日本一周by自転車

定年退職を機に、「もっと日本のことを知りたい」との思いから日本一周に挑戦。
4,800kmを走ったところで事故にあい負傷。
一度、心に決めた目標は絶対に達成する!!
2年後、「北海道開拓の歴史をたどる旅」をテーマとして再チャレンジ!
2008年10月遂に日本一周を達成。
夢はまだ続く。
新しい目標は、自転車で旅をしながら郷土の歴史を調べる。
2007年7月24日の記録
2007.7.24(火)日の記録
天候:
本日の行程:滝川〜新十津川〜奈井江〜美唄〜国道12号〜自宅
走行距離(累計):105km(702km)
出発:0615
到着:1310

やはり、今日は自宅に戻れる日、早く帰りたいと言う気持ちが働く。
昨日ビールは結構飲んだがあまり食べていなかった。そんなこともあり、朝早くから空腹を憶え目が覚めた。昨晩飲み会の帰りに朝の食料を買おうと思っていたのだが、それ程遅い時間ではないのに駅前周辺の店はすべてシャッターを下ろしていて買えなかった。5時を過ぎた頃に起き上がり、近くのコンビニを探し朝食の調達に行く。
そして、準備を整え0615宿を出発した。

今日も滝川、美唄の郷土資料館とも休み。後から車で来ればいいと田園風景の美しい新十津川、奈井江〜美唄の農道を走る。8時頃まで石狩川付近は霧に包まれていたが、時間の経過とともに徐々に晴れ渡り奈井江に着いた時には空一面の青空となっていた。そんな青い空にはえる緑の田んぼは美しい。今回の旅の最大成果は、この農村風景を味わいながら走れたことかも知れない。

「母なる石狩川」


北海道の農地は、近代的な考え方の基に計画的に耕作されており、国道に沿いに碁盤の目のように開かれている。農道も国道に匹敵するぐらいに幅広く、農家はその碁盤の目の一角に点在し、所々に目印のためか原木を切り倒さずに残している。これらの風景は本州の農地には無いと思う。昨年、米どころ新潟の田園地帯を走ったが、やはり道は曲がりくねり、人家の数が多く、北海道のように雄大さは無かった。

「農道を走る、前方の景色」



もし、自転車で北海道を走ろうと思っておられる方がいたなら、石狩、上川、十勝などの平野は国道をはずして農道を走って欲しい。北海道のすばらしさを実感できると思う。
美瑛丘陵の展望はすばらしいが、北海道の何処にでもある田園風景はそれに劣らず美しいと思う。

「美唄の農村風景」




美唄では、屯田兵の史跡として役場の近くにある屯田兵屋と火薬庫を見てきた。
それからしばらく行った岩見沢の手前で、追い越す車の窓から手を振る人がいた。昨日一緒に飲んだ友人が乗る車であった。

「美唄の屯田兵屋」


100kmあまりの走行距離であったが自宅に到着したのは13時を少し回ったところ。早く帰りたい気持ちのため途中の食事もコンビニで立食、あまり休憩時間も多く取らないで走った。
自宅の手前の道路上で、今から出勤しようとする妻と会った。
一言「参った」「黒くなったね」

8日間の旅も無事に終了した。
こんな事ができる境遇に感謝をして。
10:25 | 空知、上川、士別屯田兵の史跡を訪る | comments(0) | -
2007年7月23日の記録
2007.7.23(月)日の記録
天候:曇り〜晴れ〜夕立
本日の行程:秩父別〜深川〜雨竜〜江部乙〜滝川
走行距離(累計):81、2km(593km)
宿泊地:滝川藤井旅館
出発:07:45
到着:15:10

今回の旅で初めての旅館泊、昨日まで滝川の友人宅に泊めてもらおうと思っていたのだが、走行疲れと今日の日照に参ってしまい気楽な宿屋泊にした。それで、友人とは滝川の街で飲もうと連絡を入れた。
この選択は正解であった。旅館に入った直後に、まさかと言うような強い夕立があり、滝川付近でうろちょろしていたズブ濡れになっているところであった。

