日本一周by自転車

定年退職を機に、「もっと日本のことを知りたい」との思いから日本一周に挑戦。
4,800kmを走ったところで事故にあい負傷。
一度、心に決めた目標は絶対に達成する!!
2年後、「北海道開拓の歴史をたどる旅」をテーマとして再チャレンジ!
2008年10月遂に日本一周を達成。
夢はまだ続く。
新しい目標は、自転車で旅をしながら郷土の歴史を調べる。
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ワシントンに到着
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2013年ワシントン、ニューヨークの旅
 今回はワシントンDCの隣町アーリントンに在住する知人をたより、2013年5月24日〜31日までの間、伴侶とともにワシントン、ニューヨーク旅行を楽しんだ。

「5月24日(金)」ワシントンに到着
 11:05成田発ANA NH002便でワシントン・ダレス空港に10:40分頃降り立つ。空港には知人夫婦が出迎えに来てくれていた。約1年ぶりの再会である。





 つい先日まで、気温は札幌と東京の間くらいであると聞いていたのに長袖シャツに上着を羽織らないとおれないくらいに寒い。話しによると、この天気は16日、テキサスで発生し大被害をもたらしたハリケーンの影響を受けているらしい。
 ダレス空港からワシントンDCまでの約50kmは、知人の運転するレンタカーで移動した。映画で見たとおりのアメリカの景観である。上り3車線道路が2本、下りも同じ計12車線のハイウエーが延々と延びている。所々に分岐する立体交差のインターチェンジがあり、大きな車の流れが広大な大地を貫いている。交通量は思った以上に多い。
 約30分少々でアーリントンに到着。今日の宿泊地に入る前に海兵隊戦争記念碑(硫黄島記念碑)、途中、ジョージタウンを経由し、桜並木で有名なポトマック川河畔にあるジェファーソン記念館を見学した。
 海兵隊の硫黄島記念碑は、渡辺謙主演の「硫黄島からの手紙」と同時作でクリント・イーストウッド主演の「父親たちの星条旗」に取り上げられ、その像が目に焼き付いている人も多いかと思う。硫黄島でなくなった多くの日本軍将兵のことを思うと日本人にとっては屈辱的な像と言えるのかも知れないが、アメリカ人に取っては戦意高揚の象徴としてたてられた。



 この像は硫黄島だけではなく、海兵隊が幾多の戦に先陣として派遣され、亡くなった将兵を慰霊するものでもある。台座にはそれらの戦いが明記されている。
 ジョージタウンには煉瓦造りの古い街並みが残っている。そこは明治4年岩倉使節団の一行とともに派遣された5人の少女うち最年少で参加した津田梅子が住んだ地でもある。また、そこには、宮殿を思わせるようなジョージタウン大学のキャンバスがある。



 ジェファーソン記念館は円形のドームの屋根をもつ大理石の建造物で中にゼファーソンの立像が置かれていた。当然桜の開花時期ではなく優美な景色を拝むことが出来なかったが、タイダル・ベイスンと呼ばれる池の周りにはソメイヨシノの並木が続いており、記念館の白と調和し美しい景観を臨めると推測された。記念館前に行ったとき、丁度子供達がブラスバンドの演奏している場面に出くわした。これまた映像で見たアメリカの光景である。





 あこがれの地、アメリカ到着初日。TV,映画のスクリーンでしか見ることのなかったアメリカの片鱗を垣間見ることが出来た。
 今日、明日、それとニューヨーク見物から帰ってから2日間の宿泊場所は米国防総省(通称ペンタゴン)の建物が高速道路越しに望めるアパートのゲストルームである。知人がその住居として入居しているアパートの一室を借りてくれた。
 アパートと言っても、日本で言えば大きな賃貸マンションで、この部屋は1LDKにバス・トイレ室付、それも家具、電化製品が全てそろっている豪華なものである。4泊5日間のワシントンDCでの生活を満喫するに十分すぎるものである。











