日本一周by自転車

定年退職を機に、「もっと日本のことを知りたい」との思いから日本一周に挑戦。
4,800kmを走ったところで事故にあい負傷。
一度、心に決めた目標は絶対に達成する!!
2年後、「北海道開拓の歴史をたどる旅」をテーマとして再チャレンジ!
2008年10月遂に日本一周を達成。
夢はまだ続く。
新しい目標は、自転車で旅をしながら郷土の歴史を調べる。
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旅を終えて(その11)
旅を終えて(その11)
「日本の歴史を知り伝統と文化を残すために」

最近の若い人は歴史を知らないとよく言う。
そう言う人は歴史を知っているか?
我が輩もその内の一人であるが、自信をもってYESと答えれない。

中学校、高校の社会科の時間で日本の歴史、世界の歴史、地理等を習った。よく世間で言う「何年に何があった。」「誰々が何を書いた、何を作った」等の教育、これら歴史教育の是非について他に譲るが、裏を返せば学校教育で習ったのは、歴史の入り口、歴史を勉強するきっかけだけだと言うこと、そう言えば他の課目も同じ様なもので、その後は、自らの意思で学びなさいという事だったようだ。

更に最近はIT化、グローバル化が叫ばれる時代。それらの知識も学ばなければならないので今の若い人達は大変だと思う。そんな、若者にもっと歴史を勉強しろと言っても無理かも知れない。

今日の題目「日本の歴史を知り伝統と文化を残す」という言葉は、日本一周をした時に携行した名刺に書いた言葉である。
これは大事な事だと思っている。以前にも書いたが、事故による中断をきっかけに郷土の歴史に興味を持ちだし、それらの史跡を巡っていたら、先代の方から受け継いだ日本の伝統と文化を次の世代の人達に伝えるのは大事だ。我々の世代に与えられた使命ではないかと思うようになった。

最近、日本の伝統と文化が危なくなっているという話をよく聞くようになった。事実だと思う。今かろうじてそれらが守られているのは戦前の世代の方がしっかりと守ってくれたからだと思う。戦後世代は、その政治、教育の中でそれらを軽視するような施策を受けてきた。新しいもの、流行の物、欧米のものがもてはやされ、自然とそちらの方向に感化されてきたように思う。
このままだと、我々の世代が分別ある歳になった時に、果たして郷土の伝統と文化を継承しているだろうか?チョット怖くなってきた。
「最近の若い人は歴史を知らない」と言う前に、我々の世代がしっかり勉強しなければと思う。
勉強が出来るのは、人生の大きな仕事を終え少し余裕が持てるようになった時からだと思う。
定年、後は年金暮らし(最近はそんな流ちょうな事を言えない時代になってきたが)。悠々自適に残りの人生を楽しむのも結構であるが、その前に、いかに社会とのかかわりを持つか、いかに後世のために尽くすかを考えねばと思う。その手段のひとつとして、一部の人が歴史を勉強するというのもあるのではと思う。

取りあえず、我が輩はこの自転車旅行を通じて、郷土の歴史を知ることの必要性、次の世代に伝えることの必要性を感じた。これからは、その方面に意を注ごうと思う。

我が輩は昨年の春、「北海道屯田倶楽部」の会員にならせてもらった。
この会のメンバーは入植者である初代から3代目の方が中心で、高齢化が進んでいる。では、4代目の人は会員になるかと言えば、そうではない。4代目の方は、入植初代の方とは墓前でしか合っていない方が殆どで、屯田兵の歴史そのものを知らない人が多い。
このまま何ら手を打たなければ、ひょっとして、この屯田倶楽部も近い将来解散と言うこともあり得る。
4代目の世代というのは我が世代である。団塊の世代とも呼ばれるが、高度成長期に育った世代で、欧米の文化に深く浸かった最初の世代ではないかと思う。恵まれた経済事情の中で育ち、新しい物好き、自己主張が強い。

「日本の歴史を知り伝統と文化を残すために」
生活に余裕の出来た方から、それ以降の人生を楽しむために日本の伝統と文化に関わる。かかわり方は人それぞれと言うのはどうだろうか?

