日本一周by自転車

定年退職を機に、「もっと日本のことを知りたい」との思いから日本一周に挑戦。
4,800kmを走ったところで事故にあい負傷。
一度、心に決めた目標は絶対に達成する!!
2年後、「北海道開拓の歴史をたどる旅」をテーマとして再チャレンジ!
2008年10月遂に日本一周を達成。
夢はまだ続く。
新しい目標は、自転車で旅をしながら郷土の歴史を調べる。
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2017年十勝の旅(旅の前夜)

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2017年十勝の旅(旅の前夜)

【明日『十勝の旅』に出発する】


「8月21日(月)」
 今回の旅は、昨年計画を立てたものの行くことができなかった旅のリベンジである。
 1年前の平成28年8月25日から4泊5日の予定で、今回とほぼ同様の旅を計画していたが、8月23日に台風第9号が北海道に再上陸し、道北・道東一帯に大きな被害をもたらしたことから、出発直前になって中止を決心した。結果オーライで、もし、行っていれば、通行止めの道路に遭遇するだけではなく、被災地を廻ると言うことになって仕舞った。
平成28年は、北海道に5つの台風が上陸(内3つが再上陸)するという、過去の記録に無いような事態が発生していたことを記しておく。
 今回の旅のテーマは、昨年考えたものと同じであり、当時の日記に書いたものを載せる。
 「今から30年近く前、2年間ほど帯広に住んだことがあった。その時は、まだ、元気バリバリの時で、趣味はと言うとスキー、山登り。特に山登りは、帯広が日高の山、裏大雪山の山のベースキャンプ的な位置にあることから、日高の名峰と言われる多くの山を仲間たちとともに登った。
 夜中に家を出て、夜明け前に登山口に到着。空が白む頃に登山を開始し、その日のうちに下山すると言うのが常だった。地下足袋に草鞋を結び、清流に見え隠れする川石を、右に左にと踏みしめながら沢を遡上し、時には水しぶきを被りながら岩肌を登ることもあった。その先には、雪渓が待っており、さらに進むみと、そこは高山植物が咲き乱れる天上の世界が広がっていた。遂に辿り着いた細尾根から眺めた360度のパノラマは、そこに立った者でないと分からない感慨があった。
 あの頃は、歴史に特段の興味はなく、帯広の博物館である『百年記念館』にも行くことも無かったし、十勝開拓にその名を残した依田勉三という人物の名前すら知らなかった。
 今回の自転車旅行のテーマは『十勝開拓の歴史をたどる』とした。
 日本一周を達成した平成19年以来、屯田兵の入植地を中心に北海道開拓の歴史のテーマとして色々なところを自転車で走ってきた。しかし、それらの経路を記した北海道地図の中で、唯一とも言うべき空白地帯が十勝平野から北見へ抜けるルートである。
「なぜか?」それは、屯田兵が入植しなかった場所であるからである。
 今回の旅のテーマのメインは、十勝に開拓に尽くした「依田勉三、二宮尊親、関寛斎の踏み跡をたどる」である。
札幌からサイクリングを開始するJR新吉野駅まで輪行で移動し、十勝川沿いを北上し、晩成〜豊頃〜帯広〜幕別〜池田〜本別〜足寄〜陸別〜置戸〜留辺蘂〜遠軽まで約350kmを走るものである。
 旅を予定している22日〜26日までの天候は、落ち着いており良い旅が出来そうである。

 

【2017年十勝の旅経路図】

 

 

 

12:33 | 2017年十勝の旅 | comments(0) | -
2017年十勝の旅(その1)

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2017年十勝の旅(その1)
【十勝入植玄関の地・大津からスタート】


「8月22日(火)」
々堝阿粒詰廖
 自宅〜札幌駅発 「スーパーおおぞら1号」 帯広駅着・発 ローカル線 新吉野駅着 新吉野〜大津〜R336〜湧洞〜晩成
⊇佝時刻(自宅):06:00
L榲地到着時刻:15:30
そ蒜顱Д札レイ館
チ行距離:49km
ε係:雨
旅の記録
 昨日の天気予報では22日の天気は一日曇りであったのに、今朝起きて出発準備をしていたらポツポツと雨が降り出した。ネットで最新の天気予報を確認したら、これから向かう、十勝の天気予報は午前中曇りで午後から雨のマーク。「何なんだ」とつぶやいてしまった。
 近くの地下鉄駅まで車で送ってくれた妻に「天気が悪いから止めれば」と言われ、逆に発奮する。
 JR札幌駅07:00発釧路行きの特急「スーパーおおぞら」で帯広へ、09:24帯広着。

