日本一周by自転車

定年退職を機に、「もっと日本のことを知りたい」との思いから日本一周に挑戦。
4,800kmを走ったところで事故にあい負傷。
一度、心に決めた目標は絶対に達成する!!
2年後、「北海道開拓の歴史をたどる旅」をテーマとして再チャレンジ!
2008年10月遂に日本一周を達成。
夢はまだ続く。
新しい目標は、自転車で旅をしながら郷土の歴史を調べる。
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2008年8月31日の記録
旅の記録 2008年8月31日(日)

発信地:札幌(自宅)
旅行日:34日目
天候:霧〜晴れ
健康状態:良好
本日の走行:静内〜R235〜新冠〜鵡川〜沼ノ端〜R36〜千歳〜札幌(自宅)
自宅到着時刻:17:45
走行距離:138km
パート2総走行距離:2469km

2年前の負傷で自転車日本一周も北海道と東北を残してしまったが、この7月10日から再挑戦を開始して34日目、遂に北海道一周を達成をした。残りは東北だけになった。

まず今日は、静内からどうやって早く帰るか?
と言うのも、この春先に静内まで走っており、日本一周のためには、あえて走る必要はない。
その為、当初の計画では静内に到着したら、そのまま装備と自転車を山形まで送ろうと考えていた。しかし、連日の雨で装具等はぐしょぐしょになり、自転車にもサビが浮いてきた。
折角ここまで一緒に走ってくれた自転車であり装備である。皆で一緒に帰ろう。静内から130km我慢して走ることになった。

今日は早く帰りたい一心で06:10キャンプ場を出発。今日も濃霧に包まれている。
まずは、静内駅に向かい、ここで、昨日の日記をUPしようとしたが、PHSは通じなく、日記の整理だけになってしまった。

「静内を出発、今日は雨支度はない」


新冠を出たあたりの牧場で2頭の馬が草を食んでいたので、ちょっと絵になるかなと思いカメラを出した。そうしたら、馬はこちらに向かって来るではないか。噛まれないようにあわてて柵から下がり写真を撮った。可愛い目をしていた。鼻をなぜたかったが、ぱくっとやられそうで止めた。

「よりそう二頭」


「牧場の風景」


鵡川あたりまでくると青空が多くなり、苫小牧〜千歳に着た時はすばらしい天気になった。旅行間さんざん雨に悩まされ、終わる日にこれだ。おかげで北海道の美しい風景を堪能することが出来なかった。運が悪いと言うか。
道外の方で盆から今日までの間に北海道旅行をした人はもっとかわいそう。何度も来ることができないのに。

「旅の終わる日にこの天気」


自宅に着いたのは18時前。ほぼ12時間自転車に乗っていたことになる。走行距離138kmは一日の走行距離としては最高である。これだけ走ると、ただ走っただけになる。今日は殆ど人との会話をしなかった。今になって気になるのは、R36の恵庭を過ぎた歩道上で女性のチャリダーが休んでいた。早く帰りたい気持ちがあり追い越す時に挨拶をしただけで通過したが、止まって一言こと激励をすればよかったと思っている。と言うのは、男は何処でも人目を気にしないで行動できるが、女性の場合は人目があるような気がする。自転車仲間が激励することは大きな励みになったと今になって感じた。

それと、この旅行間に日本一週プレートが割れてしまった。今までずっとリヤバックの後ろに付けていた。そして、いざと言う時には後方の車に注意を喚起してきた。
割れたのは、斜里から標津へ向かう途中に立ち寄った川北で小学生に日本一周を説明しようとプレートを引いた時にバリッときた。その後はバックの中に収まっている。縁起ものであり、日本一周が終わるまで携行しようと思っている。

東北一周の旅は9月7日から行う予定。
それまでの間に可能な限り北海道の旅の整理と次の旅の準備を行う。
JUGEMテーマ:旅行


20:19 | 日本一周パート2(北海道) | comments(14) | -
2008年8月30日の記録
旅の記録 2008年8月30(土)

