日本一周by自転車

定年退職を機に、「もっと日本のことを知りたい」との思いから日本一周に挑戦。
4,800kmを走ったところで事故にあい負傷。
一度、心に決めた目標は絶対に達成する!!
2年後、「北海道開拓の歴史をたどる旅」をテーマとして再チャレンジ!
2008年10月遂に日本一周を達成。
夢はまだ続く。
新しい目標は、自転車で旅をしながら郷土の歴史を調べる。
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2015年 三陸の旅 パート6
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「2015年三陸の旅」
 そのΑ久慈〜八戸

6月1日(月)
々堝阿粒詰廖У彁〜国道45号〜種市〜蕪島〜八戸
              八戸発(22:00)〜フェリー〜(翌06:00)苫小牧着〜札幌
⊇佝時刻      :09:50
L榲地到着時刻:18:25(八戸フェリーターミナル)
ち行距離:88km
ヅ係:晴れ

「行動の記録」
  いつもの通り、夜明けを待つかのように目を覚ました。そして、窓を開いたら空は快晴。それなら、と、スマホで三陸鉄道北リアス線の時刻表を検索した。
  久慈発05:13の便で普代まで行き、普代発06:02久慈行きの便に乗れば朝食時間の7時半までに帰ってくることができる。ようし行こうと決心した。そうと決まれば行動は早い。洗顔をした後、とりあえず必要なものを持って駅へ向かった。
 


「三陸鉄道 久慈駅」

「JR久慈駅」

  電車が来るまでの間、駅前を散策した。当然、いたる処に「あまちゃん」の看板が掲げられてある。しかし、それとは別に、錆び付いたシャッター、破れ、朽ちかけた日さしが目についた。
  これが、遠来のお客さんを出迎える駅前なの?









「久慈駅周辺」

  久慈の町の作りは駅を中心に据え、東側に市役所などの公共機関、西側に商店街、飲食店を置いている。そこに、進出してきたのが郊外型の大型店である。それらは大きな駐車場を備え公共施設のある駅の東側に展開した。その結果、駅前はシャッター街になってしまった。北海道にもいたる処にある現象である。折角「あまちゃん」で観光客が来るようになった久慈なのに何とか出来ないものなのだろうかと悲しく思った。
  宮古行きの始発は2両編成で普代へ。そこで、1両を切り離し、久慈まで折り返して運転するらしい。






  宮古行きの電車に乗客は我一人。当然と言えば当然のことで、こんなに早く起きて、ただ電車に乗る物好きはいない。我としては、昨日、自転車で走った時に見た安家川橋梁 、堀内駅から景色を車窓から眺めてみたいと思ったものだから乗車した。もう来ることは無いかもしれないし、自己満足の思い出作りのためである。
  車窓から見る海の景色は、朝陽が海面に反射しキラキラ輝いている。日の出の時間帯にこの景色をみれば感慨無量であるとおもうが、それは、晩秋と初春の頃だろうか?



「安家川橋梁からの眺め」


  「堀内駅からの眺め」

 普代駅に到着して、この電車が折り返す目的がわかった。久慈高校へ通学している子供たちを運ぶ通学電車であった。陸中野田、陸中宇部へと走る中で、高校生の乗客で満員となった。
  宿に戻ったのは7時少し前。朝食時、宿の女将さんと親しく話す機会があった。津波の事、久慈の事、この近所のこと、北海道の事を話題に話をした。このような会話は古びた旅館であるからできることで、昨日チェックインして部屋に入った時は、部屋の窓を開けたらそこは隣の家の壁、夜中は酔い客の話声が耳につき、ひどい宿に泊まってしまったと思ったが、この会話ができたことで帳消しとなった。津波による久慈の被害は、駅の東側にある港と、久慈川沿いが大きかった他、国家備蓄の石油基地が被害を受けたということであった。
  今日の天気予報は快晴。日焼けが気になり町中のコンビニで日焼け止めオイルを買った。
  今日のコースは今までと違い長い上り坂は少ない。天候も味方をして快調に走れた。12時すこし前に種市の海岸に着いた。
  ここには、城壁を思わせる巨大な防波堤があり、それを潜ると左手には漁港、正面はキャンプ場を兼ねた海水浴場となっていた。今まで通ってきた海岸とは明らかに違った静かな海が正面にあった。






