日本一周by自転車

定年退職を機に、「もっと日本のことを知りたい」との思いから日本一周に挑戦。
4,800kmを走ったところで事故にあい負傷。
一度、心に決めた目標は絶対に達成する!!
2年後、「北海道開拓の歴史をたどる旅」をテーマとして再チャレンジ!
2008年10月遂に日本一周を達成。
夢はまだ続く。
新しい目標は、自転車で旅をしながら郷土の歴史を調べる。
弘前へ向けて列車で移動

 2012.10.30
「弘前へ向けて列車で移動」

行動の概要:JRで札幌〜函館〜青森〜弘前
札幌駅出発:10:37
弘前駅到着:16:41
天候:くもり、夜小雨
宿泊:ベストウエスタンホテルニューシティー

ブログに記事を書くのは1年半ぶりである。
この間、休眠していた訳ではなく、アルバイト程度の仕事をしながら、自転車を移動手段として、年に数回小旅行をしてきた。それは「北海道開拓の歴史」をテーマとした調査研究活動でもある。
日本一周から早いもので4年、もう還暦を超えてしまったが、自転車による旅は楽しく、それに、歴史と言うテーマを加えると、楽しみは倍加する。できれは、後10年くらいは、こんな活動ができればと思う。
ところで、なぜ、久々に記事を書く気になったのかと言うと。
最近、ある山に、ある人と登山を一緒した時のことであるが、旅の記録を残すことは大切であるとぶってしまった。しかし、言った本人はどうかと言うと。手を抜いて、やりっぱなし。後で整理をしようと中途半端な様態で、記録はパソコンの中に画像とともに、しまい込んだままである。
人前で言った手まえ、今回の小旅行はブログに残そうと思った。できれは、それ以降も残したいが、約束はできない。

今日、10月30日は仕事の明け日で、職場から輪行バックに詰めた自転車とナップバックをかつぎ、JR札幌駅へ向った。キャリアバックと着替えなどの荷物は事前にホテルへ送ってある。
10:37札幌発函館行きのスーパー北斗10号に乗り込んだ。その後は、函館、青森で乗り継ぎ弘前まで列車移動である。
気楽なものだが、気持ちは勤務あけのけだるい感じで、旅人のそれにはなっていない。

旅が始まる前に、ちょっと、今回の旅の目的と経緯を残しておくことにする。
旅のテーマは、「幕末、蝦夷地警備で殉死した津軽藩士72人の歴史をたどる」である。
ロシアの襲撃に対し、文化4年(1807年)斜里の警備を命ぜられた津軽藩士100名のうち、なんと72名もの隊士が、飢えと寒さにより殉死した。
この歴史調査の前段は、8月下旬に殉難地である斜里で行っており、今回は後段、出立地の弘前・津軽で調査である。

11月も近づくと日の暮れるのが早い。弘前駅前のホテルについた時は、もう薄暗くなっていた。
早速、事前に送った荷物の紐を解き、キャリアを装着し、走行の準備を行った。

10:11 | 2012年津軽の旅 | comments(0) | -
弘前の史跡散策

 2012.10.31(水)
「弘前の史跡散策」

見学(訪問)場所:法立寺〜長勝寺〜革秀寺〜弘前城〜弘前図書館〜観光コンベンションセンター〜りんご公園〜武家屋敷岩田家〜藤田記念庭園〜観光館横記念建築物
走行距離:21Km
天候:くもり
宿泊:弘前YH

弘前には過去2回度来ている。最初は結婚した翌年の5月の連休で、札幌から弘前の桜と青森観光を目的に来た。
無茶をしたもので、妻のお腹の中には妊娠5カ月の長男がいた。産婦人科の先生は5ヶ月だから大丈夫。少し体を動かした方がいいと言ったものだから、真に受け2泊3日の旅行をした。しかし、途中、妻が気分を悪くし、よくも、そんな旅行をしたものだと知人に言われた。それが、最初で、日本一周で訪ねたのが2回目である。
今回は、ある程度津軽の歴史を勉強してからの来訪で、30日の記事にも書いたように、津軽藩士殉難の歴史と津軽の歴史をテーマとしての訪問である。