発信地:ウトナイ湖(8月31日)
旅行日:33日目
天候:くもりから濃霧
健康状態:良好
本日の走行:広尾〜R236〜えりも岬〜様似〜浦河〜三石〜東静内(静内温泉)
宿泊地到着時刻:17:30
宿泊地:静内温泉の森キャンプ場
走行距離:132km
パート2総走行距離:2331km
明日の予定:静内〜R235〜鵡川〜?〜R36〜札幌

昨晩泊った民宿の朝食が気に入った。普通の人はなぁんだと思うかもしれないが、テント生活だと朝メシはパンかカップ麺ばかり、多分ライダーも同じようなものを食べていると思うが、そんな味気のない朝食ばかりを食べている者にとって家庭的なおかずがテーブルの上に並んでいたら感激だ。
中でも自家製のサケの佃煮?は、美味しく5切れも食べご飯3杯もおかわりしてしまった。

今日は久しぶりに青空を拝むことができた。と言うのはえりも岬までだが。
今までずっとどんよりした天気の中を走って来たので、自転車の手入れをしている時に朝日が雲間から差し込んだ時にはヤッタと言う気持ちになった。

「朝日の差し込む広尾港」


07:30宿を出たが、徐々に青空が広がり朝日に反射する波打ち際は輝いていた。
広尾から湯水のごとく建設費を投入して完成したという黄金道路を少しハイな気分で襟裳岬に向かった。

「黄金道路」




「道々の海の眺め」




だか、そんな、楽しい気分もえりも岬の手前までで、百人浜に着た時、えりも岬方向には霧がかかっていた。徐々に晴れるのかなと思い40分近く岬で昼食休憩を取ったが、霧は晴れなかった。岬の碑で記念写真をお願いした札幌の旅行者は静内〜浦河間は霧がかかっていたと言っていた。逆に我が輩から、帯広へ向かう経路は百人浜以降青空が広がりつつあるよと言ったら喜んでいた。

その後、今日の宿泊地静内までの道は濃淡の差こそあれ、ずっと霧の中であった。
もうこうなったらただ走るだけ。自宅へ帰れる目標が見えてくると、早く帰りたいと言う気持ちが先に立つ。明日札幌に帰るためには静内まで走る必要があるが、到達できるか?取りあえず100km弱の浦河まで走り体調を確かめる。次に三石。まだ余裕があるようだったら静内まで。
何とか静内近くまで走れた。

静内ではYH泊るか?テントが良いか?
結果は、静内温泉の近くにテントを張ることに落ち着いた。
そして、テントは寝るだけとし温泉で食事、日記書きをすることにし、コンビニで酒と朝食のパンを買った。

景色の見れない今日の走行だったが、一つ、浦河の街並みの景観には感心した。環境保護条例か何かで統制しているのだと思うが、建物はすべて落ち着いた色、多くの屋根が三角形、看板類が少ない。
今までに、松前城前、伊達の駅前付近に城下町をイメージする景観があったが。浦河は国道沿いの長きにわたる家並みをすべてを統制しており道行く人に好印象を与える。
看板はその企業・店の宣伝になるだけで街の景観を損ねる。

テントを建て温泉へ。フロントで食事はできますかと聞いたら、できません。カップ麺はありますだった。折角、今朝朝食らしい朝食を食べ機嫌よくしていたのに、夕食にカップラーメンはないよな。それほど食欲もなかったので、酒のツマミと、プリンを買ってテントに向かった。
やはり、今日もわびしい夕食だった。
13:47 | 日本一周パート2(北海道) | comments(0) | -
2008年8月29日の記録
旅の記録 2008年8月29日(金)

発信地:広尾
旅行日:32日目
天候:雨〜くもり
健康状態:良好
本日の走行:剣山入口
宿泊地到着時刻:16:00
宿泊地:広尾民宿旅館 高橋
走行距離:101km
パート2総走行距離:2299km
明日の予定:広尾〜R336〜えりも岬〜様似〜R236〜三石〜静内

今日も一日雨の中の走行だった。
朝起きてテレビの天気予報を確認すると、帯広からえりもにかけての地域は雨降りは確かだが、それほど強い雨ではなさそうだ。これなら広尾くらいまで行けそうである。