「アパートと付近の景観」

 

04:58 | ワシントン、ニューヨークの旅 | comments(0) | -
ワシントンの主要施設を見学
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 「5月25日(土)」ワシントンの主要施設を見学
 日本とワシントンの時差は13時間。昼に成田を発ち、ワシントンに到着したのは出発とほぼ同時刻。この移動のために日中が2日間連続するのであるからたまったものではない。老体の身には流石につらい。こめかみ辺りが熱っぽく頭はぼーっとしていて、当に時差ぼけ状態。しかし、この日の空の青さがイヤな気分を吹き飛ばしてくれた。
 今日はアーリントン墓地、国会議事堂、議会図書館等、知人が勧めるワシントンの主要な3個施設を見学した。そして、夜はジョージ・タウンのシーフード・レストランで夕食を摂った。
 アメリカでは5月27日が『メモリアルデー』といって戦没者追討の日である。この週末から月曜日にかけては、メモリアルデー関連の行事が行われていた。丁度そんな日にアーリントン墓地を見学する機会を得たことはラッキーであった。










「R F ケネディーの墓碑」

 このアーリントン墓地。日本の持つ暗い墓のイメージはまったく無い。丘陵に立ち並ぶ十字架の列さえなければ、そこは一大ピクニック場といった感じである。
 今日は老若男女、色とりどりのカラフルな服装をした多くの人達が訪れていた。全米各地から集まったのだろうかハレーに乗る退役軍人のいくつもの集団が異彩を放っていた。



 そして、立ち並ぶ白い十字架の前には、一本・一本、星条旗の小旗か掲げられていた。この小旗の数40万本?メモリアルデーに先立ち陸軍の兵士達によりたてられたそうである。



 『無名戦士の墓』の前に行ったとき黒山の人だかりがあった。それは、衛兵の交代式に出わしたためで、厳粛な儀式の真最中であった。衛兵は一秒間に一歩、時計の針のように正確に碑の前を21歩で往復し慰霊碑を警護している。戦没者に対する最大の敬意の証である。





 この墓は、観光地ではないが、是非ゆくべき場所である。アメリカ合衆国の偉大さ、国家意識、愛国心を体感できる場所である。
 国民と国家との関係を、R・Fケネディーは「祖国があなたに何をしてくれるかを尋ねてはなりません。あなたが祖国のために何を出来るか考えて欲しい」。と名言を残したが、この墓地を訪ねて、「国家は、いつもあなた達国民を守っている」。と言うアメリカ合衆国国家のの立つ位置を感じ取った。ひるがえって日本はどうかと言うと国のためにと信じて死んでいった英霊を祀る靖国神社に国政の関係者が参拝するだけで、近隣国から注文をつけられる。何でこんなことになってしまったのか、まことに寂しい限りである。

 その後に訪ねた国会議事堂。これまたすごい建造物である。TVのニュース映像でしばしば登場し、その大きさはある程度承知をしているが、建物そのものと、建築されている場所、周辺の景観、それら全体を把握することにより、この建物がアメリカ合衆国国民に求めているものを理解できそうである。
 ワシントン市街地のかなり先からでもその威容を拝むことが出来る。建国当時の指導者達は、アメリカ合衆国建国の象徴として建てたのだろう。