 「乗車中の輪行バック」

 「帯広駅」

 

 「仙台から来た大学生」

 

 「豚丼の店の壁に書かれていた」

 「開拓のはじめは 豚と一つ鍋」依田勉三が詠んだ句である。

 

 そこから各駅停車に乗り換え十勝川河口近くにある「新吉野」駅に11時18分に到着した。

 

 「釧路行普通列車」

 

 「新吉野駅」

 

 当然新吉野駅は無人駅で、駅前の両側に数件の家が立ち並んでいたが人の気配はまるきりなかった。
 この駅が実質的な旅のスタートで、自転車の組み立てを終えて12:00に出発をした。先ずは、15km程南に下ったところにある十勝川河口の町「大津」に到着。

 

 「十勝川河口」

 

 「十勝川河口橋」

 

 「大津の町」

 

 そこからサケ釣りの竿が延々と続く海岸線を湧洞湖に向けて走り、生花苗というところに到着した。

 

 「サケ釣りの竿の列」

 

 「湧洞・豊頃の標識」

 

 「生花苗」

 

 この場所は、今回の旅の目的の一つである「依田勉三が創設した晩成社の二度目の入植地である」

 「晩成社集落の図」

 

 「依田勉三の住居(復元)」

 「現在の牧場の風景」

 「牧場の牛」

 

 依田勉三とは帯広開拓の祖と言われている人物で、伊豆松崎で結成した晩成社の同志13戸27人を率いて明治16年5月に帯広に入植、翌明治17年に生花苗に再移住。過酷な状況にもめげず開拓に励み、今日の帯広・十勝発展の基礎を築いた。晩成社が最初に入植した場所でもある中島公園に依田勉三の銅像が建っている。
新吉野からここに来るまで約2時間半は雨に降られぱなしであった。時には強く降る時もあったが、走行に支障を与えるほどのものではなかった。
 今日のお宿の「セキレイ館」には15:30に到着した。普通の農家の建物をそのまま宿にしたような造りで、横手には元々家畜小屋だったのか?車庫を兼ねた物置小屋があり、そこに自転車を格納し濡れた衣類を干した。そして、16:00過ぎごろ館に入った。私が一番乗りで、そのすぐ後に、大阪から来たサイクリング部の大学生、そして、同じく大阪の女性ライダーが到着した。
17:00、近くにある晩成温泉ツアーがあり、宿の主人が運転する車で送迎してもらった。中々いい湯で、雨に打たれ疲れ切った体を癒した。
 風呂仲間3人を含め7人の旅人が、この日に宿泊した、その内、5人がサイクリング、1人がライダー、1人はサイクリングの付き添いとうメンバーで、夕食時、食後の会では旅行談義で盛り上がった。
この場所(晩成)は、丁度、襟裳から広尾、大樹、厚内、白糠、釧路へ抜けるルート上にありライダーや、チャリダーのメッカになっている。
 「セキレイ館」の主人はバイクを、奥さんは自転車愛好家で、旅人の交流を促すもてなしをしてくれた。ありがたい。

 

12:31 | 2017年十勝の旅 | comments(0) | -
2017年十勝の旅(その2)

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2017年十勝の旅(その2)
【依田勉三、二宮尊信入植の地を走る】


「8月23日(火)」
々堝阿粒詰廖
 晩成〜R336〜生花苗〜湧洞〜二宮〜豊頃〜R38〜幕別〜帯広
⊇佝時刻セキレイ館: 08:45
L榲地到着時刻:16:30
そ蒜顱Д肇ぅ團ル北帯広YH
チ行距離:89km
ε係:晴れ・薄曇り
旅の記録
 4時半頃に目が覚めた。窓から差し込む光線が今日の天気を象徴していた。
 大阪の大学生は、昨晩、明日は早朝の4時に出発して釧路に向かい、部活の仲間と合流すると話していたが、彼のベットの上は整理をされていたので、その通りの、行動を行ったようである。
 朝の光線が牧草に反射して美しかったので、朝食前の時間を利用し、自転車の点検を兼ねて宿の回りを少し走った。

 

  

 「晩成の景色」

 

 「日高山脈を遠望」

 