「弘前駅前(ホテルの窓から)」


「駅前からスタート」

今回の旅行に際しては、弘前在住の二人の方に協力をお願いし、アポイントメントを入れていた。その一人は弘前図書館のS氏で、もう一人は観光コンベンションセンターのI氏である。
7時45分にホテルを出て行動を開始した。お二方と面談をする前に、斎藤分吉の墓がある法立寺、津軽家の霊廟のある長勝寺、初代藩主津軽為信の霊廟がある革秀寺、弘前城を急ぎ足で廻ってきた。
斎藤分吉という人は、我が輩の研究心を目覚めさせた津軽藩士で、斜里の警備に参加し、17人の生き残りの一人として津軽に帰った人。分吉は、「松前詰合日誌」という事件の顛末(任務をもらい、弘前を出立してから、任務を終え、弘前へ帰るまでの記録)を記した日記を書いた人で、この日記が昭和29年に東京神田の古本屋から出てきたことから、この事件が明らかとなった。


「弘前城から眺める岩木山」



「弘前城天守」


「弘前城追手門」


「弘前城下を流れる岩木川」

法立寺には、事前に電話で一報を入れていたので、対応してくれた住職のお母さん?は、お墓の場所まで案内し概要を説明してくれた。先代の住職の時、地元に熱心な郷土史研究家がいて斎藤勝利(分吉)の墓を探すため、弘前にある日蓮宗6寺の墓、すべてを探し、この法立寺に勝利の墓があることを発見したと言う。
しかし、そのようにして発見されたお墓も守る人がいなくなり、無縁仏となってしまっていると言われた。
最近は、我が輩のように北海道から訪ねてきてお参りする人が増えてきていると言うが、地元弘前で斎藤分吉(勝利)を知る人がほとんどないと言う。
帰り際、北海道の斜里町で作った郷土史資料を見せ、斜里では津軽藩士殉難の歴史を町をあげて伝えていると話をし、お墓をしっかり守って下さいとお願いした。


「法立寺」



「斉藤勝利(文吉)の墓」

その後は、津軽家2代目藩主以降の霊廟があり、津軽氏の菩提寺である長勝寺を訪ねた。しかし、初代藩主為信の霊廟がなく、為信の木造も見学させて貰えず、がっかり。解説員から為信の霊廟は岩木川を渡ったところの革秀寺にあると聞き、同寺を訪ねた。距離にして1Km少々、こんな時に自転車は便利である。


「長勝寺門前」



「長勝寺山門」


「津軽氏霊廟」


革秀寺の山門をくぐった丁度その時、ほうきを持つ2人の女性がいて、今、まさに霊廟の掃除をするところであった。「イイですか?」とお願いし、後をついていった。
これは、ラッキーであった。普段は見学することができない霊廟の中を見ることができ、本物の津軽弁も楽しく聞かせてもらうことができた。うち一人の義理の姉妹が札幌にいるということで話が弾んだ。
霊廟内の清掃はそれほど頻繁にするものではないようで、偶然も偶然で、何か因縁を感じる。
霊廟の天井には「飛天の図」が描かれ、「木造太閤秀吉座像」が安置されていた。


「革秀寺」



「弘前藩の開祖 津軽為信の霊廟」

その後、弘前図書館、そして、観光コンベンションセンターを訪ねた。
観光コンベンションセンターのI氏とは、以前、札幌市内でお会いしたことがあり、2度目の再会でもあった。この度は、津軽でしか知ることのできない色々な資料を準備して下さり、大歓迎をしてくれた。昼食には斜里との交流で中心的な役割を果たされているというM氏も同席して下さった。かなり以前からお付き合いをしているような感覚で楽しく歴史談義をすることができた。


「弘前市立観光館」

「弘前ねぷた」


「津軽為信の像」

弘前にも今年9月に「津軽藩士殉難慰霊碑」が建立されたと言うことで、M氏の案内を受け慰霊碑のある「りんご公園」へ向かった。そこは、元、ある農家のりんご園であったものを、弘前市が買い取り観光農園として解放している。
その施設の中心となる場所に、その碑が建立されていた。


「弘前市 斜里町友好記念碑」

M氏とは観光館で分かれ、残った時間で弘前城周辺の史跡を見学した。そして、今日の宿泊地である弘前YHに向かった。

「「旧藤田邸」


「旧藤田邸 庭園」


「旧弘前市図書館」


「旧弘前郵便局 ミニチュア」


「旧弘前市役所 ミニチュア」


「旧弘前公会堂 ミニチュア」


「旧弘前 偕行社」


「武家屋敷 岩田家」

弘前YHについたのは16時過ぎ、今日は勢力的に動き回った。


 