 建築時期は1800年代のはじめ、中央の巨大なドームは南北戦争の最中、時の大統領リンカーンの一声によって現在の姿に再建された。その建造に約4000トンの鉄が使われたという。北軍司令官は弾薬、大砲をさらに欲していた。しかし、リンカーンはアメリカ合衆国の象徴としてのドームの建設を優先した。
 今回は国会議事堂案内ツアーにも参加した。英語が解せずガイドが何を言っているのか分からなかったが、説明の中で「フリーダム」と言う言葉を何度も、何度も耳にした。心地よい言葉であった。
 大陸から移民した人達は、新天地アメリカに自由な新しい国を築こうと奔走したのだろう。そんな国の建設を夢見た指導者達の立像がドームの中に整然と並んでいる。
 国会議事堂のすぐ裏手には議会図書館が建っている。調査研究を目的とした図書館で、規模、所蔵図書とも世界最大を誇る。イタリア・ルネッサンス様式のドームを持つ巨大な建物である。館内を見学して我が目を疑った。内部の装飾は当に神殿。なぜここまで凝だわるのかと考えざるを得なかった。建築されたのは1897年で、まだ、アメリカ合衆国はヨーロッパ列強から見れば新参者であった。











 夕食は、知人にアメリカのレストランでの食事を味わいたいとお願いし付き合ってもらった。
 意外かな、ワシントンDCには、映画の場面で見るような気取ったレストランは少ない。元来、アメリカには日本の様に外食すると言う習慣はあまりないと言う。正装してコース料理を食べる。あれは、映画だけの世界なのか。一般庶民に定着した文化では無いみたいである。
 食事を終えた感想。やはり日本の食事の方が繊細で、美しく、美味しい。



 また、国会議事堂の近くでコーヒータイムを取ったが、近くにはレストラン、コーヒショップなるものが少なく、また、あっても店じまいをしている所が多くあった。そして、入店した店でも、奥のブースは椅子で閉鎖してあり、お客がいるブースにあっても掃除を始めた。
 これには唖然とした。知人に聞いたら、店の閉店時間というのは決まっていなく、お客の入りが少なくなったら何時でも閉めるらしい。
04:40 | ワシントン、ニューヨークの旅 | comments(0) | -
ニューヨークへアムトラックで移動しジャズライブを聞く
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 「5月26日(日)」ニューヨークへアムトラックで移動しジャズライブを聞く
 期待した都市間縦貫高速鉄道アムトラック。ここでもアメリカ人の価値観を見た。
 アメリカの人には申し訳ないが、列車の車体・窓ガラスはほこりだらけ。いつ洗車をしたのだろうか?駅・車内での丁寧な案内は無い。これが、アメリカの誇る鉄道なの?





 外国人観光客は日本の新幹線に乗ること自体が観光であると言うが、この列車に乗ってその意味するものが理解できた。乗り物に対する日本とアメリカの文化・価値観の違いである。アメリカにあって鉄道とは乗客を安全に目的地まで運ぶことが第一で、快適に乗っていただくという発想はない。
 実はこのアムロラックの乗車で大ハプニングがあった。
 ワシントンDCを発車して間もなく、乗車した列車が何故か停車した。車内放送の案内は無い。30分くらいしてやっと車内放送があった。英語で何を言っているか分からない。車内はいたって平穏。乗客に動きは殆ど見られない。
 そして、暫くして線路脇の小道を救急車が通過した。後で知ったのだが、人身事故が遭って列車が停車したことが分かった。
 それから、暫くして隣の線路に後続の列車が停車した。しかし、なぜか、数分の停車でその場を離れた。そして、さらに暫くの間をおいて次の列車が停車した。
 車内の乗客は棚の荷物を下ろし始め、順次前方車両へ移動を始めた。なんだか、隣の列車に乗り移るような気配である。しかし、車内放送は無い。
 我々も、他の乗客の動きにあわせトランクを降ろし、乗客の列に加わり前方車両へ前進した。我々の乗車した車両と横付けされた車両には橋渡しがされてあり、乗客はそれらを伝って隣の車両に乗り移った。座席につき、暫くして列車は発車した。この間に特別な車内放送は無かった。