今日は月曜日で深川、滝川の郷土資料館等は休館日。このことは、出発する前から分かっていたのだけれど、日程が一日ずれれば見学できる。だめであれば後日車で来ようと考えていた。
深川では市役所にある教育委員会に顔を出し、深川(一己、納内)の屯田兵の情報を聞きに行った。対応に当たった担当者は専門ではなかったが、史跡がどこにあると言う情報だけは仕入れることが出来た。詳しい情報が必要であれば、郷土史を研究している会があり、そこから得るのが良いとのことだった。
北海道屯田倶楽部と言う会があり、この会員になることが色々な方と知りあう方法であるかもしれない。

「訪ねた教育委員会」


深川では納内、一己の屯田兵にかかわる史跡を見学し、入植した田園地帯を走行した。
国道は車の通りも多いが、一歩中に入いり農道を走ると車の往来は殆どなく、水田地帯を吹く風は少しひんやりして気持ちがいい。

「屯田兵の射撃訓練に使った監的壕」


その後雨竜へ。ここには屯田兵は入植していないが、明治の始め三条実美他の華族の面々が出資者となり、この雨竜〜秩父別〜深川一帯の石狩川流域に5万ヘクタールの大農場を建設する計画があった。その後、三条実美が死去したため壮大な計画は流れてしまったが、その時の出資者の一人であった徳島の蜂須賀茂韻という人が農場を経営し、雨竜史跡公園に、その蜂須賀農場の事務所が残っている。

「蜂須賀農場事務所跡」


そんな雨竜の水田風景を眺めつつ石狩川を渡り、滝川市の北側にある江部乙に入る。ここは、6月の菜の花、9月のコスモスの花が咲くことでも有名な地で「たきかわ道の駅」の後方には屯田兵家族の像と兵屋がある。

「屯田兵家族の像」


ここに着いた時には、真夏の太陽で、冷たいものが欲しくアイスクリームやらジュースやら冷水やらかなりの水分を取った。今日の気温は27〜28度程度だと思うが、暑さの中での走行は大変だと言うことをこの2日間で痛感した。

今日感想、秩父別、深川、雨竜、江部乙、滝川は稲作が主体で田園風景は美しい。

今しがた友人とのお食事会を終え帰ってきた所。
この友人は昨年までいた職場での仕事仲間で、一人は若い頃に自転車をやっていたという人、以前から自転車で滝川へ行くから、その時には泊めてくれと言っていた。もう一人も同様、元職場の仲間で一緒に仕事をやっていた。
彼らと酒を飲むのは久しぶりで、楽しい一時を過ごした。
09:08 | 空知、上川、士別屯田兵の史跡を訪る | comments(0) | -
2007年7月22日の
2007.7.22(日)日の記録
天候:曇り
本日の行程:士別〜国道239号〜国道275号〜幌加内〜秩父別
走行距離(累計)108:km(512km)
宿泊地:秩父別キャンプ場(テント泊)
出発:06:25
到着:14:30

昨日は士別のキャンプ場に到着後、すぐに駅前通りへ繰り出しビールを飲み食事。そして、そのまま銭湯へ行ったものだから、士別屯田兵が入植した地域を走っていない。
入植した場所はJR士別駅を挟む両側一帯で今は町の中心となっており、かっての面影は何もない。唯一残るのは士別神社。

今朝は早く行動を開始し、市内を走り九十九山にある士別神社を参拝した。なぜ九十九山か?士別には100戸の屯田兵が入植したが、直後に一軒の兵屋が火災で全焼したため、その住人は剣淵に配置となった。士別屯田兵は残った99戸になったためそれにちなんで九十九山と名付けたそうである。

「士別神社から士別の町を眺める」


士別の町は碁盤の目のよう整然と家屋が立ち並び道路も広くすっきりしており走りやすい。また、スポーツ設備もよく整備されており、夏季合宿等で多く学生、実業団の人たちが来ているようである。キャンプ場のすぐ下にある宿泊施設には陸上の選手たちが宿泊していた。

今日の目標は添牛内〜国道275号線を深川へ。距離は約110km。途中200m〜300mの峠が3回、チョットきついかな?そんなこともあり早めに出発した。

朝方は曇り空でそれほど暑くはなかったが、幌加内峠あたりから日差しが強くなり、結構バテ気味の走行であった。峠を下って最初に見つけた店で食べたアイスクリームは格別であった。大きなシャーベットを、店先で座り込みながら、20歳そこそこのにいちゃんと変わらない格好でほうばる様に食べた。これも旅のなせる技か。

添牛内から幌加内間の農地は一部手入れが行き届かなく荒廃しかかっているよう見えた。若い人たちが農家を離れるため、徐々に農村の姿が変わっていくのだろう。先人たちが苦労して作った農地である、何とか美しい姿で残すことが出来ないものか。と、そんな田舎に立派な温泉設備、また、駐車場に一台も車の止まっていない立派なコミュ二ティー施設が建っていた。地方の人達のために、もっと役立つお金の使い方がないのだろうか?

