日本一周by自転車

定年退職を機に、「もっと日本のことを知りたい」との思いから日本一周に挑戦。
4,800kmを走ったところで事故にあい負傷。
一度、心に決めた目標は絶対に達成する!!
2年後、「北海道開拓の歴史をたどる旅」をテーマとして再チャレンジ!
2008年10月遂に日本一周を達成。
夢はまだ続く。
新しい目標は、自転車で旅をしながら郷土の歴史を調べる。
2008年10月4日の記録
旅の記録 2008年10月4日(土)

札幌(自宅)に到着

本日の走行:苫小牧〜札幌(自宅)
自宅到着時刻:17:35
走行距離:66km
パート2総走行距離:4379km

フェリーは定刻通り13:30苫小牧港に到着し、自宅まで66kmを慎重に走る。
17:35無事自宅に到着。

「自宅に到着」


これをもってパート2の旅を終了する。
1日の日記にも記しましたが、応援して下さった皆様ありがとうございました。

ブログの方は、暫くの間、旅を終えてと言うことで思うところをUPしたいと思っています。

「フェリーで見た朝の景色」







「苫小牧港に到着」

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20:34 | 日本一周パート2(東北) | comments(2) | -
2008年10月1日の記録
旅の記録 2008年10月1日(水)

発信地:茨城町
パート2旅行日数:60日目
天候:くもり
健康状態:良好
本日の走行:那珂川〜R293〜緒川〜県道12号〜R123〜水戸〜R51〜大洗
宿泊地:茨城町知人宅
到着時刻(大洗港):15:30
走行距離:82km
パート2総走行距離:4313km
事後の予定:
 2日神奈川母校訪問等
 3日18:30発のフェリーで苫小牧へ
 4日夕札幌自宅着
        
2008年10月1日15:30大洗港到着
日本一周を達成

「スタートしたに大洗港到着」


感動のない男だなと言われるかも知れないが、今日の走行が終わったと言う感じで、日本一周達成の実感はない。4日札幌に無事帰宅をしダラリとした時にその感動が起こるのかも知れない?

大洗港には2年前スタートする時にお世話になったKさん夫婦が仕事を休み出迎えに来てくれた。申し訳ないが、それにも増して嬉しい。
後で日本一周達成のお祝いに甘えさせてもらうつもりでいる。

「大洗港でKさんご夫妻と」


応援して下さった方へのお礼が遅れましたが、ありがとうございました。
旅の途中で、電話・メールで、ブログの書き込みで激励いただきありがとうございました。
また、ブログの日記を読んで下さいました多くの皆様にもお礼を言います。
足かけ2年半、4カ月におよぶ気ままな旅でしたが、かけがえのない体験ができたと思います。そして、この経験は今後の人生に何らかの形で生かせるものと思っております。それが応援をして下さった方に対するお礼ではないかとも思っています。

今考えていること。
早くビールが飲みたい。

日本一周は終わったが、パート2の旅は終わっていない。4日自宅に到着するまで事故なく、健康を害することなく行動する。

旅の整理について、とりあえず思いつくまま、気の向くまま活字として残していきたい。

心配をかけた家族へのお礼。

そして、新たな職につく。


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18:31 | 日本一周パート2(東北) | comments(10) | -
2008年9月30日の記録
旅の記録 2008年9月30日(火)

発信地:那珂川町馬頭温泉
パート2旅行日数:59日目
天候:くもり
健康状態:良好
本日の走行:白河散策〜R294〜黒羽〜那珂川
宿泊地:馬頭温泉旅館東屋
到着時刻:16:15
走行距離:64km
パート2総走行距離:4231km
明日の予定:那珂川〜R293〜緒川〜県道12号〜R123〜水戸〜R51〜大洗

台風が来る前に大洗に到着できそうだ。今日も雨雲との切際部を走行するので旨く行けば雨に当たらなくて済みそう。

朝食前、宿のすぐ裏にある長寿寺と言うところに行ってきた。ここには長州藩をはじめ土佐藩、館林藩、佐土原藩等西軍各藩隊士の墓がある。

「長寿寺にある西軍の墓」


今日は出来るだけ多くの白河の戦跡、墓碑を訪れ大洗方向に向け走行をした。

昨晩の宿、鈴金旅館を8時20分頃にチェックアウトし、昨日郷土資料館から頂いた地図を頼りにまずは小峰城付近の戦跡、墓碑を見学に行く。

「仙台藩士慰霊の碑」


小峰城をさらに南に進むと女石と言うところがあり、そこら東が仙台、西が会津に続く交通の要衝である。この地に仙台藩士戦死者を慰霊する墓碑があり、その向かえ側に「志げ女の碑」というのががある。この碑の説明は後で。