 日本国内では考えられないことの連続である。
 その日のニュースで、この列車事故が取り上げられたのか、或いはニュースになら無かったのか分からないが、一番感じたことは、列車の乗客の平穏な行動である。誰一人、声高に言葉を発する者がなく、我れ先を争い行動をするものが無く、ごく平常の行動を行っていたことである。
 日本であったら、「どうなっているんだ」。と乗務員にくってかかる人。「乗客の安全はどうなっているんだ」。と騒ぐメデア。大変な騒ぎになっている事態である。
 この乗客の行動の原点とは何なのだろうか?日本の25倍の領土、多民族国家、英語が共通言語であるが、日常はそれぞれの母国語で生活する国、身を守るため銃の所持を許される国。そこには、身の安全を保障されている日本国民とは背景が根本的に違う。この様な列車事故は大した事故ではなく日常生活に起こりうる事象の一つなのだろう。
 ところで、事故現場の車掌、鉄道運行関係部署の対応処置はどうであったかというと。たった2時間の遅れで乗客を目的地まで安全に運んだ。現場責任者の的確な判断力、これは評価に値すると思う。責任が不明確な日本のシステムを検証する上で参考になる場面であったと思う。
 そして、ニューヨークに2時半頃に到着した。時差ぼけからも解消されておらず。ウィンドーショッピングとジャズバーに行くことだけが、その後の行動のすべてであった。









 それらの場所はマンハッタン島の先っぽ付近、チェルシーからグリニッチビレッジと言うところで、ジャズバーの名前は「スモール・ビレッジ」と言った。50人もの人が入ると身動きができなくなる程の小さなバーであった。このジャズバー。一度入ったら、顔パスでその後の出入りは自由と言う店。いたってローカルの場所であった。
 場所を選ぶ時に特別なこだわりは無く、値段と場所だけで選んでのだが、逆にこの小さなジャズバーによりニューヨークの下町の雰囲気を楽しむことができた。





 ところで、この場所にきてやたらと目につくようになったのだが、古い煉瓦造りのアパートの壁にむき出しの階段がついていること。後で聞いた話しでは、100年以上前にニューヨークで大火があり、非常口の無い建物で多くの人が亡くなった。そこで、非常口の設置を義務付けたが建物内に作ることができず。外付けの階段になったという。



 この階段で思い出すのは、我々団塊の世代で心躍らされた映画『ウェストサイド物語』の一場面である。こんな非常階段の上と下で、ナタリー・ウッドとリチャード・ベーマーが『ツナイト』を歌のであるが、その場面はいまでも覚えている。1960年代に撮影されたこの映画はこの付近で撮影をされたのだろうか?
04:33 | ワシントン、ニューヨークの旅 | comments(0) | -
ニューヨークのランドマーク エンパイア・ステートビル
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「5月27日(月)」ニューヨークのランドマーク エンパイア・ステートビル
 ニューヨークに来たのだから色々なところに行きたい。と思えども、疲れと土地勘のなさで、それ程廻ることはできなかった。
 遅い朝食をホテル近くのカフェーでとり、妻ともにエンパイア・ステートビルへ。1930年に建てられ、映画『キング・コング』の舞台となった古いビルであるが、未だニューヨークのランドマークとしてその偉容を保っている。25ドルを払えば86階の展望台まで上ることができる。





 1時間もあれば見学できるものと軽いつもりでビルの前に行ったが、今日は『メモリアルデー』で、ビルの前に長蛇の列があった。その列に加わった。ビルに入り1階フロアにエレベーターがあり、すぐに乗れるものと思いきや、右に左に振り回され、乗り込むまで約1時間。しかし、この待ち時間が意外と苦痛ではなかった。東京スカイツリィーには上ったことがないが、日本人ばかりの列に並ぶのと、周りは外人ばかり、それも、英語、フランス語、スペイン語、ドイツ語、中国語、その他どこの言葉か分からない言語が飛び交い、服装もまちまち、そんな人達の姿を見るのも楽しい。



 そして、86階の展望台に上がった。360度の大パノラマ。周りのビル群が小さく見える。まさに絶景。ニューヨークに2泊3日して色々なところを見て回ったが、エンパイア・ステートビルでの体験が一番だった。