幌加内は一面そば畑で、白い小さな花をつけており美しい。幌加内そばとして有名なそばである。残念かな通過した時間が早く、そば屋はオープン前で本場でのそばは食べれなかった。

「幌加内、一面のそば畑」


目的地の深川手前にある秩父別と言う所には結構早く到着をした。キャンプ場は有料であるが整備が行き届いており快適である。また、キャンプ場の回りは町のコミュニイーティ施設が集中しており、日曜日であることから人の入り結構多い。この場所に歴史資料館がある。秩父別町営であるが、見学者が少なく管理はすぐ近くにある図書館でやっているそうである。
なぜか、テントを張った公園のわきにジェット戦闘機が置いてあった。航空自衛隊から借りて設置しているそうである。

「歴史資料館」


「資料館に展示してあった流木」


「ジェット戦闘機」


「テントサイト」


秩父別は深川市と妹背牛町の間にあるあまり名前の知れていない町であるが、ローズガーデン、めぇーめぇーランドと言う観光施設があったりと、ここへ来て、町に人を集めるため頑張っている姿を垣間見た。
10:56 | 空知、上川、士別屯田兵の史跡を訪る | comments(0) | -
2007年7月21日の記録
2007.7.21日(土)の記録
天候:曇り時々晴れ
本日の行程:当麻〜国道40号〜塩狩峠〜剣淵〜士別
走行距離(累計)72:km(404km)
宿泊地:士別自然公園(テント泊)
出発:07:05
到着:15:20

旅も5日目に入り、テント生活に慣れたと言うか、だんだん旅人になってきた。が、かなり疲れが来ているのは確か。やはり、走りながら資料館等を見学するのはきついものがある。距離は今日も約70kmと大したことはないのだけれど、見学している時は頭を働かさねばならなく気が休まる余裕がない。
そして、旅が長くなると段々わがままになってくる。頼べば何でもやってくれるのではと、ついつい地元の人にお願いをしてしまう。
今も夕食を兼ねて士別の駅前にあるごく普通の大衆食堂に来ている。
まだ夕食時ではない4時半、ビールが飲みたいので、まずビール頂戴。
ビールのつまみは何かできる?
天ぷらを適当に作って。
あっ、シイタケは嫌いだからいらない。など、など、好き勝手なことを言って店のメニューに無いおかずを作ってもらっている。そうしたら、トマト、自家製のもろキュウ等がテーブルの上に並んだ。そして、最後にメロンが。
普通なら食べ切れない量。
それをほとんど平らげ、ではご飯を頂戴、おかずは漬物だけでいい。ひどいお客だけれど、結構店の女主人と仲良くなってしまい、ついつい好意にあまえてしまった。で、「幾ら取ってもいいですから」と、勘定をお願いした。2人分位たらふく食べ、瓶ビール2本を飲みたった○○円、楽しくお話が出来たからと大サービスをしてくれた。
この恩は忘れません。

今日はまず、旭川駐屯地の近くにある旧軍時代の将校の社交場であった階行舎(現在は美術館になっている)の写真を撮り、付近に旧軍の建物がないかと散策。あった、あばら屋同然の風体であるがしっかり残っていた。昔の柱、張りは頑丈であると誰かが言っていたがその通りだ。

「階行舎」


「元将校官舎か」


その後は剣淵へ。剣淵も屯田兵の入植した場所である。
剣淵に向かう40号線を走行中、和泉ナンバーの方からトウキビの差し入れを頂いた。
それを食べるために塩狩峠で休憩、この地に三浦綾子の生家の住居があるとは知らなかった。この際だと記念館に入り、小説「塩狩峠」の主人公で、列車を止めるため殉職した長野政雄氏の碑に参拝した。その後、列車が通過しないかとしばらく駅も見える土手で寝っころがりながら待っていたら観光バスが来た。そして、そのバスか駐車した場所はカメラアングル。仕方なく出発。