10:10 | 2012年津軽の旅 | comments(0) | -
弘前から太宰治ゆかりの地へ

  2012.11.1(木)
「弘前から太宰治ゆかりの地へ」

行動の概要:弘前〜五所川原〜金木〜十三湊〜小泊
弘前出発:06:55
小泊(宿)到着:14:15
走行距離:86km
天候:くもりのち雨
宿泊:民宿柴崎

文学青年でなかった我が輩は、太宰治の小説を読んだことがなかった。
津軽の郷土史関連の資料を読んでいて、太宰治の「津軽」という小説のあることを知った。「津軽」という題名に引かれ、ちょっと気分転換に読んで見るかと、そんな軽い気持ちが動機である。
小説「津軽」には、日本一周で訪ねた地、また、今回訪ねようとしている地名が出てきて、何か引き込まれるように一気に読み干した。
今日走ったコースは、太宰が旅の終盤に訪れるコースであり、宿泊地の小泊は、太宰が「津軽」の中で語っている様に、「このたび、私が津軽へ来て、ぜひとも逢ってみたい人がいた。私はその人を、自分の母だと思っているのだ。30年ちかくも逢わないでいるのだが、私は、その人の顔を忘れない。私の一生は、その人に依って確定されたといっていいかもしれない」。
太宰が是非会いたいと思っていた“タケ”が住む地で、物語のクライマックスを飾る地である。我が輩もあえて小泊を泊地に選んだ。

今日の天気予報は、低気圧が近づいており、昼ごろから雨が振り出し、夜は大荒れの天気になると言っていた。それなら、雨が降る前に小泊まで行こうと、朝食を早く準備してもらい、7時前に弘前YHを出た。

弘前城の北側を巻くように、まず、県道31号から37号を進み鶴田から国道339号線に入り北上をした。


「たわわに実った林檎 弘前から五所川原の途中」


「途中のリンゴ農家の屋敷?」


「鶴が羽根を広げて飛んでいるような 陸奥鶴田駅」

太宰治の生誕の地、金木には9時少し回った頃に到着した。「斜陽館」が実家である。記念館になっており、すばらしい建物であると聞いていたので見学をした。
受付で「ガイドはあるのですか?」と聞いたら、ちょっと面度くさそうなそぶりで、「説明は30分ほどかかりますが、お時間は大丈夫ですか?」との弁。雨が気になり、ちょっと躊躇したが、「イイです。」とお願いした。説明員は受け付けの女性本人であった。一人のお客さんのためにと思ったのか?分かるような気がする。
現物を見ながら説明を聞いていてど肝を抜かれた。当時のお金で4万円、現在のお金に直すと約7億〜8億円。一つ一つの装飾が超一流のものを使っており、−すばらしい− の一語に尽きた。そして、説明の中でポイントとなるものをメモした。
サイクリングの格好と、熱心にメモする姿を見てだろうか?「どこからですか?」「どちらまでですか?」「太宰のファンなのですか?」「お気をつけて」と、丁寧な扱いをしてくれた。
事前に小説「津軽」を読んでいてよかった。また、太宰治本人だけではなく、明治時代に建てられた建築物にも興味を持っており、イイお客さんに見えたのだろう。




「太宰治の生家 斜陽館」 

金木を出た頃になって少し風がでてきた。雨はまだである。十三湖が見えるようになった頃から小雨が降り出し。早い目に合羽を着た。
十三湖の北側にある安藤氏の居城といわれる福島城、唐川城跡を見学した。十三湖北側の平地から丘陵地は政事を行うには絶好の地だったようで、その様態を、実際に現地を確認し理解した。



「十三湖の近くにある 安東氏の居城福島城」


「唐川城」


「唐川城から十三湖方向を眺める」


「右に折れると小泊 折戸の海岸」

そして、雨に打たれながら小泊に入った。まずは、今日の宿を探そうと、漁港周辺を走った。そうしたら、湾の一番西側奥に鳥居があり、その傍らに「柴崎城跡へ」の看板があった。その隣が民宿になっており、前は漁船が停泊する海。ここに決めた。