 最初の予定であれば、この後、昨日訪ねたイーストビレッジでのショッピングを考えていたのだが、知人と合流するセントラルパークでの集合時間が迫っており、そのまま、イエローラインの地下鉄で最寄りの駅に向かった。
  これまでは、知人の案内で地下鉄に乗っていたが、妻と二人で乗るのは初めての体験。ちょっと不安な気持ちと何かワクワクする楽しい気持ちが交差する中で乗り場に向かった。
 ここでちょっと、ニューヨークの地下鉄事情を記す。
  まず、それ程危険とは感じなかった。乗っている乗客はヒスパニック系の人が多く、観光客とおぼしき人はそれ程いないように感じた。
 ワシントンの地下鉄も同様であるが、同一線路に複数路線の車両が走っており、使われている線路は共用である。車体の形状・色も同じである。そのため、注意して見ないとその電車がどこ行きなのか分からない。当然時刻表というようなものは無い。識別は、車体に小さな電光掲示がしてあるだけで、年寄りの目にはその識別をできない。唯一確かめられるのは、ホーム中央にある電光掲示板で、ここに、路線名、目的地、ホーム到着までの時間が掲示される。乗車中の車内放送は早口でスピーカーから流れる音声も明瞭ではなく、何を言っているのか分からない。車両内の一ヶ所、ドア付近にある案内掲示の見える場所に陣取り注視するしかない。 









  幸い間違いなく目的の電車に乗ることができ、最寄り駅で下車できた。
 地上は人・人・人。何故こんなに人が多いのかとおもえる程の人混みであった。屋台でホットドックとワッフル、それとコーラを買い、公園のベンチで食べた。これが周りの人に溶け込む最良の行動である。



  そこで、知人と待ち合わせ、園内のビューポイントで記念撮影。その後、女性陣の先導で5番街の店舗をハシゴした。













  高級ブランド店が軒を並べている。お金さえあれば一日いても飽きない場所であるが、貧乏人のわれわれは、ショウケース越しに宝石、バック等を眺めただけで満足した。
 今日の夕食はレストラン『大戸屋』と決めていた。実は、昨晩、ジャズバーに入る前にこの店を発見し、ここで食べようと決めたのだが、1時間半待を告げられ諦めた。そうなると、やけに食べたくなる。そして、今日は開店30分前から店内で待たせてもらい、本日入店一号の客として食事をした。
 『大戸屋』。日本では大衆食堂に毛の生えたような店であるが。ここニューヨークでは高級な雰囲気のレストランとなっている。接客の挨拶は日本語である。中々人気があるのか席はすぐに埋まった。メニューも日本にあるメニューを多数取り入れていた。我々が座った席の隣には、10年ほど日本に住んでいたという女性とそのご主人?日本語で「トンカツが食べたくて来ました」と親しみを込めて話しをしてくれた。
  食事の後、知人とは途中の地下鉄の駅で別れ、我々夫婦はニューヨークの繁華街の中心、タイムズ・スクエアに足を運んだ。ニューヨークを訪れた外国人観光客が是非訪ねたくなる場所でもあり、色々な人種の人々が集まり記念撮影をしていた。街全体としてネオンサインがけばけばしくないニューヨークにあって、ここだけは別である。各国の商品を宣伝する場所となっている。宣伝効果は抜群である。ここで広告を出すにはかなりの出費がいるのだろう。一方のスクエアに『THOSIBA』、『SONY』のネオンが、他方のスクエアに『SAMSUN』が競い合って大きなネオンの光を放っていた。




  繁華街のネオンサインでは日本の都市も負けてはいない。普段から見慣れたネオンであり、タイムススクエアの景観は思ったほどの感激を与えなかった。暫くそのネオンを眺め、暗くなった道のりをウインドウ・ショッピングをしながら歩いてホテルまで帰った。
 