「志げ女の碑」


これらを見学し小峰城へ。この城は7家の大名により治められた。大河ドラマ「篤姫」にも出てきた徳川幕府の家老阿部正弘の城でもある。
城の入口には白河観光協会のボランティアの方がおられ、戊辰戦争の戦跡めぐりをしていますと言ったら、新選組に関する資料を渡され補足の説明を受けた。そう言えば、この白河は沖田総司出身の藩である。

「小峰城」


その後、白河歴史資料館へ見学と昨日の資料提供のお礼に行く。
これで、白河の戦史について概要を理解できた。
帰り際、昨日説明をして下さった職員の方がわざわざ見送って下さり記念撮影をした。後で質問の電話をするかもしれませんのでと言って分かれた。

後は旧奥州街道沿いの戦跡を見学し南下するだけとなった。

昼食を取ている時間がない。弁当を買おうとコンビニに立寄ったら、いかにも旅をしているという構えの外人ライダーがいた。声をかけたらドイツ人で、ヨーロッパから西アジア、シルクロード、ロシアを経由し5カ月かかってここまで来たと言う。この後、ラオス、カンボジア、タイ等をバイクでまわり、帰りはバックパッキングでドイツに戻ると言う?(?は、多分そんな風に言っていたようだ)

最後は、主戦場となった稲荷山に立寄り大洗にむけR294を南下した。

「稲荷山からの眺め」


「会津藩士戦死者の碑」


白河を出たのは12:45。結構長時間色々な場所を見学した。
戊辰戦争の戦跡を巡った結果については後日整理をしたいが、女石と言うところにあった「志が女の碑」の説明書きに「志が女は越後の出身で・・・・・。遊女として長州藩世良収蔵の相手をし・・・・・会津藩士に惨殺された。・・・・とあった」また、ある墓碑の説明書きには「戦死者は16歳から20歳前後の勤王の志士達とあった」これらを読み、この東北での戦争はなんであったのかと考えさせられてしまった。

白河は、東北へ玄関口に位置することから戊辰戦争の勝敗を左右する戦いがあり、東・西軍会わせ1000名を越える戦死者が出た。重要な地が故に戦場となり、焼け野原となった此の地に住む人の戊辰戦争を見る目は他の県とは違うのでは?市内のあちこちに西軍、東軍の墓碑があり、公平な目で戦争を見ているように感じた。

この旅の最後の宿は馬頭温泉にした。
この温泉、中々良い。那珂川淵にあり部屋の窓からの眺めが最高である。露天ぶろには遮蔽物は一切なく(全面が川で人から見られることはない)視界が開けている。
最後の宿を満喫できそうである。
07:15 | 日本一周パート2(東北) | comments(0) | -
2008年9月29日の記録
旅の記録 2008年9月29日(月)

発信地:白河
パート2旅行日数:57日目
天候:くもり
健康状態:良好
本日の走行:会津高田〜R401〜県道23号〜R118〜羽鳥湖〜県道37号〜白河
宿泊地:白河鈴金旅館
到着時刻:16:30
走行距離:80km
パート2総走行距離:4167km
明日の予定:白河散策〜R294〜

会津野YHはイメージした通りだった。
昨晩は一時連泊をも考えた。大洗まで約200km、2日で走れる距離である。
どうするか?結論は天気と相談。ここ数日の関東地方の天気は芳しくない。やはり29日は猪苗代湖周辺の山間部から脱した方が良さそうだと言うことで、白河を目標に走ることに決めた。

この時期の田園風景は一番美しいのではないか?黄金色に輝く稲穂と、こん盛りと茂る杉林のコントラストが微妙で絵になる。YHのある会津高田からの県道23号線は交通量も少なく田園風景を見ながら走れた。