宿のチックインをする前に、太宰治ゆかりの地であることを顕する「津軽の像記念館」を見学した。その場所は、小説の舞台となった小学校の隣にあった。太宰の育ての親で、金物屋へ嫁いだタケが住んだ建物もリフォームされて存在した。小説の場面が甦選ってきた。


「太宰治文学碑 太宰治とタケ」


「小説”津軽”の場面となった小泊小学校校庭」

「小泊小学校校門」



「タケが住んでいた場所」

民宿には、80歳くらい?のおねえさんと、少しだけ若そうな?お手伝いさんが切り盛りしていた。いたって家庭的。ただ、困ったのは、部屋に暖房のないこと。室温は10度ちょっとくらいではないだろうか。布団から出ることができない。当然、今も布団の中に入り日記を書いている。それと、寒いからと注文をした熱かんのお酒がないのでと、代わりに「これ、サービス」と言って焼酎のビンを持ってきてくれた。


「二泊した民宿芝崎」


「民宿の前に広がる小泊の港」

段々風が強くなってきた。あすの天気が心配。

 

10:06 | 2012年津軽の旅 | comments(0) | -
ちょっぴり津軽の生活にふれて

 2012.11.2(金)
「津軽の生活にふれて」

行動の概要:バスと電車で小泊〜中里〜五所川原へ
天候:くもり(強風)〜横殴りの雨
宿泊:小泊民宿柴崎

やはり強風の吹き荒れるあいにくの天気。鯵ケ沢まで走る今日の予定は変更。


「季節風をうける小泊港の防波堤」

最悪、明日も走れないことを予測し、小泊からバスで中里、そこから津軽鉄道で五所川原までの交通機関の下見方々、乗り物の旅を楽しむことにした。

その前に、民宿の隣に立っている「安藤氏居城柴崎城まで600m」の看板につられ、バス待ちの時間を使って上って来る。


「芝崎城跡」

その場所は、神明宮の拝殿となっていたが、スギ林が鬱蒼と茂る奥にあった。説明書には、南部氏に敗れた安藤氏が三厩から蝦夷地へ逃れる前に立ち寄ったと記されていた。
昨日訪ねた福島城、唐川城など、十三湖付近と、この小泊一帯は安藤氏の拠点であったことがわかった。義経が蝦夷地へ渡ったと言う伝説もこの地にあった。
今回の旅の主眼は、弘前・津軽の歴史であったが、津軽半島の諸処に安藤氏の歴史が見え隠れする。

11時01分に漁業組合前を出発し、津軽鉄道の終点、中里へ弘南バスで向かった。バスと言っても女性が運転するマイクロバス。乗っている人は、高齢の女性がほとんどで、マイカーを運転できない人にとっては重要な足となっているのだろう。


「弘南バス」

経路は単純に県道を走るのではなく、人家のある場所を求めて走っていることによって、意外な発見を得た。それは、十三湖周辺には集落があり、豊かとまでは言えないまでも農耕地が広がっていたことで、予想した本州最果ての広漠とした地ではなかった。
安藤氏が高台に福島城、唐川城を構え、岩木川の出口を抑え、蝦夷人との交易を独占することにより、勢力の維持を行っていたことがわかった。

1時間ほどバスに乗り、津軽鉄道の終着駅中里に到着した。


「津軽線の終点中里駅」

そして、小用を達していたら、駅員さんが「電車が出ますので急いでくださいと呼びかかけている。」急いで電車に乗ると、車内は満員状態。
そして、津軽娘の発車の合図で電車は走り出した。その後、車内は爆笑の渦。

「津軽線の車内 普段はこんなに人は乗っていない」

後で津軽娘の車掌さんから話を聞いて分かったのだが、まず、電車が定刻どおりでなかったのは、風速25m以上の強風で一時運休していたためで。今、乗車しているのは運行を再開したばかりの列車であること。それと、津軽弁のガイドは、多くの乗客がいたため行ったということ。丁度、バス旅行の団体旅行客(中里駅〜金木駅まで津軽鉄道を部分利用)が乗車したためで、偶然が二つ重なり、楽しい体験をさせてもらった。
偶然は三度続き、この車掌さんとは帰りも同じで、津軽のことについて親しく聞くことができた。
車掌さん達でブログを持っているとのことであるので紹介する。