04:20 | ワシントン、ニューヨークの旅 | comments(0) | -
ニューヨークの一日バスツアー
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 「5月28日」ニューヨークの一日バスツアー
 ニューヨーク最後の一日である。今日は現地ニューヨークにある旅行会社の企画ツアーで「一日市内観光」に参加した。
 08:30に集合し、マンハッタンの主要な観光名所をバスで周遊するもので、ガイドは日本人、乗客は全てが日本人。このツアー企画、始めてニューヨークを訪ねる人にとっては、主要な名所を見学することができるので便利である。反面、もっとニューヨークの雰囲気を味わいたいと思われる人には少し物足りない。





























 不幸か、我々は2日間ニューヨークを自分の足で回っていたため少し緊張感が無くなってしまっていた。
 このバスツアーで、また、日本では考えられないようなトラブルが。



 この日は、昼頃から小雨が降り出した。そして、暫くしてから車内の数カ所から雨漏りがはじまった。車は日本で言えばマイクロバスで、外観は割合新しい。そんなバスが雨漏り。乗客の苦情に運転手(中国系の人?)は、太めのセロハンテープを手に応急処置。これで終わり。日本でこんな事が起きたら大変である。その旅行会社のメンツは丸つぶれで、会社の存続さえ危ぶまれる事態になるだろう。しかし、ここニューヨークではこんな事態が通用する。
 15:30にツァーを終え、知人夫婦と合流しニューヨーク18:30発のアムトラックでワシントンDCに戻った。
 帰りの列車はいたって順調に走行し、21:30頃にセントラル駅に到着した。そこから、地下鉄に乗り換え22:30頃にアパート近くの駅についた。
 ここで、また意外な光景が。
 エスカレーターがすべて止まっているのである。アメリカではお客様優先ではなく経済優先で、採算の取れない路線は廃止。採算を維持するためにはなせる処置を何でも行う。乗降客が少なくなったらエスカレーターを止め、止まったエスカレーター上を歩かせる。
 日本だったら危険だと言ってやらないだろう。こんなところがアメリカである。


04:08 | ワシントン、ニューヨークの旅 | comments(0) | -
ワシントン最後の日
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 「5月29日(火)」ワシントン最後の日
 到着当初の寒さとはうってかわり、今日の気温は摂氏32度。日差しは真夏と同じ。
 最後の一日となった。この一週間の行動で、アメリカの雰囲気にも慣れ、ワシントンDCの地のりについてもかなりインプットされてきた。知人に話し、午前中〜昼過ぎまで一人で散策するので、その間、妻の買い物に付き合って欲しいと頼んだ。
 まだまだ見たいところはあったが、4時間程度で回れる場所としてペンタゴン、歴史博物館、航空宇宙博物館を選んだ。





 ペンタゴンの屋根は、宿泊場所から眺められるので、歩いても行けるだろうと、朝の散歩を兼ねてカメラと地図を片手に歩き始めた。高速道路をくぐり、ペンタゴンの敷地に出た。駐車場が延々と続く。その広大なコンクリートの建物は圧巻であった。周りは立ち入り禁止、撮影禁止の看板と、所々のポイントには衛兵が立っていた。近くから外観を見ることだけが目的であったので、建物の外周を半周しながら次に乗車する地下鉄の駅を目指して歩いた。
 地下鉄乗車駅の標識はあれども、それがどこにあるのか分らない。2度ほど道行くミリタリールックの人に聞いた。最終的にはゲートを警備する衛兵に聞き、駅を探し当てた。その場所は、当にペンタゴンに直接通じる経路の地下にあった。
 そこから地下鉄に乗り、歴史博物館の近くにある『フェディアル・トライアングル駅』で降り、地上に出てびっくり、そこは宮殿の中庭のような場所で、『ロナルド・レーガン・ビル』という建物の敷地内にあった。