「会津野の田園風景」


その後は一転、原生林に覆われた阿賀川の急峻な峡谷沿いをひたすら上った。最高点の標高はわからないが多分700mは上っているはずだ。

「阿賀野川の峡谷」


そんな上りの途中、芦ノ牧温泉を過ぎて3つ目の長いトンネルを潜った路側に一台の車が止まっていた。そして、私も以前自転車で旅をしましたと言って差し入れをしてくれた。トンネルの中で日本一周プレートがしっかり反射しているのだ。
車には数人の連れの方がいてあまり長が話はできなかったが、記念撮影をしようとカメラを出した時連れの女性がシャッターを押すために車から降りてきてくれた。そして、これ写して良いですか?自転車はスターの様。

「途中の風景、この付近の家の屋根は大きい」


「山間の棚田」


羽鳥湖には地図にも載っているオートキャンプ場があるが、営業をしているのだろうかと思えるほど閑散としていた。
最近はキャンプをする人が減ったとつくづく感じる。
今から20年程前、我が息子たちが小さかった頃、北海道のキャンプ場は満杯だった。あまり人が多いために、著名なキャンプ場は避けてテントを張った記憶がある。

羽鳥湖から暫く行くと下り坂となった。結構な急カーブ続く。幸い交通量が少なく、カーブの地点にはミラーが設置してあり安全に下ることができた。

途中で、白河の歴史資料館に電話を入れた。今日は休館日であるが、戦跡の場所についてはお答えできるとの返事だった。助かった。今日中に場所聞いておければ、明日の朝から回ることができる。

駅前の警察署で資料館の場所を聞き到着したのは16時前。対応に当たってくれた女性から懇切丁寧な説明を受け、地図と資料を頂いた。

「白河市歴史民俗資料館」


宿に着いたのは16:30頃。中々感じが良さそうな宿である。

これから頂いた資料を見て明日の行動を決める。
やはり、白河まで来てよかった。それは、資料館の職員から得た情報があってこそであるが、もし、会津野YHで連泊していたら、白河はほとんど素通りになっていたはずである。

明日の天候を祈るのみ。
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19:49 | 日本一周パート2(東北) | comments(2) | -
2008年9月28日の記録
旅の記録 2008年9月28日(日)

発信地:会津若松
パート2旅行日数:56日目
天候:くもり
健康状態:良好
本日の走行:猪苗代〜会津周遊(戸ノ口原、日新館、滝沢本陣、飯森山、松平家墓所、鶴ヶ城)
宿泊場所:会津野YH
到着時刻:17:10
走行距離:57km
パート2総走行距離:4087km
明日の予定:会津若松周遊〜R118〜芦ノ牧温泉〜羽鳥湖

昨晩、神社の奥にある温泉へ行きつけなかった理由が分かった。神社に向かって右に行かねばならないところを反対の左に行ったためであった。
今朝、もう一度保科公のお墓に行った時にそれが分かった。

今日は会津若松の散策と言うことで、あまり走行をする必要がなく気分的に楽だ。天気も穏やかでゆったりした気持ちで散策できそうだ。

まず最初に行った戸ノ口原戦場跡は会津レクレーション公園のすぐ横にあった。そこから飯森山方向に小道が伸びており墓碑がある。説明書きには装備の優れた数倍の西軍に・・・と記されていた。
白虎隊を含む会津藩兵は新政府軍に押され、山中をさまよいながら後退して行ったのだろう。そして、銃弾に倒れたのだろと想像した。

「戸ノ口原戦場の碑」


「戸の口原の眺め」


「磐梯山」


その後、会津藩校の日新館、滝沢本陣、飯森山、松平家墓所の順に見学をした。
松平家の墓所は鶴ヶ城の東側にあるが、歴代藩主の墓が山脚に並んでいるのだろうと思いきや、結構急な坂道を暫く進んだ山の上にあった。
年配の方が5人ほどいたが、登るのに苦労をしたことだろう。

「日新館」


「初めては鼻をなぜた可愛い馬」


「滝沢本陣」


「銃弾の跡」


「白虎隊士の墓」


「自刀者慰霊の碑」


「ローマ市から送られた碑」


「碑文」


「白虎隊士が通った戸ノ口原から通ずるトンネル」


墓所を見学しようとした時は既に15時を回っていた。
今日はゆっくり見学をという気持ちは、もう既になくなり、急いで山道を登り、9代藩主松平容保公の墓碑をカメラに収め、あわただしく来た道を降りた。