 同室であった東京から来ていた自転車仲間は7時頃に出発をしたので、宿の主人とともに見送った。
 残った旅の仲間は5人となり皆一緒に朝食をとった。
 たった一晩のお付き合いであるが、温泉ツアー以来の人もいて、かなり、親しい話が出できる間柄となっていた。
もう少し話をしていたい気持ちもあったのだが、豊頃の郷土資料館に「10頃に行きます」と連絡を入れていたので、「そろそろ出発します」と言って腰を上げた。
 宿の夫婦、残った旅仲間全員で見送ってくれた。

 

 「セキレイ館」

 

 これから向かう豊頃は二宮尊信と興復社の人達により拓かれた地である。
 二宮尊信とは、二宮金次郎こと二宮尊徳の嗣孫である。尊信以下、興復社の人達たちは明治30年、まだ手付かずの未開の原野であったこの地に入植。当時、資本家が小作人を雇い入れて開拓事業を推進する中で、尊信は入植者を独立させた自作農に育成する報徳精神に基づく開拓を行った。これは、開拓事業の模範例となり多くの開拓を牽引する指導者たちへ影響を与えた。
 昨日と打って変わった強い日差しの中を、朝のひんやりした空気を切りながら走った。心地よかった。2時間程で豊頃の二宮地区に入いり、更にしばらく行ったところにある報徳二宮神社で小休止を入れた。
 

 「二宮の農村風景」


 「二宮報徳神社」

 

 入口の鳥居をくぐってから参道が続いており、拝殿は丸山の頂上にあった。距離にして200m以上で、休憩がてらお参りしようと思ったのに、自転車で走っている時よりもきつかった。報徳記念館に到着したのは11時前であった。

 

 「二宮小学校の銘板」

 

 「報徳記念館」

 

 「二宮尊信の墓」

 

 この館は、廃校になった豊頃町立二宮小学校の校舎を利用したものであったが、二宮尊徳、二宮尊信や報徳思想学んで開拓を行った人達を紹介する資料も展示されており充実した内容のものだった。館におられた方は元高校の世界史の先生のS氏で、その知識は豊富で二宮尊信、豊頃のことだけではなく、興味をそそる事象を沢山教えてもらえた。
 あっという間に12時を過ぎてしまった。まだ、昼食も取っていない。帯広までまだ50km以上ある。この炎天下である。今後の研究のため、自己アピールと今後の協力をお願いし、後ろ髪を引かれる思いで報徳記念館を後にした。
昼食は豊頃町役場の近くにあった唯一(?)一軒の食堂で取った。暑さのため食欲が湧かなかったが、塩分多めのメニューを選んで食べた。
 幕別〜利別の町を過ぎて、札内川を渡ってすぐのところが依田勉三と晩成社の社員が入植した場所で町名も依田町と付けられている。そこに、「帯広発祥の碑」建っている。

 

 「帯広発祥の碑」

 

 「依田町の標識」

 

 それから、3町ほど行ったところに中島公園があり、依田勉三の凛とした銅像が建っている。

 

 「依田勉三の像」

 

 「晩成社の同志」

 「十勝川」

 「札内川」

 

 そして、中島公園の向かえ側にある帯広神社に参拝し、今日宿泊予定のトイピルカ北帯広YHに向かった。
 帯広百年記念館の見学を計画していたが、炎天下の走行で疲れてしまい、割愛をした。
 YHに到着したのは16時30であった。

 

 「トイピルカ北帯広YH」

 

 

12:18 | 2017年十勝の旅 | comments(0) | -
2017年十勝の旅(その3)