記念撮影をし出発準備を終えたのは07:10。
砂利道からアスファルト道までの道順に不安を感じたので車で先導をしてもらった。
そして、この地での再会を約束してオーナー氏と分かれた。

すでに雨は降り出していた。それでも一昨日、雨の中を120km走行した実績があるので気持ちには余裕があった。

コニファーを出てしばらくすると新嵐山スキー場の横を通る。20年ほど前、このスキー場でインストラクターの手伝いをしていたので、シーズン中、週3回ほど通った。帯広に一番近いナイター設備のあるスキー場で結構な入りだった。
そのスキー場を過ぎ、少し行った時にパンを焼く香ばしい匂いがしたので自転車を止めた。
そして、できたてのパンを食べた。
なぜこんな田舎に手作りパン工房なのか?
主人に聞いたら、昨年一年間で3万人のお客さんがあった。ほとんどが固定客で帯広からわざわざ買いに来ると言う。
水が良いからこの地で店を開いた。噴流水で、日高山脈に積もる雪が溶けて地下水となって現れる。直接飲んだがまさにミネラルウオーターだった。

「パン工房」


中札内までには43kmもあった。この先、更別、忠類、大樹と続く。ここも思い出の場所で、南部忠平駅伝と言うのがあり、わざわざ札幌からチームを組んで参加したことがあった。今でもやっているのか?

今日は厚い雲に覆われ日高の山並みは見えないが思い出深い山々である。

「雄大な十勝野の風景」




憎き雨中の走行であったが、この地にあって、楽しんだ日を思い出しながら、広大な畑作農地を眺めながら走った。

広尾に着いたのは15時頃。街中にある丸山公園を探した。自転車に乗った子供に聞いたら、教えるのでついて来てと案内をしてくれた。到着した時、ここに泊るのですかと聞かれ、いいえ、陣屋跡の写真を撮ると答えると、陣屋の森ならこちらですと自分が通う小学校脇の森に案内してくれた。そして、そこに石碑があった。
少年にこの石碑は何であるか、少し広尾の歴史について話してあげた。多分、今までこの石碑に何が書いてあるか知らなかったと思うが、何時か分かる時が来ると思う。
親切な少年に会うことがで、道道少し話が出来てうれしかった。

「仙台藩陣屋跡の碑」


宿は民宿旅館にした。
洗濯、風呂、夕食、もう眠くて参っている。

昨晩のコニファーには東京のOさん、近くの芽室からSさん、そしてオーナーの奥さんも帯広から食材を持って来て下さった。
皆さんありがとうございました。また、再会できる日を楽しみにしています。
22:16 | 日本一周パート2(北海道) | comments(2) | -
2008年8月28日の記録
旅の記録 2008年8月28日(木)

発信地:大樹(8月29日)
旅行日:31日目
天候:くもり時々雨
健康状態:良好
本日の走行:帯広〜芽室〜剣山入口
宿泊地到着時刻:12:45
宿泊地:遊び小屋コニファー
走行距離:39km
パート2総走行距離:2198km
明日の予定:遊び小屋コニファー〜中札内〜R236〜大樹〜広尾〜庶野

昨晩は、山の仲間と一杯やってきた。
帯広は日高、裏大雪の山々へ登山する場合の最高のロケーションになり、縦走登山でなければ大概の山に日帰り登山をすることができる。

20年ほど前に、この地で2年間勤務し、そに内1年間が単身赴任だったものだから、昨晩集まった仲間と日高の山に登った。その頃は、一番元気な時期で、わらじを履いて沢を遡上し日高の名峰と呼ばれる山の頂を極めた。
そんな山行きの話を肴に飲んだ。楽しい一時であった。

「山の仲間と」


今日の泊りは、帯広の西外れにある御影から剣山へ向かう山林の中、オートキャンプ場作りをやっている友人を尋ねた。地図を頼りに走ったのだが、平坦な直線道と思いきや徐々に坂が急になり、そして、砂利道に変わった時には、来なければよかったと少し思った。帯広から2時間半近くかかって到着した。