「乗った電車とアテンダント」


「津軽線路線図」

http://ameblo.jp/okutsugaru0615/
楽しい列車であるので、是非乗車を。

ここ数日、色々な場所、場面で津軽弁に接している。判読不能も多くあるが、なかなか楽しい。何となく聞いていると、何を話しているのかわからない。早口のせいもあるのかハングル語のように聞こえる。

今日は、ローカルな電車、バスに乗って、車窓の風景を見て、津軽弁を聞いて、自転車では味わえないものを味わった。

明日の天気は?いずれにしても艫作にある不老不死温泉まで行かねばならない。できれば自転車で走りたい。

09:56 | 2012年津軽の旅 | comments(0) | -
津軽の米どころから北前航路の湊を訪ねて

2012.11.3(土)
「津軽の米どころから北前航路の湊を訪ねて」

行動の概要:小泊〜十三湊〜車力〜鯵ケ沢〜深浦〜艫作(へなし)
小泊出発:06:30
艫作到着:14:50
走行距離:101km
天候:くもり
宿泊:不老不死温泉

民宿に2泊して、“さくら”と仲良くなった。
彼女は、はちきれんばかりのピチピチギャル。居心地がいいのか膝の上から去ろうとしない。
そう、もうすぐ2歳となる、ちょっと肥満気味のシーズ犬で、人間に対しまったく警戒心がない。躾が行き届いているのか、人間様のされるがままにしている。


「さくら」

その“さくら”宿を出発する時、尾をふりふり追いかけてきてくれた。
この民宿柴崎は、本州の北端近くに位置する辺鄙な漁村にあり、設備は至れり尽くせりとはいいがたく、40年前にタイムスリップした生活をイメージすれば、丁度的を得ているかもしれない。  
その分、人情も厚く、犬まで愛敬がいい。
宿の母さんに「6時に朝メシの準備。おにぎりでいい。昼メシもおにぎりでいいから準備を」と、まことに勝手なお願いであるが、その様に頼んだ。「何時でもできますよ」と快く引き受けてくれた。
出発の準備を終え、朝食のおにぎりを食べ、予定通り06:30に宿を出発した。鈍よりした空模様のせいもあり、まだ街中は薄暗い。


「民宿芝崎を出発」

過去十三湊と言われた岩木川の河口にかかる十三湖大橋に到着した時、西風が突風のごとく吹き荒れ、道路上の小石が飛びはねている。どす黒い雲が勢いよく流れていて、ちょっと不安な気持ちになった。それも、橋を渡り、防風林の松林に入った途端に風はなくなった。そうこうしていると、しじみの看板が目につくようになった。十三湖はしじみの産地でもある。


「十三湖の防風林」



「十三湖 シジミ漁船」


「岩木川河口と日本海の荒波」

本来であれば、昨日は鯵ケ沢まで走り、周辺を散策するはずであったが、暴風雨のため、昨日は小泊に停滞を余儀なくされた。その分、今日は、昨日分も含めて走らなければならない。途中、雨の降らぬことを祈るのみである。

十三湖南側の村、車力を超えたあたりで、大きな田んぼの広がりをみた。北海道の石狩、空知、上川のそれを見ているようで、この津軽が屈指の米どころであると知った。
風は、西風から、ところによっては北西風となった。そんなときは、ただペタルに足を乗せるだけで進む。しかし、それも一時で、斜め前からの風も吹く。この時は、大変である。
今日は、景色をみながら、その土地を感じながらではなく、常に風を意識しながら、雨の降らぬことを祈りながらの走行となった。


「津軽の田園と津軽山脈」





「雪囲いのある家」

「津軽の古家は屋根に特徴がある」


「県道十二号線から岩木山をのぞむ」

田園地帯は、弘前から鯵ケ沢へ向かう国道101号線に出会うあたりまで続く。そして、小泊を出発してから、初めてコンビニエンスストアを発見した。ここまでの走行距離41km。ここで、はじめて休憩を取った。ここに来るまで暖を採れる場所がなく、休憩を取らずに走ってきた。コンビニとは、その名の通り便利である。店先で温かい缶コーヒーを飲みチョコレートをかじった。