2017年十勝の旅(その3)
【利別川沿いの入植地を走る】


「8月24日(火)」
々堝阿粒詰廖
 幕別〜R242〜池田〜本別〜足寄〜陸別広
⊇佝時刻トイピカル北帯広YH: 08:10
L榲地到着時刻:15:50
そ蒜顱 オーロラハウス
チ行距離:99km
ε係:曇り
旅の記録
 トイピカル北帯広YHでも印象的な出会いがあった。宿泊客は多くいるのに何故か夕食、朝食をとる人は数人だけ、夕食は4人、朝食はその4人と、3人父子?であった。そのため、夕食、朝食を共にした4人は話が弾んだ、プライベートな話はしなかったが、私を含めそれぞれが変わった人であった。一人は70歳前の長髪の自由人で、一年の殆んどを旅行に費やしていると言う大阪の人。一見、川端康成風の容姿で、今回の旅行の目的は8月22日に増毛・留萌に行くこと。その理由は、昭和20年8月22日が留萌沖でソ連の潜水艦に樺太から引揚者を載せた三隻の船が攻撃を受け多くの殉職者を出した「三船殉難事件」があった場所であったからであり、その一年前に沖縄から学徒をのせた疎開船「対馬丸」が撃沈された日と重なると言うことで、今回の旅の目的としたと話していた。こんな旅をしている人に会ったのは初めてで中々興味深い。もう二人は千葉からきたという母娘?帯広に一週間滞在すると言う。このYHをでた後は、「糠平」のYHに2泊、「八千代」のYHに2泊すると言う。特に観光地を巡るとかという考えはないらしい。お母さん?は聴き手上手で、我々初老の男性二人の話を熱心に聞いていた。そして、娘さん?は、二人の話を興味深そうに聞き入っていた。
 YHは宿泊した人達と交流するには最適の宿で、そんなことが理由で宿泊し食事を共に旅人も多いのだろう。
 7時からの朝食を済ませ、準備を整えたあと08:10に出発をした。
 今日の天気は曇りベースで、暑くもなく、寒くもなく、走行には不安材料な何もない。十勝川温泉から池田に入り、利別川沿いを北上した、途中高島にある池田町立郷土資料館に立ち寄った。
 池田町の高島地区は、横浜の実業家である高島嘉右衛門が332万坪の未開の原野を買い付け、小作人を入植させた地である。この郷土資料館にはそれらに関する資料が展示してあり、興味を持って入館した。

 

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「利別川」

 「池田町立郷土資料館」

 「池田町立高島中学校の門柱」

 「高島の農場の風景」

 

 次に訪れたのは本別町の郷土資料館である。こちらの方は、ネットでバロン西こと(ロサンゼルスオリンピックの馬術で金メダルを受賞し、硫黄島で戦死した西中佐)や戦前本別にあった軍馬供給部に関する特別展を開催していたので立ち寄った。貴重な資料が沢山展示してあり1時間ほど興味深く見学させてもらった。
 帰り際、本別町の歴史に詳しい館長さんにも挨拶をすることが出来た。その時、館を案内しますかと話されたが、これから、50kmほど走り陸別に15時30分頃には到着しなければならないのでと、「残念ながら」との言葉を添えお断りをした。そうしたら、関係する資料を郵送しますというありがたい言葉をいただき感謝感激した。

 「本別町歴史民俗資料館」

 「西中佐」

 

 館を出た後は、亡くなった馬を慰霊する忠魂の碑に参拝し、軍馬供給部十勝支所のあった現在の北海道立農業学校、それと、軍馬を送り出した旧仙美利駅に立ち寄り、足寄〜陸別へ向かった。


 「軍馬忠魂の碑」

 「北海道立農業学校」

 「軍馬供給部で使っていた古い建物?」

 「仙美利駅」

 

 通過しただけが足寄は松山千春の故郷である。走りながら千春の歌を口ずさんだ。
陸別の郷土資料館のある旧陸別駅舎に建てられたオーロラハウスには15:50に到着した。事前に連絡を入れていた郷土史家のS氏が待っていてくれていた。とりあえず、現場を案内しますと言うことで、S氏が運転する自家用車に乗せてもらい、関神社跡、寛斎の住居でもあった陸別駅逓跡、寛斎とその妻であるあいの墓所、そして、関牧場のあった場所を小一時間ほどで案内をしてもらった。

 「関寛斎の像」

 「オーロラハウス」

 

 関寛斎と言う人物は、現在の千葉県東金市の農家の子として生まれ、迎えてくれた養家の計らいで医学の道に進み、戊辰の役では官軍の奥羽出張病院長になるほどの大人物。72歳になった時に一念発起し北海道の陸別の開拓事業に全財産を投入し移住した。あまりメジャーになっていないかも知れないが、もし、彼の人生をNHKの大河ドラマにしたら、多くの人の心を引きつける物語になりそうな人物である。
 今日の夕食は関家寛斎顕彰会のメンバーとの懇親会を予定していますと言うことで、感謝感激をしてお受けした。私以外に、千葉県から一週間ほど調査研究のため滞在している方にも案内しているという。本当に心のこもったもてなしに陸別の人の温かみを感じた。
 18時からの開始であったが、あっという間にホテルの門限時間23時になって仕舞った。5時間近く何を話したのか?その一部は覚えているが、楽しく有意義な時間を過ごすことが出来た。
明日は陸別に滞在である。心置きなく眠ることが出来る。