「塩狩峠」


剣淵の資料館は隣にある「絵本の館」で管理しており、その館の女性職員に案内をしてもらった。「私は屯田兵のことはわかりません。勤務交代で来る方が詳しいので聞いて下さい」と言うこと。後できた職員も若い女性、しかし、この女性は屯田兵の子孫の方で、わからないなりにも昔聞いたことがありますと剣淵屯田兵の事を色々教えてくれた。

「屯田兵屋、外観は新築」


剣淵も他の地方の町と同様に若い人たちが故郷を離れ、屯田兵の子孫の方は少なくなっていると言う。まだ3世の方が健在だから、入植に伴う苦労話を伝えることが出来るが、後数十年経ったら歴史を語ることのできる人がいなくなるかもしれない。
ただ立派な建物を作るだけではなく、その歴史を伝えるために何らかの手を打たなければと思う。

「剣淵の農村風景、雨不足で作物の生育は今一つ」


その後、最北端の屯田兵入植地であり、今旅行の北限である士別に向かう。この士別郷土資料館の施設も立派であった。
そして、運がいいかな「松浦武四郎展」を開催中であった。
ここでチョット松浦武四郎の事について、こんな旅をしていると北海道開拓の歴史では忘れることのできない人として松浦武四郎と言う人の事を思いいたす。
彼の事を批評する知識もないが、彼は他の探検家(この言葉は不適当かもしれないが)とは違い、内陸部まで探検しアイヌの人たちの生活、文化に強くかかわり、そして、アイヌの人から影響を受けた人である。松浦武四郎のことについてはもっと知りたいと思っているが、彼の旅行記から感ずるのは、旅を通じて「その地に住む人との交わりをもつ」である。

「士別郷土資料館」


最後に今日の教訓
塩狩峠を国道40号線に出る時にトラブル。
フロントキャリアにつけているナップザックを固定しているゴムひもがタイヤにからまり、あわやスポークが折れると言う状況が生起した。幸いスピードが出ていなく大事に至らなかった。もし、峠の下りであったらスポークが折れるだけですまなかったかも知れない。
しっかりした点検と、トラブルが発生しそうな原因の除去が必要。

09:52 | 空知、上川、士別屯田兵の史跡を訪る | comments(0) | -
2007年7月20日の記録
2007.7.20(金)日の記録
天候:小雨〜うす曇り
本日の行程:旭川市内〜当麻の屯田兵関連史跡巡り
走行距離(累計):63.5km(332km)
宿泊地:神楽岡公園キャンプ(テント泊)
出発07:20
到着16:40

朝起きたらポツポツとテントをたたく雨音、天気予報を聞いたら雨のち曇りの天気、週末一杯は雨ベース、とりあえずこのキャンプ場にもう一泊、今日の見学は天気に気をかけながら回ることとする。

まずは永山に向かう。永山と言う町名は屯田兵の生みの親である永山武四郎の姓を取ったもので、そんな町名を頂いた町民は誇りを持っているようである。
たまたま、買い物に入った国道39号線のコンビニの前にポスターが張ってあった。月末の26日〜28日にかけた屯田祭りが行われるらしい。こんな名前の祭りがあると言うことは町民みんなが屯田兵の歴史と精神を引き継いでいると言うことであると思う。わが住む町には納涼盆踊りはあっても昔の伝統を引き継ぐ行事はない。子孫に伝える伝統のある永山の人がうらやましい。それほどに、屯田兵の歴史が北海道の各地域の礎になっているのだろう。

「屯田祭り」


永山には郷土資料館という類のものはなく、永山神社の横にある大隊本部跡、近くの生協の横にある中隊本部跡があり立ち寄って写真を撮ってきた。

「大隊本部跡の碑」


この頃から雨も上がった。その後は右斜めに表大雪の山並を眺めながら、当麻へ向け田園地帯を走る。旭川の屯田兵は、この当麻と永山、そして、東旭川に各2コ中隊1200戸が入植した。
次に行こうとした当麻郷土資料館の予想場所を地図上にプロットしていたが、その目的地点とした開拓記念碑のある場所へ行ったら碑の横手はゲートボール場で資料館はない。役場に電話を入れたら、旧役場が資料館になっており今日は休館日と言う返事、自己紹介と屯田兵に興味を持ち見学にきましたと言ったら、親切な役場の担当者は、「説明はできませんが」と言いつつ開館してくれた。そして、見学を終えるまで待ってくれた。感謝感激、聞けば屯田兵の子孫だと言う。私は何も説明をできないと言いつつも色々と説明をしてくれた。
その時に教えてくれた場所に立ち寄って見ようと思ったが、残り時間が少なく通過するのみ。

