていて、過去から高台での生活をする習慣がこの地にはあったと言うことを気付かされた。国道は海岸線からすこし奥まった台地上を走っており、その両側には住宅が立ち並んでいた。しかし、一部の家屋は海岸線にもあった。年数が経つと津波の恐怖を忘れ去り、便利な海岸線に移転していく構図があるようだ。
 また、町全体が消滅したように思える志津川にしても、陸前高田にしても高台には多くの家並みが残っていた。それらは、先人の知恵を守った人達なのだろうか。





「元々高台にある住宅」
  
 国道沿いの大船渡は被災から復活していた。海沿いにも残った建物で仕事を始めている人、新しく建設されたと思われる工場の姿もあった。





「美しい大船渡湾」

 大船渡川の流れに沿って北へ向かう国道沿いは、以外かな、津波の被害が残っていなかった。大船渡湾は細い入り江で、津波は大船渡川を遡上していたのだろうか?



「昼食を食べたラーメン屋・・被災後新築した店舗」


「被災した町は復活していた」

 大船渡を出てしばらく行くと美しい山間の村落の風景が目に入って来た。その一画に新沼という看板が立てかけてあった。新沼謙治の故郷なのか?






「大船渡は新沼謙治の故郷」

 釜石までの道のりはリアス式の半島を一つ一つ越えて行く形で続いている。6箇所のトンネル以外は殆どが上り下りの道路である。
 トンネルを超えると美しい海が目に入ってくる。きつい走行であるが、海が少しばかりの癒しを与えてくれた。しかし、ここを走行していて、三陸と言う土地は、町・集落がこの国道沿いに分散してあり、行き来が難しい土地であると感じた。



「唐丹湾内」



「唐丹駅」




「釜石の入口平田漁港」

 釜石には15:30に到着した。疲労がたまってきたので、途中でビジネスホテルに予約を入れた。
いつも通りであるが、先ずは缶ビールで喉を潤し、シャワーを浴び洗濯をしたら脱力状態となってしまった。
 7時頃になって、飯でも食いに行くかとホテルを出て食い処を探している中で、釜石の事を誰からも聞いていないことが気にかかりスナックバーに入った。
 「多分この時間ならお客さんはいないだろう」。と予想した通り、客は私だけで、私より少々年回りの行ったママさん一人の店だった。そして、北海道からきた風変わりな旅人の話にしばし付き合ってくれた。この地に住み、生活をしている人でなければ知り得ない貴重な話をきけた。
 そして、帰りにコンビニにより軽食を買ってホテルに戻った。
 泊まったビジネスホテルは釜石市役所の近くにあり、その他にも数軒のホテルがあった。その全てに工事関係者が宿泊をしていて、ほぼ満室状態であった。周辺には繁華街も出来つつあり、立ち寄ったスナックもその中の一軒であった。そして、近くには大手のスーパーが進出してきており週末は駐車場が一杯になるほどに盛況であると聞いた。
 今は復興事業で多くの資金が落ちているが、心配なのは復興事業が終わった後この町はどのようになっているかである。

 
08:42 | 2015年三陸の旅 | comments(0) | -
スポンサーサイト
08:42 | - | - | -
コメント
コメントする