 同ビルの回廊を通り抜け、道路を挟み向かえ側に目的の『歴史博物館』があった。二つの入場者の列のうち大人の人達が並ぶ列に加わった。もう一方の列には黄色、赤色、青色など統一されたスクールTシャツを着る子供達の列であった。



 館内は広く、3階に渡って両サイドに目的区分毎のブースがあり、視聴覚にうったえる展示が為されていた。英語が分からないので書かれている内容を解することはできなかったが、写真と展示物を見るだけで大体のことが分かった。


「リンカーンのデスマスク」

 アメリカの歴史は浅い。原住民であるインディアンの歴史を除けば、1492年のコロンブスによるアメリカ大陸の発見が最初で、その後、ヨーロッパ大陸からの移民がはじまり、イギリス、フランス、スペイン等による植民地の時代。独立戦争をへて国家建設の時代。西方への領土拡大、南北戦争、帝国主義時代、覇権国家へと拡大と繁栄を続けている。   
 しかし、現在はその絶大な覇権国家としての地位も低下しつつある。
 歴史博物館はこれら繁栄の歴史を分かりやすく展示している。スクールTシャツを着た子供達は博物館を見学することにより、これらの国家建設と繁栄の歴史、フリーダムの精神を学んでいる。
 次に向かったのは航空宇宙博物館。ここの人気はことさら高い。大きな建物のスペースにところ狭としと飛行機、ロケット等が展示されている。今回は見学しなかったが、ダレス国際空港の南側に別館として『ウドバー・ハジー・センター』というのがある。これらの博物館により、アメリカだけではなく、世界の航空・宇宙への挑戦の歴史が分かる様になっている。











 ワシントンDCにある国立の博物館は全て無料である。館の維持には莫大な予算を投入しているはずであるが、日本と価値観の違いである。アメリカ合衆国の歴史、文化、産業、芸術等々を広く国民一般に知らしめ、特に子供達に対する教育に重きを置いているのだろう。われわれ外国人にもその恩恵を与えてくれているのはうれしい。
 歴史博物館を出て航空宇宙博物館に入るまで、グリーベルト地帯と言っていいのか分からないが、国会議事堂からリンカーン記念碑に連なる緑地帯を歩いて横断した。その幅は約500m。ここの景観は圧巻である。





 丁度通過した時は、昼休みの時間帯で、観光客だけではなく、ジョギングをする人、芝生に寝そべる人、ベンチでランチを食べる人等、ごく自然な姿でくつろぐ人々の姿があった。
 そろそろ、予定した時間が近づいたので、個人での散策を切り上げ、一旦知人のアパートに戻った。
 最後の見学場所であるリンカーン記念碑、ホワイトハウスへは知人の案内で妻共々向かった。
 リンカーンは自由の国アメリカのシンボル的な大統領で、アメカ国民が一番愛する大統領である。







 その記念碑は国会議事堂から連なるグリーンベルトの西端、ポトマック川河畔にある。そのさらに先がアーリントン墓地で、一直線にメモリアル道路が連なる。
 リンカーン記念碑の前庭と言っても良いのか、その東側に長方形のプールが延び、その両サイド南側に朝鮮戦争戦没者慰霊碑が、その反対北側にベトナム戦争戦没者慰霊碑、そして、プールのさらに前方に第2次世界大戦記念碑がある。この場所は、アメリカ合衆国国民にとって大切な場所なのである。
 第2次世界大戦記念碑のさらに前方にワシントン記念塔がある。高さ169m、石造建築物としては全米1の高さを誇るものである。ワシントンDCではこの塔より高い高層建造物を建てることはできないのだという。ひときわ異彩を放っている。