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08:51 | 旅を終えて(パート2) | comments(3) | -
旅を終えて(その10)
旅を終えて(その10)
「ビジネス旅館VSビジネスホテル」

ここ数年、北海道の地方都市はビジネスホテルの建設ラッシュである。
先週末も千歳に行ってきたが、JR千歳駅前付近には名の売れたビジネスホテルが数棟建設されていた。
函館、旭川、帯広、釧路、北見等北海道の中核となる都市でこの現象が起きている。これは東北でも同じであった。
理由は、企業が経費節減のため支店を閉鎖していることにあるとニュースでは言っていた。

そのしわ寄せが、昔から細々と経営をしていたビジネス旅館に覆い被さってくる。
函館に行った時、いかにも昔風の旅館の前で宿泊交渉をしたら、女将から駅前にあるビジネスホテルのほうが安いよと言われた。
実際値段は殆ど代わらなかった。部屋の中には必要な物がすべて揃っており、食事、買い物等はホテルから100m以内ですべて終わらすことが出来た。

昔風のビジネス旅館の良さは、アットホームなこと、家庭的な朝食を食べれること(これは女将の気持ち次第でもあるが)。この確率は5割位で、食事は出来ませんと言う旅館もあるのは事実だ。
手作りの食事が美味しかったのは広尾町(襟裳岬の北にある)の民宿旅館、暖かみのあったのは厚沢部町(江差の東側にある)の旅館、その他、道東の北見、東北では青森、山形県の鶴岡、福島県の白河の旅館が良かった。また、ユースホステルでは福島県の会津の野ユースが良かった。

これらの旅館(ユースホステルを含め)の経営者は、安いビジネスホテルに対抗するため、その努力は並大抵のものではないと思う。が、我が輩としてはこれらの旅館等に残ってほしいと思う。
ビジネスホテルは便利で良いが、会話をするのはチェクインとチェックアウトの時だけ、後は、狭い部屋の中と、近くのコンビニ・食堂に行くだけ、そこでも殆ど会話はない。こんな世界がすべてであったら、なんと味気ない事だろう。旅の楽しみが半減してしまう。

これから先、ビジネスホテルと競争するのは大変かも知れないが、仕事で長期間泊まる人の為に、我が輩の様な旅人のために頑張ってほしいと思う。そして、ビジネス旅館ならではの人の姿の見えるサービスをお願いしたい。

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06:20 | 旅を終えて(パート2) | comments(0) | -
旅を終えて(その9)
旅を(その9)
「なんとか北海道からの人材流出を止めることが出来ないのか」

と言う、そんな我が輩の息子達も一人は東京、一人は青森にいる。

札幌は東京以北最大の都市として近代的なたたずまいを見せる。
数年前に駅前付近が改修され、世界にも通用するようなショッピングモールとなった。
駅前通りの地下をくり抜き、大通りからススキノの地下街に続ける工事も行っている。また、駅前通りに並行して南北に走る創成川沿いの工事も行っている。札幌は更に進化するのだろう。
その甲斐もあるのか、最近は、アジア圏の観光客が多い。

札幌圏の江別、岩見沢、空港のある千歳、港のある苫小牧付近までは札幌発展の恩恵を少しは受けているかも知れないが、それより先の地域からの人口流出は止まらない。交通手段が発達し、地方都市から札幌までが日帰り出来るようになり、若い人達がチョットした物を買う時に札幌まで来るようになった。それに伴い地方の駅前商店街はシャッター街となってしまった。
こうなると、地方に住む子供達は余程でないと地元には残らないであろう。札幌の子供達は更に東京圏等への通学、そして、就職をあこがれる。
過去にニシン業で栄華を極めた海岸沿いの町々は廃屋が連なり、学校が閉鎖となり、子供達の中には数10km先から通学している子もいる。
食料受給率200%の農村も同じである。北海道でコシヒカリに負けない米が出来たとか、一部では明るい話題もあるが、農業に従事しているのは高齢者が殆どである。