「松平容保の墓」


最後の鶴ケ城でもゆったりと見学するゆとりはなかった。

「鶴ヶ城」


「鶴ヶ城から城下の眺め」


会津野YHは鶴ケ城西側奥の田園地帯の中にある。我が輩の一番好きな風景である。到着した時には17時を過ぎていたが、田園地帯の風景が気持ちよく。
元気が戻ってきた。日本一周最後のYHとしては最高のロケーションである。YHの雰囲気も良さそうである。

部屋に入り、窓から見える田園風景の写真を撮った。

「会津のYHと田園」


やはり、今日も疲れてグッタリとなってしまった。
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20:14 | 日本一周パート2(東北) | comments(3) | -
2008年9月27日の記録
旅の記録 2008年9月27日(土)

発信地:猪苗代
パート2旅行日数:55日目
天候:くもり、小雨
健康状態:良好
本日の走行:福島〜R4〜二本松〜本宮〜県道8号〜R49〜R115〜猪苗代(土津神社)
宿泊場所:土津神社境内
到着時刻:15:30
走行距離:78km
パート2総走行距離:4030km
明日の予定:猪苗代〜会津若松周遊

今は懐中電灯だけの明かりしかない社務所の入り口で雨宿りをしながら、そして、御神酒をいただきながら日記を打っている。暗灰色の空に杉のシルエットが何だか不気味に感ずる。

この土津神社のすぐ上に温泉があったのだが、先ほど神社脇の道路を歩いて行ったらたどり着かなかった。暗くなる前、神社裏の小道を上り、保科正之公(初代会津藩主)のお墓を参った時、神社のすぐ上にあったのに。

さすがに真っ暗なお墓の道を歩いてまで温泉に行く気は起こらなかった。
そんなことで、本来であれば温泉の休憩所でビールを飲みながら日記を書いているところが社務所入り口で寒さをこらえながら書く羽目になってしまった。

今日は、途中に史跡等を見学することもなく、訪問すると連絡を入れていた15:00到着目途に土津神社を目指した。

福島から二本松の先にある本宮までのR4は路側も広く走りやすい筈であったが、左前方から吹く風が強く結構大変だった。その風を一番危険に感じたのは猪苗代の手前である中山トンネル内である。丁度、トンネルが風の通路状態になっており、中々前に進まない。幸い右側の歩道が広く自転車が通行できたので難を得たが、もし歩道が狭ければちょっと危険だ。

「猪苗代手前の強風」


「猪苗代湖が見えてきた」


猪苗代に着いたのは14:30で、昼食をまだ取っていなかった。ちょっと遅れますと電話を入れ遅い昼食をとった。
神社の入り口で白い大きな犬を引く若いカップルに声をかけられた。後で聞いたら埼玉県から来たご夫婦で、旦那さんは以前北海道を縦断した経験があり、自転車で旅をしている人を見ると激励をしたくなるのだと言っていた。
折角なので犬にも入っていただき記念撮影をした。

「可愛いわんちゃんと」


そんなこともあり、神社到着が遅れてしまった。

「土津神社」




ところで、なぜこの神社を訪ねたか?
最初に屯田兵が入植した琴似にある琴似神社は会津の祖、保科正之を合碑している。当時の人達にとって神社は心のよりどころで、その神社に藩祖である保科正之公を合碑することは長年の夢であった。また、琴似神社への合碑の際し、土津神社のから多大なご支援を頂いたとも聞いていた。そんなことから、この土津神社を抜きにして会津若松を訪問できないと思った。

「保科正之の霊廟」


「保科正之の墓」


やはりこの土津神社は戊辰戦争で焼かれ、今あるものは再建された建物である。
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05:14 | 日本一周パート2(東北) | comments(0) | -
2008年9月26日の記録
旅の記録 2008年9月26日(金)

発信地:福島(27日)
パート2旅行日数:54日目
天候:くもり〜小雨(白石を過ぎ風強し)
健康状態:良好
本日の走行:亘理〜県道14号〜R349〜角田〜市道〜R4〜白石〜福島
宿泊地:福島(友人宅)
到着時刻:17:50
走行距離:80km
パート2総走行距離:3952km
明日の予定:福島〜R4〜二本松〜本宮〜県道8号〜R49〜R115〜猪苗代