「城壁を想像させる様な防波堤」






「種市海岸」



「種市漁港」

  パンをかじりながら海を見ていたら、清掃のおばさんがやってきた。津波の事を聞いたら、防波堤を越えることは無かったが、内側の施設と漁港は被害を受けたという。ここまで北上してやっと防波堤の力が発揮された。もし、津波がこの防波堤を乗越えていたら・・、今ここにある町並は無くなっているのだ。雄勝、志津川、陸前高田、大槌・・・全てを無くしてしまった町の様に。
  種市の小さな街並をみて、津波が防波堤を乗越えなくて本当によかったなと思った。
  この防波堤は平成6年に建設されたもので、高さ4、5mあった。



「途中にあった小さな港」

  暫く進むと種差海岸に出た。ここにも海浜公園がある。よく手入れをされた芝生の先に大小の岩礁が並ぶ、景観はまるで絵画のようだ。老若男女が思い思いに海の景色を楽しんでいた。


「種差海岸の風景」

そして、八戸に着く前に立寄ったのは蕪島。ウミネコの繁殖地で、島全体が神社の境内のようになっており、そこには、繁殖を終えたばかりのウミネコの大群がいた。人間を恐れず、雛も手を取って眺められるほど近くにいた。









「蕪島とウミネコ」

  温泉に浸かり、日が落ちる前の18:30頃にフェリー乗り場に到着した。
  今回の旅は、2011年3月11日の津波で被害をうけた三陸の地を、自分の足で訪ね、自分の目で直に確かめてみたいと思い行った。
  被災地では4年間経過した今でも殆んど手つかずのところもあり、被害状況は想像を超えたものであった。
 それは、人が写した写真の画像や映像では判断をすることが出来ない。現場をおとづれ自分の目で見てやっとその概要をつかめるが、それでも不足し、そこに住んでみて始めてその被害の大きさを知ることができるのではと思う。
  元の美しい町に戻れるのは何時のことなのだろうか、5年後なのか、いやそれ以上、10年もかかるのか。口で言うのは簡単なことであるが、そこに住む人のことを考えると、今までに4年の年月が経過し、更に5年、10年である。気の遠くなるような話である。「頑張って下さい」。と声をかけるのも辛く感じる。
  最近、北海道において被災地のニュースが話題になるのは、震災が起きた3月11日と、その前後くらいで、段々話題から遠のいているのが現実である。
  私にできることは何もないが、今回の旅で見聞きした三陸の姿をしっかり脳裏に留めておこうと思う。そして、何か機会があれば周りの人に被災地の皆さんの置かれた厳しい現実を伝えて行こうと思う。
  普段の三陸の海は波静かで美しい。そこには豊かな漁場が広がっている。今も仮設住宅で暮らしている人が沢山おられるが、早くこの美しい故郷の地に戻れることを祈りたい。

 
05:59 | 2015年三陸の旅 | comments(1) | -
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コメント
テツ様
三陸の旅、お疲れ様でした。
私が小学生だった頃に先生が、
「三陸のリアス式海岸では、昔、津波で大変な被害があった。」
と教えられた事を思い出しました。

時が経ち震災の記憶も少し薄れてきた雰囲気がありましたが、
現場の厳しい状況が今回の記事を見て思い起こされました。
復興の為の工事関係は盛んで、そこに従事する方々の往来が
感じられるものの、「あまちゃん」でブームになった町ですら、
商店街の風景が寂しい。
そこで生活を営む住民の活気が戻ることを祈るばかりです。
辛い感情は消えて欲しいと思いますが
この災害の教訓は、何百年先まででも伝え続けられなければ
ならないと思いました。
2015/06/25 12:03 AM by Hide
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