 ホワイトハウスは、その記念塔の北側奥に建っている。歴代の大統領はこの塔を仰ぎ見て国政にあたっているのだろうか、初代大統領ワシントンから「アメリカ合衆国建国の精神を忘れるな」と、いつもにらまれているようである。
03:51 | ワシントン、ニューヨークの旅 | comments(0) | -
ワシントンと発ち帰国の途に
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 「
5月30日」ワシントンを発ち帰国の途に
 日本には戦後アメリカの文化がどんどん入ってきた。特に1960年代後半から70年代の高度成長期に青春時代を過ごした私にとって、ハリウッド映画に出てくるアメリカはあこがれで、当時流行したロックとともにアメリカの文化にかぶれていた。それから、40年近く経った今、アメリカの中心ワシントンDC、ニューヨークを訪れてみて、確かに映画で見たアメリカはそこにあったが、しかし、それらの都市は意外なほど歴史の重みを感じさせる街であった。 
 R・Fケネディーは「祖国があなたに何をしてくれるかを尋ねてはなりません。あなたが祖国のために何を出来るか考えて欲しい」。と演説をしたが、その言葉に象徴されるのがアメリカであるように感じた。
 自由主義国家の盟主としての誇り、国家意識、愛国心、それらを強く感じさせたのがワシントンDCであり、経済原理優先で色々な人種がそれぞれの文化を大切にしながら生活しているのがニューヨークであった。
 自分のことは自分で守る。些細なことで動じない。互いに相手を尊重する。公共を大切にする。アメリカ合衆国国民にはこれらの精神が行きわたっている。どこかの国民のように、何でも国がやってくれるものという甘えの構造はない。
 外国旅行をして日本の良さが分かるとよくいう。
 過去何度となく海外旅行をしているが、それは、旅行会社の企画ツアーであり、飛行機で現地到着後、バス、鉄道で観光地をまわり、定めれたホテルに宿泊をする。そんな、旅行であった。
 一部フリープランとして自分たちで行動する時間があった、中々単独で行動するのには勇気がいるので、どうしても、企画されたオプションプランに乗ることが多い。
 今回は、知人の協力を得て自らのプランで回った旅であったため、ご当地のことを色々感じ取ることができた。その結果、日本との違い、日本の良さ、日本の問題も気づくことができた。
 ニューヨークには一つの町を築く程に大きい中国人街があり、全米の主要都市には規模の差こそあるが中国人街がある。それに対し日本人街が無いのは何故かと知人聞いたら。アメリカに住む日本人はいずれ日本に帰りたいと思っている人が多い。みんな日本のことが好きだからだと聞いた。その答えは的を得ていると思う。アメリカはすばらしい国だと思うが、そこに定住したいとは思わない。
 それともう一つ記録に残したいのが、アメリカは誰でもが成功の果実をつかみ取ることのできる自由な国と言うけれど、そこには言語の壁が存在しているようで、うまく英語を話せないヒスパニックの人達等は社会の底辺の仕事に就かざる得ない構造になっている。ホテル、レストラン、スーパー、商店等の従業員、タクシー運転手、清掃等で働く人達のほとんどは、ヒスパニックの人達で、それにアフリカから来た人、アジアの人達が混じる。ここから、はい上がり、ホワイトカラーになれる人はほんの一握りである。
 1週間のワシントン、ニューヨーク滞在を終え、疲労困憊のなか日本へ向かった。帰国便はANA NH001便。ワシントンダレス空港を12:20に出発し、成田には予定より一時間早い14:30に到着した。日付は31日に換わっていた。


「ダレス空港前の駐車場」






あまり見かけない「自動販売機」


「レンタル自転車」


「レンタル自転車の料金システム」


ハイブリッド車が多い「ワシントンのタクシー」


「新聞の販売機」


「ニューヨークの備いるの屋根には水タンクが設置されている」


「屋根の上の庭」


「アーリントン墓地にあった公衆トイレ」






「ワシントンの地下鉄」


「アムトラックと駅の電光掲示板」




03:32 | ワシントン、ニューヨークの旅 | comments(2) | -