今旅行間で始めて当日に日記をつけられなかった。
昨夕から福島市内に住む友人のお世話になっている。
友人とはスキー仲間として20年近くの付き合いで、3年に1度、北海道のニセコに集いスキーの技を磨いた。(と言っても、その後の温泉と酒に重きを置いていたが)若い頃から、趣味でもあるスキーを通じて良い付き合いをさせてもらって来た。

そんな彼には、2年前日本一周にチャレンジした際、福島へ行く時はよろしくと連絡を入れていた。

今回、黙って福島を素通りするわけには行かない。ちょっと、失礼な言い方だが、もし、天候等で旅の日程がずれ込んだ場合、黙って通過も念頭にあった。幸い予定通りの旅程で走行しており、では。と一昨日電話をいれた。
当然、昨日は金曜日で友人は仕事を終えてからの対応にならざるを得ず、18時頃にコンタクトすることで打ち合わせをした。

福島までそれほどの距離ではないので、出発を少し遅らせ09:05に宿を出た。

今日は久しぶりの雨の降る天気。
途中、北海道の栗山町(角田)の開拓に関係した角田、札幌市白石区の開拓に関係した白石を訪ね福島に入った。
角田では事前に郷土資料館に電話を入れ見学させてもらった。その資料館は元この地で隆盛を誇った氏家氏と言う商人の屋敷をそのまま使ったもので立派な資料館であった。館員の方から特別に案内をして頂きじっくりと見学することができた。

「角田郷土資料館」


白石は伊達藩の猛将片倉小十郎収めた地で、城のみ見学してきた。

「白石城」


白石のコンビニの前で座り込むチャリダーがいた。見たらサイクリングスーツに身を固めた年配の方で、日本縦断中との事。一日130km程走っている。今日は二本松付近まで行こうと思っている。野宿はしていないとの事。
かなり自転車に乗り込んでいるような感じの人だった。お先に失礼と先に出発したが、白石の町はずれで「お先に」と簡単に追い越された。

「これから福島県に」


その後の走行が大変で、山間部を出たところで急に横風が強くなった。そして、時折前方からも。突風が来るたびにハンドルを取られそうになる。
今まで順調で、福島の街中でコーヒータイムでもとろうと思っていたが、市街地に入るまで歩道をママチャリのごとくゆっくり走らざるを得ず。
友人とコンタクトした場所に到着したのは18時前であった。もうライトなしでは走れない暗さになっていた。

ところで、二本松までと言っていた方はこの風の中どこまで走ったのだろう?

友人とすぐ近くの土湯温泉へ。
23時近くまで飲み語らい楽しい時間を過ごした。

「友人と自宅前で記念撮影」


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06:51 | 日本一周パート2(東北) | comments(0) | -
2008年9月25日の記録
旅の記録 2008年9月25日(木)

発信地:亘理
パート2旅行日数:53日目
天候:くもり
健康状態:良好
本日の走行:仙台周遊〜R4〜亘理周遊
宿泊地:亘理中正旅館
到着時刻:16:50
走行距離:50km
パート2総走行距離:3872km
明日の予定:亘理〜県道14〜R349〜角田〜R113〜市道〜大河原〜R4〜白石〜福島

朝食を終え、お茶を飲んでいる時、外人さんが斜め前に坐った。だまって席を立つわけにも行かない。とは、言っても・・・・?困った。とりあえずどこから来たのと声をかけたら、フランス人だった。
陽気なアメリカ人と違い中々手ごわそうで、いつ日本い来て、何をするのかだけの会話をした。
10日前に日本に来て、10月から1年間、東北の大学に入るらしい。
これ以上の会話は無理。これから、出発するのでと断って席を立った。

仙台では伊達藩ゆかりの場所として大崎八幡宮、青葉城を見学した。
昨日の塩釜神社も同じであったが、大崎八幡宮も山の上で、瑞厳寺も要崖の地、いざと言う時は砦の役割を果たしたのだろう。

「大崎先八幡宮」


青葉城へはNHKの大河ドラマで伊達政宗をやっていた時、もう20年も前になると思うが?訪れたことがあった。その時は車で登り、その険しさを感じなかったが、自転車を押して登ることにより仙台城(青葉城)の大きさ、険しさ、城としての堅固さを体感した。