「コニファーに到着」


まだ、完成途上であるが、殆どすべてが手作りで、当主とその友人たちが、木を切り、井戸を掘り、小屋を建て、風呂を作り、テントサイトを作り、今はログハウスの建築を手掛けている。
普通のキャンプでは物足りない、もっと自然に親しみたい方向きのキャンプ場。
当主曰く、こんな生活がしたくてこの山林に遊び小屋を建てた。そんな楽しさを来られた方にも味わってもらいたい。薪の火を囲み語らいたい。

「コニファー管理棟」


この付近の山林にはセカンドハウスのためにと30人ほどの人が山小屋風の家を建てている。林間にいかにも手作りで建てたのだと分かるそれらしいログハウス風の建て物が点在する。
週末に利用するためにと建てたそうだが、あまり利用されていない施設もある。
思うに、自然の中にあっても人が集まり、火の温もりの中でほほを染め、語り合ってこそ、その良さがあるのだろう。

今日は童心に戻り、そんな遊び小屋の生活を楽しんだ。

「友との語らい」


明日の天気は?
13:50 | 日本一周パート2(北海道) | comments(0) | -
2008年8月27日の記録
旅の記録 2008年8月27日(水)

発信地: 帯広
旅行日:30日目
天候:雨
健康状態:良好
本日の走行:釧路〜R38〜白糠〜浦幌〜帯広
宿泊地到着時刻:15:30
宿泊地:帯広ホテルホリデー
走行距離:118km
パート2総走行距離:21591km
明日の予定:帯広周辺

雨の中を何処まで行けるか?行けるものなら帯広まで120kmを走りたい。

昨晩の天気予報では、くもりベースで後半に雨。今朝の天気予報は朝から一日中雨になっていた。最悪の天気。出発前、雨に当たっても良いように防水処置を念入りに行った。
朝食のおにぎりを貰い、07:00を出発。後は、雨の降り具合に合わせて走るだけ。ただ、走るだけ。
と、考えたのは最初だけで。段々悪くなる今日の天気予報。雨から解放されるには目的地に到着するしかない。雨の降り具合は関係なかった。
実際、ホテルを出た時は霧雨程度だったが、それが、白糠付近では小雨に、その後本降りになった。
やっと小降りになったのは、帯広に入る直前。

音別のコンビニに自転車が2台止まっていた。この雨の中を走る物好きなチャリダーがまだいたと嬉しくなり声をかけた。いかにも寒そうな感じで、一人が風邪を引いたので音別で泊ると言う。

12時前に釧路から70km程走ったところの浦幌というところに着いた。帯広まで後48kmの表示。まだ、それほどの疲労感はない。これなら帯広まで大丈夫だ。
そんな時、音別で会った2人組のチャリダーがコンビニに入ってきた。薬を飲んだら楽になったので、えりも方向に走り、道の駅で野宿をすると言う。
兵庫から来た大学生で、函館からスタートして北海道一周をするのだと言う。テントを持ってきていないので、ライダーハウス、道の駅等で泊っている。早く帰りたいと言っていた。ビニールの雨かっぱだけで、下は半パンツ。これなら寒いはず。寒そうな格好でカップ麺を食べていた。
気をつけて。無事に兵庫に帰れるように祈りますと言って分かれた、

帯広まで約120kmを走ったが、ゴアテックスのウィンドブレーカー、即乾性の下着を着ていると、それほど寒くないと言うことが分かった。ちょっと贅沢な服装で走っているが、少しぐらい濡れても走っている間に乾いてしまう。装備により苦労も少なく、体調も崩さず、安全性も増す。

さらに進み帯広まで15kmの幕別ではライダーとコンビニで一緒だった。ブルブル震えるようにたばこをふかしていた。ライダー氏は自転車の方が大変ですねと言ったが。自分で漕いでいる分、体が温まりバイクよりは楽です。ただ、向かい風の場合は最悪ですと答えた。

いつもならライダーから激励の合図を受けるのだが、さすがに今日はその余裕もなかったのか合図を送る人はほとんどいなかった。

そんな、雨に耐えひたすら走る一日だった。

「白糠は幕末八王子同心の人達が入植した地」


「コンビニで休憩」


「丹頂鶴が」


「丹頂鶴いた豊頃大橋」


帯広には20年ほど前に2年間いた。その間、夏は山登り、冬はスキーで楽しく過ごした。今晩は、その山登りの仲間と飲むことにしている。
雨の中を頑張って走ったのはそのためでもあるのだけれど、久しぶりであう仲間であり、会うのが楽しみである。
JUGEMテーマ:旅行