12:01 | 2017年十勝の旅 | comments(1) | -
2017年十勝の旅

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2017年十勝の旅(その5)
【十勝から遠軽へ】

 
「8月26日(土)」
々堝阿粒詰廖
 陸別〜R242〜置戸〜留辺蘂〜遠軽
 遠軽発 「高速えんがる号(バス)」 札幌着
⊇佝時刻オーロラハウス:04:45
1鷏敕着時刻:10:30
自宅到着時刻:17:50
ち行距離:88km
ヅ係:曇り時々晴れ
ξ垢竜録
 今日は旅を終えて自宅に帰る日である。
 遠軽発13:30の高速バスに間に合わせ、かつ、アクシデントに対応できるように04:45関寛斎の像に別れの挨拶をして陸別をあとにした。まだ、薄暗いので前方、後方の車両へ注意喚起するために前・後のライトをつけてしばらく走った。夏と言えども陸別の早朝は寒い、気温は12度で、長袖にヤッケを羽織った。
 朝食は旧置戸駅のホール内で取った。

 「置戸駅」

 「人間ばんばの像」

 

  留辺蘂付近に到着した頃から、空は晴れわたり美しい農場の景色を拝めた。

 「留辺蘂付近の風景 
 
 「留辺蘂付近の風景◆

 

   留辺蘂から更に暫く進んだところに旧金華駅というところがある。その駅舎から300m程行ったところの国道242号線沿いに「常紋トンネル工事殉難者追悼碑」が建っている。そこは、元金華小学校の跡地にあった。

 「常紋トンネル工事殉難者追悼碑」

 「金華駅と停車している車両」

 

   北海道の開拓には負の遺産も沢山ある。その一つが、大正元年から同3年にかけて行われた常紋トンネル工事である。この工事では多くの労働者(タコ部屋労働と言われている)を酷使し、百数十名の殉難者を出したと言われている。
   ここから常紋峠までは数キロであるが、その峠を越えたあたりから横風が強くなり、雨がぱらつき始めた。生田原に到着したのは09:15であった。
   雨宿りがてら生田原のミュージアム「ちゃちゃワールド」に入ろうと思いきや、会館は09:30と言うことで、しばらく玄関前で待たせてもらった。この施設は今から20年前に建てられたと言う。町の活性の起爆剤として考えたのかも知れないが、いまでは、高速道路が遠軽まで延びようとしており、国道242号線を通行する車両がさらに減少して行く中で、館を維持する経費だけが膨らんでゆくのかな?

 

「ちゃちゃワールド」
 

  遠軽の町から通勤しているという受付の女性と嘆きに近い雑談をした。
  10:30遠軽に到着。輪行バックに自転車を格納しバスの到着をまった。

 

【旅を終えて】
 今年最初で最後の自転車の旅を無事に終えることが出来た。
日本一周を達成してから9年が経ち、年齢も66歳となった今、やはり体力的には大分衰えを感じるようになった。今回それを実感したのは、同じ一日の走行距離であっても、過去に走った時の距離感と現在のそれでは大分違ってきたなということ。数年前までは10kmや20kmなどは、すぐ近くと感じていたものだが、「まだ20kmあるの」、「まだ10kmもある」と言う風に感じながら走っていた。そして、中々目的地に到着せず、頻繁にサイクルメーターの距離計をのぞき込んでいた。
 私の自転車の旅は、自転車で走ることを目的としているものではなく、自転車と言う乗り物を使い歴史探索をするということであるので、一日の移動距離を短くし、天候の安定している時期を見計らって行えば、まだまだ大丈夫であろう。
   旅の動機づけで一番大切なものは、その旅を通じて「感動」を受けることが出来るかどうかである。「感動」とは人との出会いの中にあり、視覚、聴覚、臭覚などの五感で感じ取る土地そのものの中にある。
旅の醍醐味は、旅先での出会にあると言うが、まさにその通りで、「一期一会」の出会いを楽しみ、名前も交わさず、思い出だけを胸の中にしまい分かれる。
   たった4泊5日の今回の旅でもそんな思いが沢山つまっていた。
   この思いがある限り、わが旅はまだ終わらない。

11:09 | 2017年十勝の旅 | comments(1) | -