「青葉城から眺める仙台の街並み」


「伊達政宗の像」


「支倉常長の像」


今回の旅で鶴岡城、最上城、秋田城、弘前城、盛岡城、岩出山、亘理城跡を見てきたが、奥州の覇者伊達政宗だけのことはある。仙台城は別格の域にあった。
仙台市内を散策し街を出たのは11:00頃。
亘理までは約35kmの距離ですぐ近くである。

亘理市街手前のラーメン店の前で、昨日聞いていた郷土資料館に電話を入れ終わった時。以前日本を縦断したことがあると言う方から差し入れを頂いた。数分間の立ち話であったが、小学校で子供達にその旅のことを話をしていると言う。
私も、声を交わした子供達が大きくなった時に、日本一周をやっていたおじさんがいたことを思い出してくれればいいなと話した。

郷土資料館に着いたのは14時過ぎ。資料館のある建物は亘理駅に連接し、城を真似た作りとなっている。それだけ、伊達家の名門である誇りを持っているのだろう。
おられた学芸員の方に自己紹介を兼ね訪ねた目的を伝え、亘理市街地にある伊達家縁の地について伺う。そして、雑談の中で北海道伊達市との関わり、琴似屯田兵等について話をした。

「亘理郷土資料館のある建物」


旧街道沿いには古い建物が多く残っている。
資料館のVTRの中でもあったが、北海道開拓に向かった藩主以下は大変な苦労をしたと言うが、残された人たちも同様に苦労をしたことだろう。
古い家々が現在も残っているのはそんな証でもあるのでは?

「亘理伊達家の霊廟」


「亘理の古い街並み」


今日は2食付の旅館泊り。
明日の天気は芳しく無さそう。

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20:05 | 日本一周パート2(東北) | comments(0) | -
2008年9月24日の記録
旅の記録 2008年9月24日(水)

発信地:仙台
パート2旅行日数:52日目
天候:晴れ
健康状態:良好
本日の走行:岩出山〜R47〜古川〜R108〜県道19号〜鹿島台〜R346〜松島〜塩釜〜県道35号〜県道8号〜仙台
宿泊地:仙台(YHメープル仙台)
到着時刻:16:10
走行距離:86km
パート2総走行距離:3822km
明日の予定:仙台周遊〜R4〜R6〜亘理

目を覚ましテントの裾をまくったら空が赤く染まっていた。真正面から日が昇なんて、テントを立てる時に気が付いてはいなかった。ラッキー。伊達政宗も仰ぎ見たであろう城の跡から旧城下を前に朝陽を仰げるなんて。
やはりこの光景を見るために一台の車がやってきた。カーステレオの音量を上げていたので若い人だと思う。互いに太陽を拝むことが第一で会話はせず。その車は東の空が赤から白く変わった途端に降りて行った。

「岩出山城の朝陽」


テントをたたみ終え出発しようとした時、散歩で来られた2人ずれの年配者に挨拶をした。この方達は北海道の当別(岩出山の藩主以下が開拓した地)へ行ったことがあると言っていた。姉妹都市でもあり交流していると言う。ちょっと嬉しくなった。

今日も天気は良さそう。
古川までは追い風を受け順調に走れた。その後、R108から県道19号に入り鹿島台を過ぎたあたりで横風が強くなってきた。
ちょっと休憩を入れ日記を整理しながら風が収まるのを待った。

「宮城野の田園風景」


「風が強く一息入れる」


「歩道のポールの目的は?」


だが、風の収まる気配はない。松島まで後15kmほどで、もう少し行くと山間部に入る。多分大丈夫だろう。と、できるだけ風を受けないように背を丸めて走りだした。丁度この区間は田んぼの真ん中で遮蔽物は何もなく歩道もない。突風よ吹かないでくれと祈りながら走った。500mほど行ったところで右側に歩道があった。普段は右側の歩道を走ることはないが、今回は願いに神である。
そして、暫く進むと山間部に入り風を気にしなくてよくなった。