「当麻資料館」


「当麻の田園風景と遠く大雪山の峰」


その後、東旭川の旭川神社境内にある屯田記念館を見学した。ここは、屯田兵記念館と名前をつけるだけあり、かなり立派な施設で資料も豊富でよく整理をされていた。この会館に来て加藤隼戦闘隊で有名な加藤少将が旭川屯田兵の2世であることを知った。その他、名のある飛行機乗りが3名いることも知った。

「屯田記念館」


この東旭川には入植した場所に現存する屯田兵屋があると言うことで是非行こうと思っていた。
そして、ここで貴重な出会い。その屯田兵屋の写真を撮り終え帰ろうとした時に一台の車が帰ってきた。「ひょっとして」と思いつつ声をかけてみたらこの建物の持ち主であるご夫人だった。保存のいきさつ、保存に尽力をした父上様の人柄、保存することの大変さ等色々と話を聞くことが出来た。そして、父の書いた本があるので「どうぞ」と。厚かましく頂戴をした。

「入植した場所に建つ屯田兵屋」


最後に行ったのは昨日時間切れで見学できなかった北鎮記念館、この資料館は自衛隊で管理しているもので、以前は駐屯地の中にあったものを一般の人が見学しやすいように、駐屯地に隣接して設置してあった。かなり立派で、資料もよく整理してあり分かりやすい。
今回旭川各地の資料館、記念館を見学してきたがこの館の入場者が群を抜いて多かった。

「北鎮記念館」


これで、旭川で予定された見学コースの9割は見終わった。
19:38 | 空知、上川、士別屯田兵の史跡を訪る | comments(0) | -
2007年7月19日の記録
2007.7.19(木)の記録
天候:曇り〜晴れ
本日の行程:上富良野〜国道237号〜美瑛〜旭川
走行距離(累計)85:km(269km)
宿泊地:旭川春台光公園キャンプ場
出発:07:05
到着:16:45

やはり昨晩は食べ過ぎた。
胃がもたれ、朝食を食べられる状態ではなくコーヒーだけですませた。そして、遅い朝食を取ったのは10:00頃、昼食は14:30頃で完全に食事の時間がずれてしまった。
今回は1週間程度の自転車の旅ではあるが、やはり体調管理をしっかりやらねばと思う。

友人は当然仕事、その為、07:00家の玄関前で記念撮影をし、しばしの分かれ。
出発した時はあいにくの曇り空。今日は青空に映える美瑛丘陵は拝むことが出来ないかとがっかりしていたが、拓真館の見学を終えた10時半頃あたりから急に青空がせり出し、榎木孝明、大野勝彦美術館の近くに着いた時には絶好の青空となった。昨日の富良野、今日の美瑛といい青空に恵まれ運が良かった。

「拓真館」


「拓真館付近の景色」


恥ずかしいかな水彩画家の榎木孝明を以前から知っていたわけではなく、たまたま美馬牛の信号機のある交差点のわきに美術館への誘導標識があった。そして、交差点を渡ろうとしていた女性に「この美術館は近いのですか」とたずねたら、「そぐそこです。小学校跡です。」との返事。
まだ、時間の余裕があるから行ってみるかと訪れただけ。じつは、このチョットが後で時間不足になる原因を作ってしまったのだが、入館してみたら、大きな写真の額に収まっている美男の作家は見たことのある顔。有名男優と同一人物だった。

「榎木孝明美術館」


旭川市内に入り、まずは、神楽岡公園の上川神社へ、ここは明治の初めに上川離宮を建てようという構想のあった場所で、それを記念する碑が建っている。
次いで、大雪クリスタルホール(博物館)、アイヌ記念館、アイヌ神謡集書いた知里幸恵の碑がある北門中学校へ行った。クリスタルホールでは屯田兵の事に関心を持って来ましたと言ったら、担当者から旭川屯田兵の詳細情報を得ることが出来た。
また、北門中学校では一部の教室を資料館に改修してあり、多くの方にアイヌの歴史を知ってほしいと教頭先生自らがガイドをしてくれた。
そして、毎年6月の始めに知里幸恵生誕記念祭を行っているのでよければと誘われた。