18:35 | 日本一周パート2(北海道) | comments(1) | -
2008年8月26日の記録
旅の記録 2008年8月26日(火)

発信地:釧路
旅行日:29日目
天候:くもり
健康状態:良好
本日の走行:厚岸散策〜R44〜釧路
宿泊地到着時刻:15:30
宿泊地:釧路ホテルオーシャン
走行距離:70km
パート2総走行距離:2041km
明日の予定:釧路〜R38〜白糠〜浦幌〜帯広

朝キャンプ場を出ようとした時、車で神奈川から来ている2組の夫婦にカジカ汁を飲んで温まっていかないと誘われた。昨晩も炊事場で釣ってきたカジカを前に一言、二言話をした。今朝その調理が終わり誘いとなった。
この二組、一方の主人が相手のことを兄さんと呼んでいたので、兄弟ですかと聞いたら、たまたま函館で一緒になり、それ以来、行動を伴にしていると言う。一緒に行動するのはいやなんだけど、ついてくるから仕方がないと冗談を言っていた。(ひょっとして本気だったり)

「神奈川から来られた方と」


昨日は休館だったので、改めて屯田資料館に訪れた。その前に、海事記念館へも立ち寄り、学芸員の方から資料のコピーを頂いた。

厚岸には、この屯田資料館と、海事記念館、厚岸博物館の3つの資料館がある。厚岸の歴史を残そうとする意識の高さであろう。資料もよく整理されている。
今回、厚岸と言う小さな町に一泊し、自転車で街中を走り回わり、人から色々話を聞くことにより、町の概要をつかむことができた。

「海事記念館」


「屯田資料館」


「太田屯田の入植地にひっそり残る赤松の木」


厚岸駅前で昼食を取り釧路に向けて出発。釧路までは40kmと少々、3時間弱の距離をただ走るだけ、釧路に着いたのは15時を少し回っていた。釧路に来れば弊舞橋だと、まずこの橋で記念撮影。宿をどうするか迷ったが、以前、釧路でビジネスホテルの値下げ戦争まッ盛りと聞いたことがあったので、その中でも安い駅前のホテルを探し泊ることのした。1泊、朝の軽食付、展望浴場ありでシングル4000円。これは安い。今日はゆったりとベット休み鋭気を養うことにする。

「弊舞橋」

18:44 | 日本一周パート2(北海道) | comments(1) | -
2008年8月25日の記録
旅の記録 2008年8月25日(月)

発信地:厚岸(8月26日)
旅行日:28日目
天候:くもり
健康状態:良好
本日の走行:根室〜R44〜厚床〜厚岸
宿泊地到着時刻:16:50
宿泊地:厚岸筑紫恋キャンプ場
走行距離:106km
パート2総走行距離:1971km
明日の予定:厚岸〜R44〜釧路

今日の厚岸大田兵村の訪問を持って全屯田兵の入植地37ケ兵村すべてを走破した。
北海道を一周する場合の外せない大事な目標で、2年前の怪我から復帰後に始めた「北海道開拓の歴史を自転車で廻る」テーマの一つだった。
なお、今日は月曜日で資料館は休み。明日、再度資料館を尋ね説明を聞くつもりでいる。

今回この地に訪れて、厚岸湾がこんなに広く波静かな良港だったのかとまず感じた。地図を見たら函館湾よりも広い。明治の始めこの港が道東戦略の拠点港であることが分かった。
大田屯田兵はそんな厚岸の防衛のために、明治20年から22年にかけて配置された。今まで屯田兵には開拓のイメージが強く入植と言う言葉を使っていたが、この大田屯田については配置の言葉が合っているようでこの言葉を使った。

「厚岸の湾の風景」


大田地区は町の中心から8kmほど北西に上った台上にある。街中からその存在を感じることはできない。R44から標茶へ向かう道道14号線を上がっていくのだが、3kmほど進んだところから両側には原生林が茂り、入植した屯田兵家族はこの原生林の中を進んで行ったのだろう思った。