ここからは、北前航路の湊を訪ねての海岸の道。幸いかな、昨日から吹き続けていた風は、徐々に和らぎはじめていた。軽快、とまでは言えないが順調に走れるようになった。
そして、鯵ヶ沢に到着した。町のほぼ中心に道の駅があったが、そこは山側にあり、港のビューポイントではなく、やり過ごした。漁港から鯵ケ沢の湾内の写真を取ったが湊の臨場感はない。


「鯵ヶ沢の港」

どこか、いい場所はないかと回りを見渡しながら走っていたら、左手の高台に神社の鳥居がみえた。そこからだと湊が見渡せるとおもい、高台にある拝殿まで上がった。
びっくり仰天した。境内はギンナンの実が一面に敷き詰められていた。居酒屋で、串にさしたギンナンの実を注文したら。うん百円取られる。そのお金の代わりとも言うべき黄色い実で境内が埋め尽くされているのである。この境内にはウン万円、いや、ウン十万円の硬貨がバラ捲かれているのと同じ。鯵ケ沢の人はギンナンを食べないのか?
このギンナンの実。潰すと強烈な腐敗臭を放つ。運動靴の裏はギンナンの汁で汚染されてしまい。いやなにおいがこびりつき、暫く異臭が鼻からはなれなかった。




「ぎんなんが一面に散らばる八幡宮」


「八幡宮境内から鯵ヶ沢の港をのぞむ」

鯵ケ沢を過ぎて、柳田あたりから岩礁が目立つようになってきた。さらに進むと太宰治が立ち寄り情景を描写した千畳敷というところがある。小説「津軽」の文言を記した碑が立つが、さすが、昭和の文豪の文章である。我が言葉で言い表すことができない情景描写を。その小説は的確に語っている。






「千丈敷の奇岩」

奇岩と日本海の荒波は深浦、そして、今日の目的地である艫作(へなし)まで続いた。多分、さらに進んで秋田県まで続くのだろう。

民宿の母さんに作ってもらったおにぎりの食べるところがない。風のない、人目のない場所は無いかと探していたら、いい場所があった。柳田付近の道路脇の五能線の鉄路をまたいだ先に、丁度風がさえぎられ、回りの視線を気にしなくていい場所があった。ウインドブレーカー上下を重ね着し、おにぎりをほおばった。冷くなっていたが、おいしく味わうことができた。昼食はこのおにぎりと、深浦道の駅で食べた焼きイカ。その2回にわけて食べた。深浦は漁業の盛んなところらしく、道の駅のショーケースの中には色々な魚が並べてあった。しかし、本来この時期に獲れるのはイカなのだそうだが、夏の異常気象による海水の高温化により、まったく取れないらしい。深浦道の駅で食したイカは、「昨年獲れた冷凍物ですよ」と、合い席した少々お年を召した女性に言われた。




「深浦の港」

深浦には立派な郷土資料館があり、円覚寺という由緒あるお寺がある。その資料館では江戸時代、北前船最盛のころの地図があった。深浦は当代屈指の良港で、津軽藩の奉行所もあり湊は栄えていたようである。円覚寺は、その建立が坂上田村麻呂の時代、平安時代といわれるお寺で、その後、津軽藩も庇護し、航海の安全を祈願するお寺として、当代の海運を牛耳る大商人達によって守られてきた。


「深浦町歴史民族資料館」


「円覚寺」

また、ここ深浦にも太宰治の足跡があり、津軽旅行で泊まった旅館が記念館として残っていた。残念かな、06:30に小泊を出発し、8時間近く寒風の中を走っており、この頃になると、見学する気力はなく、写真だけを撮り通過した。

「太宰治が泊まった深浦の秋田旅館」

実は、鯵ケ沢でも、津軽藩の祖大浦氏が城を築いたと言う種里城跡にも立ち寄りたかったが、往復20kmほどあり割愛した。

目的地、不老不死温泉には15時前に到着をした。
これを、もって、津軽をめぐる自転車の旅は終わった。今夜は、同期会である。
明日、輪行で札幌まで帰る。


「輪行したリゾート快速しらがみ」

先の日本一周と併せ、津軽半島の外周と東西の岩木川沿いを走ってきた。一番感じたことは、津軽は山の幸・海の幸に恵まれた豊かな地であったこと。津軽と道南の結びつきは深く、津軽海峡を「しょっぱい川」と呼ばれたほどに一帯であると感じた。

 

09:50 | 2012年津軽の旅 | comments(3) | -