「上川離宮予定地」


「アイヌ記念館」


「知里幸恵記念碑」


「北門中学校、生徒達が作った丸木船」


これだけ多の場所を見学すると時間が足りなくなってしまう。もう1カ所北鎮記念館も見学しようと思っていたが、開館時間中には行くことが出来なかった。
榎木孝明美術館を見学するため、移動時間を含め1時間半ほど使ったことが予定を狂わせたといえるが、その美術館のある場所へ行くのは今回が初めてで、その美しい丘陵の風景を眺めることができたので結果オーライかも。

「美術館付近の景色」



テントを張った場所は神楽岡公園のキャンプ場、ここは神社の境内の中といった巨木が茂り綺麗に芝生を整備してある絶好の場所であった。

「神楽岡キャンプ場」


テントを張り旅する若者?3名のみ
10:03 | 空知、上川、士別屯田兵の史跡を訪る | comments(0) | -
2007年7月18日の記録
2007.7.18(水)の記録
天候:晴れ
本日の行程:桂沢湖〜道道452号〜道道135号〜富良野〜国道237号〜富田ファーム〜上富良野
走行距離(累計):75km(184km)
出発08:20
到着15:50(ふらぬい温泉)
宿泊地:上富良野友人宅

昨晩は久しぶりのテント泊、やはりなかなか熟睡をできなかった。脚がほてっていたのと、心地の悪い空気枕、そして、気が張っているせいか頭が冴え渡っていた。何度も何度も目がさめ、夢と現実と睡眠の間を行き来していた感じ。
そろそろ起きようかとテントの裾をはぐったのは5時少し前、空は厚い雲に覆われ不気味な感じ。しかし、出発準備を整えた0800頃には一気に晴れわたり真っ青な青空となった。
夕張山脈の奥深くを流れる芦別川沿いの道道452号線から右に折れ道道135号線走行間は深青の空に映える森林を眺めつつ走る。何度も止まって写真を撮ったが、中心に据える特徴のある山容がなく青空だけの写真になってしまった。それほど空が美しかった。

「道道452号線の風景」


11:00に富良野の入り口に到着、やっとコンビニがあった。今日初めて見付けたコンビニの前で冷えたトマトとアイスキャンデーをむさぼるように食べる。暑い日にはこのトマトが美味しい。

富良野スキー場の近くに牛乳プリンで有名なケーキ屋がある。以前、妻とドライブに来た時に食べたそのプリンの味が忘れられずケーキ屋に立ち寄る。コーヒー込みで650円、チョット贅沢なプリンであったが美味しかった。

「写真を撮る前に食べてしまったが」


その後、中富良野のレストランで食事を取り、ラベンダーで富良野の名前を世界に知らしめた富田ファームへ行く。周囲の言葉は中国語と韓国語ばかり、そして、人、人、人の山、駐車場は大型の観光バスで埋まっていた。定番の撮影ポイントで撮影し、ラベンダー色のソフトクリームを食べ、しばらく、花と十勝岳連峰の雄姿を眺めつつ休憩をする。

「富田ファームから富良野の風景」




昼食をとったレストランの前で男性から声をかけられた。自転車の話をしつつ、「どこから来られたのですか」とたずねたら店のオーナーだった。と言うことで、さっそく記念撮影、そのオーナー氏の趣味は山に自転車、熱気球、定年後に世界一周をやりたいと言う。

「レストランのオーナーと」


今日の宿泊先の友人には昨日連絡を入れておいた。この友人は元いた職場の同僚で昨年転勤となり単身赴任中、泊めてもらっても迷惑にならないだろうと一宿のお願いをした。
18:00の待ち合わせ、着いたのは16:00頃、もう走り回る元気が残っていない。そこで「ふらぬい温泉」で入浴・休憩することにする。この温泉、源泉は31度の冷たい湯、これがほてった体には最高で、熱い湯と交互に1時間ほど浸かっていた。いい休養になった。