大田地区は現在牧場になっている。役場の手前にあるホクレンのスタンドを左に進んだところに屯田兵屋があると言うので見学にゆく。入植した場所に当時の姿で兵屋が残るのはこの大田と旭川にしかない。その兵屋は松本さんと言う子孫宅の一角にあった。丁度、松本さんが植木の手入れをされていたので挨拶をした。この地で牧場をされている方のほとんどは屯田兵の子孫であるという。
兵屋の中に入場者の記帳名簿があり、住所を確認したら、見学者は日本全国から来ている。そして、その数はかなりに上っていた。全国に散らばる親族、子孫の方が多くいるのだろう。

「屯田兵屋」


「中隊本部跡」


「赤松の碑」


途中コンビニに立ち寄り、夕食の食材と晩酌の酒を購入し筑紫恋キャンプ場に着いたのは16:50だった。テントを張り、一杯飲み飯を食べ終えた時には、眠さも限界に来ていた。
この日記は朝起きてから書いている。

このキャンプ場には鹿がいる。人間に慣れてしまっているのかそれほど警戒心はない。最初は5〜6匹、暗くなった時には10数匹もいた。入場料も210円と安く。鹿を真近で見たいと思われるチャリダー、ライダーにはお推すめ。

「キャンプ場の住人になった鹿」


昨日泊ったライダーハウス インデアンカンパニーは気に入った。ライダーハウスに泊るのは初めてで、泊る場所では疲れを取りたいと思い、大勢の人が一部屋に集まるライダーハウスは避けてきた。
このライダーハウスは管理が行き届き、しつけにも厳しいようで快適だった。
昨夜は5人の宿泊者があり、ライダー3人(内一人は女性)、チャリダー2人で、皆一人旅だった。カニを食べながらビールを飲み、語り合うことができた。食べ終わったころに宿の主人?が、カメラ片手に参上、ライダー達を和ます会話をし記念撮影をしてくれた。このライダーハウス インデアンカンパニーの人気度ランキングは実質第1位らしい。奥さん?娘さん夫婦?皆さん気さくな人で、宿泊者に対する心遣いも行き届いており気に入った。

「ライダーハウスの晩餐の後で」


今朝は全員、ほぼ同じ時間に起床し、出発準備をし、互いに分かれの言葉を交わし、それぞれの目的地の向かい出発をした。

「出発前の勢揃い」


「気に入った道炉端の看板」

12:16 | 日本一周パート2(北海道) | comments(0) | -
2008年8月24日の記録
旅の記録 2008年8月24日(日)

発信地:根室
旅行日:27日目
天候:くもり
健康状態:良好
本日の走行:根室〜納沙布岬往復
宿泊地到着時刻:15:20
宿泊地:根室(ライダーハウス インデアンサマーカンパニー)
走行距離:51km
パート2総走行距離:1865km
明日の予定:根室〜厚床〜茶内〜厚岸

10:55日本最東端納沙布岬(北緯43度23分07秒、東経145度49分01秒)に到着

「納沙布岬」


ついに日本本土の東・西・南・北すべての最端を走破した。

根室から納沙布岬まで根室湾側のコースと太平洋側のコースの二つがある。
根室湾側のコースは、距離も長く丘陵が連なるアップダウンの連続で、自転車にはきついが眺めは牧歌的で北海道らしい。それに対し、太平洋側のコースは、平坦な道が多く、街並みも少しある。距離も少し短い。
どちらのコースを行くかは本人次第であるが、我が輩は往路を根室湾側、復路には太平洋側コースを選んだ。
往路は迎え風の攻撃を受け2時間半もかかってしまった。逆に復路は追い風の助けを借り1時間ちょっとで根室に到着をした。往路の1/2以下である。風の影響は大きい。

「丘陵の連なる根室湾側のコース」


「もう一息」


納沙布岬到着後、記念撮影を早々に済ませ、カニの鉄砲汁をすするために土産物店に入る。
鉄砲汁は走っている最中から食べたいと思っていた。足のブツ切りが5本ほど入っただけで500円はちょっと高いが、冷たい風に当てられた体を十分に温めてくれ、お金以上の価値があった。