松島に着いたのは11:30。さすが日本を代表する景観の地だけはある。連休明けの平日なのにシーズン最盛期のにぎわいであった。では、その海はとなるとコバルトブルーから程遠い濁った灰色の海。最近雨は降っていないのに何故?
遊覧船に乗り、陸地を離れれば澄んだ海になるとは思うが?
実はこの松島と瑞厳寺には35年前に来たことがある。その時、特に覚えているのは瑞厳寺の石仏である。当然であるが、それは、あの時の思い出のままに存在した。

「松島の海」




「瑞巌寺」




「瑞巌寺の前に自転車が」


その後に行ったのは塩釜神社。ここは初めてで、見上げるような階段が続く。石灯篭の根元に自転車を立てかけ見上げたら、手前に、見たことのある外人の写真と説明板があった。函館戦争時軍事顧問として参戦したフランス軍人のブルネイであった。なぜかしら懐かしい人に会ったような感動を覚えた。
何故ここに?それは、・・・・。

「塩釜神社」




仙台の宿泊はホテルにするかYHにするか?
先立つものが気きになりYHにした。
到着したのは16時過ぎ。部屋は和室を一人独占。
休養するにはこれの方が良いか。

明日は青葉城の伊達政宗に挨拶をして北海道伊達市の開拓に尽くした藩のある亘理へ行く。
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19:16 | 日本一周パート2(東北) | comments(2) | -
2008年9月23日の記録
旅の記録 2008年9月23日(火)

発信地:岩出山
パート2旅行日数:51日目
天候:くもり
健康状態:良好
本日の走行:平泉〜R4〜栗原〜R398〜県道17〜岩出山〜岩出山散策
宿泊地:岩出山城公園
到着時刻:15:00
走行距離:66km
パート2総走行距離:3736km
明日の予定:岩出山〜R47〜古川〜R108〜涌谷〜R346〜松島〜塩釜〜R45〜仙台

まずは、ザヮと来る話を。
そろそろ身支度でもと思い、天窓の網を開いてみた時、素足の脚に冷やりとするものがあった。ヒルのような?ミミズのような?のがくっ着いていた。飛びはねた。
ハッキリ目が見えないので何だったのか分からないがその時の感触はまだ左脚にある。
ぬるぬるする虫、毛虫、クモ、餓、ヘビは見るだけでぞくぞくする。よくそんなので野宿をしているなと思うかもしれないが、見えなければ、そして、いることを想像しなければ何とかなる。
ところで、ヘビの話であるが、北海道では一度も見かけなかったが、東北に入ってから車にひかれたヘビをよく見かける。八戸では大きなあおだいしょうが、歩道の真ん中でのびていた。あわてて車道によけた。(この時は自転車を押して歩いていたので気遣いは無用)
バッタにトンボ、干からびたミミズ、カエルまで何でも道路脇で大往生している。そのたびに、ハンドルでよけようとするが、避けきれずに引くこともある。

今日は岩出山まで。
なぜ岩出山に?
明治のはじめ、伊達の支藩である岩出山家は藩主伊達邦直以下をもって当別に入植し開拓につくした。詳しいことは略するが、伊達市を築いた亘理の藩主伊達邦成の兄に当たる。
また、岩出山は戦国時代末期に伊達政宗が仙台城を築く前に10年間ほど統治した地である。

平泉から約60kmで、岩出山の町には13:00頃に到着した。
昼食の後、藩校である有備館の見学に行く。館員の方に見学に来た趣旨を話し補足の説明を受ける。
有備館の展示資料のメインテーマに北海道開拓のことが触れられており、何だかうれしくなった。
直系の子孫が当別にいるのだから当然と言えば当然かも知れないが。
しばらくの間、受付の横で歴史談義をし、特別の資料をいただき館を後にした。

「有備館」


「北海道移住者の碑」


「岩出山の商店街」


次に行ったのは伊達政宗入府の像がある城山公園へ。その帰り、ここならテントが張れそうな見晴しの良い場所を発見した。

「洋装の伊達政宗」


「絶好のビューポイントにテントを張る」


岩出山には宿はあまりない。明治時代からある旅館を紹介してもらい、一旦は泊ろうと思い行ったが、入り口にカギがかかっていた。

テントを張った場所は最高のビューポイント。しかし、岩出山には一軒の銭湯もなく、今日も風呂なしである。
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17:48 | 日本一周パート2(東北) | comments(1) | -