夕食は上富良野定番のサガリの焼き肉。カメラを忘れて写真を撮れなく残念であったが、大皿に山盛り、こんなに食べれるの?しかし、もう一人の友人と3人ですべてを平らげてしまった。そして、私はおにぎりも食べてしまった。
話は弾んだ、楽しい一時だった。
08:20 | 空知、上川、士別屯田兵の史跡を訪る | comments(2) | -
2007年7月17日(水)旅の記録
2007.7.17(火)の記録
天候:曇り〜晴れ
本日の行程:自宅〜南幌〜角田〜道道30号〜三笠〜桂沢湖
走行距離(累計):109km(109km)
出発:07:25
到着:15:15
宿泊地:桂沢湖畔キャンプ場(テント)

昨日までに旅の準備は完成させた。
今朝起きたら、やはり、あれこれと気になることがあり落ち着かない。本音として7月30日の入院(昨年の転倒事故により痛めた鍵板手術のため)までのんびり過ごしていたいなと言う気持ちもある。でも、この機会を逃せば、残された日本一周の夢は実現できないだろう。
頑張ろう!

今回の旅の目的は、今、行っている北海道開拓の歴史をたどる自転車の延長線上で、美唄、滝川、深川、旭川、剣淵、士別の各屯田兵の踏み跡等を見学することで、併せて、富良野のラベンダー、美瑛丘陵、各地の農村風景に触れるである。
幸い北海道は台風の影響もなく、この時期は、天候も落ち着き、絶好のサイクリングシーズン。楽しい旅になるのではと思っている。

妻に見送られ自宅を07:25出発、連休明けの火曜日、できるだけ人目につかないように出発しようと思ったのだが自転車にバックを積もうとしている時、一軒隣の主人に発見されてしまった。事前に会社を辞めると言ってあったので、特に説明をすることもなく朝の挨拶だけで済ますこが出来た。

朝方は若干風のある曇り空の天気、それでも角田の手前にある馬追丘陵を越えたところで青空が見え始めた。その後は、後半にまた雲が張り出してきた他は概ね青空の広がるさわやかな天気。
角田に立ち寄った理由は、5月の中旬頃に訪れ泉麟太郎(伊達角田藩の家臣でこの地の開拓に尽くした人)の子孫の方に会っており、今回の旅の途中に顔を出そうと思ったから。あいにく、泉麟太郎記念館は休館日。泉さん宅もご不在で、あえて立ち寄った意味がなかった。玄関先にメモ用紙があったので、先日会って下さったことに対するお礼と、立ち寄った旨のメッセージを置いて来た。

「泉麟太郎記念館」


栗山から三笠に抜ける道路沿いの風景は、牧歌的な感じのする丘陵の景色で、今まで何度も車で通っているのに特に綺麗だとは思わなかったが、今回関心を持ちつつ走るとその美しさが見えて来た。

「栗山から三笠にかけての風景」



三笠にある空知集治監跡に到着したのは13:05、その後、千人塚に訪れ、三笠博物館に立ち寄ったがここも休館日で見学できず。
空知集冶監は、明治の初め幌内で発見された石炭の採掘のため、その労働力として政治犯等の囚人を収容するために設置された刑務所で、この千人塚は、空知集冶監に収監され亡くなった方達の御霊を奉るところである。
ところが、地元の人には千人塚と言ってもあまりぴんと来ないようであった。私も開拓の歴史を勉強する中で知っただけで、いくら地元の人と言っても感心がなければ自分の住む土地についてあまり知らないんだと言うことを実感じた。

「空知集治監典獄住居跡」

「千人塚」

「炭鉱跡」



今日の目的地桂沢湖の到着したのは15:15、途中の泉麟太郎記念館、三笠博物館が祝日明けの休館で見学をしなかったので早く到着したが、見学をすれば結構遅くなったと思う。

「桂沢湖キャンプ場」


一年ぶりにキャリアバックを積んで走り、テントで泊った感想は、「やらなければ良かった。」の一言。楽しいものではない。何かしっかりした目的がないとやっていられないのかも知れない。今回、1週間程度と思って出発しているので、あまり気持ちが入っていない。
2〜3日経過したらその気になるのか?

06:57 | 空知、上川、士別屯田兵の史跡を訪る | comments(0) | -
2007年7月、道内の旅経路
2007年7月17日(火)〜24日(火)、8日間北海道自転車の旅の経路
今回は旭川、剣淵、士別、深川、滝川、美唄に入植した屯田兵の踏み跡をたどる旅

06:46 | 空知、上川、士別屯田兵の史跡を訪る | comments(0) | -