往路の走行中、対向車線を走るチャリダーがいた。ちょっと声をかけたついでに、根室での宿を聞くことができた。今いるライダーハウス インディアンサマーカンパニーであったが、宿泊代金は1000円のカニを食べれば無料。泊らない手はない。

根室に着いたのは14:00。まずはJR根室駅の観光案内所へ行き、ライダーハウスの場所を確認。その後、写真を撮るのを忘れた明治公園へ立ち寄り、今日のお宿へ向かう。話の通りのライダーハウスで満足。

「明治公園のサイロ」


「途中立ち寄った金比羅神社と高田屋嘉兵衛の像」




チョット気になったのは、後に開拓使大判官になった松本十郎の碑がなかったこと、アッシー判官と親しまれ根室で活躍をした人物である。なぜ記念碑がないのか?最後に黒田清隆と喧嘩別れをするように郷里の庄内へ帰った人だからか?
観光案内所の人に尋ねた時、私も好きな人物です。名前は松本町として残っていますとのことでした。

現在時16:15、日記の整理はこれで切り上げ。後はゆっくりする。


16:30 | 日本一周パート2(北海道) | comments(3) | -
2008年8月23日の記録
旅の記録 2008年8月23日(土)

発信地:根室
旅行日:26日目
天候:くもり
健康状態:ちょっと膝痛
本日の走行:尾岱沼〜中春別〜別海〜厚床〜根室
宿泊地到着時刻:16:25
宿泊地:根室明治公園
走行距離:89km
パート2総走行距離:1806km
明日の予定:根室〜納沙布岬〜根室〜

今日もどんよりした天気。気温も低い。昨日川北で聞いたら、本来はこんなに寒くはないと言っていた。運が悪いのか?16日稚内をスタートしてから、からっと晴れたのは18日の午前中くらいで、後はほとんどが曇り空。

そうそう、昨日の日記に騒がしくしていたグループ
の中に子供たちがいたと書いたが、今朝見た感じではいなかった。訂正。若い人が殆どで、花の金曜日、日頃のうっぷんを晴らしたのか?

出発時、膝の調子は何とも言えなかったので、根室まで海岸沿いを行くか、牧場の風景を見るため別海に入るか迷った。そして、尾岱沼から中春別への入り口で右折することにした。別海へ向かうコースである。
案の定アップダウンの連続で、すこし後悔をする。
しかし、丘陵に広がる牧場の風景は雄大で、度々停止し写真を撮った。

「リアルな看板」


そのアップダウンも別海を過ぎたあたりでさほどでもなくなった。左足を力強くこぎ、右膝をカバーしつつであったが、なんとか順調に走れた。
別海から10kmほど行ったところに奥行というところがある。その手前にある牧場の眺めが気に入った。ちょっと牧草地に入らせてもらい大の字になって寝そべった。ほんの数分であったが気持ちが良かった。この数分間で別海経由で走った目的を達成した。

「今日最高の景色」


奥行からさらに10kmほどに行ったところに厚床がある。厚床の交差点を根室に向け左折したところにコーヒーの看板があった。一旦通り過ぎたが時計を見たら、今日の目的地、根室手前の和田到着時刻14:00にはまだ45分ほど余裕がある。
コーヒータイムにした。

帰りぎは、お客さんから根室でテントを張れそうな場所を、その場所がだめなら近くに民宿があることを聞いた。これで宿の心配はない。

厚床から和田までは約25km。1時間30分ほどで到着できる。と、思いきや向かい風が強く2時間かかってしまった。和田は屯田兵の入植した地で和田の資料館には3人の子孫の方が迎えてくれた。
和田は屯田兵の中でも特別な地で苦労した話、他の入植地が立派な資料館に資料を保管している中で、この屯田兵被服庫が残ったのは貧しかったからだと言うような現地でしか分からない話を聞くことができた。

3人には牧場の仕事を割いて来ていただいた。本当に申し訳なかった。牧場の仕事は365日休みなしで朝も早い。大変である。
申し訳なかったが、訪れることにより厳しかった開拓の歴史。そして、厳しい酪農経営の現状の一端を知ることができ良かった。

「資料館前で」


「資料館(屯田兵被服庫跡)」


「和田小学校跡の碑」


16:25に明治公園に着いた。バーベキューをしている人に聞いたら、テントを張っていいんじゃない。との返事、その後、ビールとおにぎりまで差し入れしてくれた。
その後、風呂に行った時、明治公園はキャンプができないことを知った。
朝早くテントをたたもう。
20:33 | 日本一周パート2(北海道) | comments(0) | -
2008年8月22日の記録
旅の記録 2008年8月22日(金)

発信地: 根室(8月23日)
旅行日:25日目
天候:くもり
健康状態:良好
本日の走行:85km
宿泊地到着時刻:17:10
宿泊地:尾岱沼ふれあいキャンプ場
走行距離:85km
パート2総走行距離:1717km
明日の予定:尾岱沼〜R244〜厚床〜根室

腰の具合が良くなったら今度は膝である。
右膝皿の上が少し痛い。

釧北峠越えで少し無理をしたのか?
釧北峠は490mの標高があるが、斜里から24kmの間で少しずつ上っていくので、それほど険しいとは感じなかった。気温が低いのも影響したか?
昨晩のお宿、みどり工房しゃりキャンプ場を出てから休憩なしで峠まで上った。途中、ちょっと右膝に違和感があったが、あまり気にもせずペタルを漕いだ。
峠の頂上で一息入れ、川北へ下りた時に痛みを感じた。それほどではないが、その後の行動に影響をした。続きは後で。

「釧北峠」


川北と言う地名、北海道の人でもあまり知らないと思うが、標津の西側にある。そして、今日の目的地である川北中学校がある。
この川北中学校の校長先生は、明日訪れる予定の根室和田屯田兵が設立した小学校の校長をされていた。そして、この3月に転勤となりこちらの校長をされている。
そんな校長先生であり、明日和田へ行く前に挨拶をし和田屯田兵の話を少し聞こうと思った。
ご本人自身は屯田兵の子孫ではないが、和田小学校の廃止、統合された新しい小中学校設立等大変な苦労をなさった。
そんな統廃合の経緯や、小学校廃止の際に卒業生約8000人案内を出し、色々な地域から多くの屯田兵子孫の方が来られた話、この根室が牧畜の発祥の地で、屯田兵の人達がこの地域に牧場を築いた話とか色々うかがった。その後、教育の話におよび僻地の学校の生徒のこと等、貴重な話を伺った。
その中で、卒業生の多くは釧路、帯広等の学校に進学し、その後、中央の大学へ行く。そんな、子供たちは地元には戻ってこない。
徐々に地方から若い人材が流出していく。これが、地方が疲弊する構造なのだろう。

「川北中学校」


今キャンプ場のテントの中で日記を書いている。
22:00である。テント場の中心にある炊事場で騒いでいる集団がいる。職場の集まりなのか分からないが、周りの人の多くが疲れて休んでいることに気がつかないのだろうか?
特に気になるのは、その中に大勢の子供たちも混じっていること。
日中、教育の話を聞いた同じ日に、周りの人に気遣いのできない親がいることに愕然としている。

また膝に戻るが、今日の宿泊場所は、当初、開陽台だった。学校を出た後、川北市街の外れにある「鐵の湯」という鉄工所の敷地内にある温泉に直行し膝をもみつつ疲れをとった。開陽台までは1時間程度、すぐだと思いきや、そこからは登り坂で膝に負担がかかった。そして、開陽台は根室とは逆方向で明日の走行距離が伸びる。
予定変更で根室方向に30km程進んだキャンプ場に来た。入場料を取られこの騒ぎ、ちょっと気分は良くない。

「鐵の湯」


「尾岱沼ふれあいキャンプ場」


「標津付近から国後を遠望」


膝の具合は関節痛ではないので大丈夫だと思うが、上湧別の整骨院の先生が言っていたように、若くはないのだから体をいたわることが必要なんだろう。
16:59 | 日本一周パート2(北海道) | comments(0) | -