何とかならないのか。
我が輩は35年程前に北海道にあこがれ渡道した者の一人である。
あのころの北海道は今と比べてどうだったか?
組織の中の一員として全体を見ることがなかったので何とも言えないが、遊びに行った観光地にはカニ族という多くの若者で賑わい、ススキノの繁華街は他の地方にない賑わいがあった。
人口がどんどん増えていた時代でもあり、新天地の如く活気に充ち満ちていたと思う。
その頃は、北海道開発予算というものがあり、中央からの援助でかなり潤っていたと思う。漁業も200海里問題以前の時代で各漁港は繁盛し、石炭の掘削もまだまだ行われていた。それらで潤った人達が札束を持ってススキノを闊歩するという時代であった。

今はと言うと、高速道路、新幹線の延長が取りださされているが、それ以外の開発工事もほぼ終わり、石炭の時代は終わり、漁業は衰退の一途である。こんな中、北海道はどう生き残るのか?

北海道にあこがれ渡道した者としては、何とかもう一度フロンティア精神を思い起こし、未来に希望の持てる北海道にしたいと思う。

多分、中央からの予算を頼りにする今までのやり方では北海道の未来はない様に思う。
生き残る一つの手段としては北海道にある財産に付加価値をつける事にあるのではと思う。
財産の一つは農業であり、衰退の一途と言った漁業であり、広大な土地であり、全国に祖先を有する道民であり、寒冷といいつつも変化に富んで気候等々、他の地に誇れる財産は色々ある。
今までのやり方ではなく、情報・通信と結びつけたネットワーク化、集約化、効率化等、何か手段がある様な気がする。
3Kと言われる一次産業の中に北海道をよみがえらせるキーワードがあるように思う。
日高の牧場には、南部アメリカを思わせる洒落た建物幾つも建っている。空知、上川、十勝、・・・の農場にもその様な建物が現れる時代が来ることを祈りたい。

そんな夢をかなえることが出来るのは若者達の力である。

北海道を自転車で走っていて、いつもこんな事を考えていた。

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07:08 | 旅を終えて(パート2) | comments(2) | -
旅を終えて(その8)
旅を終えて(その8)
「なんとか出来ないのか人の集まらない郷土資料館」

パート2の旅で北海道、東北各地の郷土資料館、歴史記念館等を見学してきたが、全国的に名の売れた人物の記念館以外人の出入りは少なかった。殆ど人が訪れない施設もあった。
こんな所にこんな立派な記念館を?建物は立派でも、維持管理が難しく手入れの行き届かなくなっている館もあった。資料館=資料室として扱っているもの、図書館や集会場を同棟に含めている施設等各自治体で苦心しながら維持している様だ。

何とか人が来るように出来ないのか?
その前に、各地にある資料館は何の目的で立てたのか?地域に住む人達に郷土の歴史を知ってもらい為に? 町のPRの為に? そのどちらも?
大きな資料館を建てれば維持管理が必要となり、お金がかかる、少しばかりの入場料を取りその資金の足しにしょうとしているところがあるが、その額が高ければ人は入らない。

どうすれば、人は集まるのだろうか?どうしたらリピーターになってくれるか?
ある郷土資料館で、宿泊体験、食事体験等を企画しているところがあった。良い施策であると思う。泊まることによって色々な体験ができ、その地のことをより深く知ることが出来ると思う。
ある方が、札幌のすぐ隣、江別の近くにある北海道開拓の村を見学された時の感想をコメントしていた。
北海道開拓の村は、道内の各地から古い建物を集めて、開拓の歴史を知ってもらおうと作られた北海道では最大級の歴史テーマパークである。

その方曰く、「3連休中日だというのに閑散・・・。たぶん平日は修学旅行生などもいるのでしょうが。現在の道の財政状況からすると、いずれ閉館という話題も出てくると思います。
たぶん即効的な処方箋などないでしょう。世の中に数あるテーマパーク、動物園博物館等等、勝者と敗者の差は歴然。すべて「完成」した瞬間から歩みを止めるのだと思います。
テーマパークの勝者であるディズニーランドの成功の要因のひとつは「進化する遊園地(テーマパーク)」です。そして動物園の勝者である旭山動物園もまた「進化し続ける動物園」だと思います。「進化する博物館」というのもキーワードのひとつかと」
ご本人が言われたことをそのまま使わせてもらいました。

こんなにすばらしい施設をもっと有効に活用する方法はないのか?そんなときに思い出したのが、宿泊
体験と食事体験の企画。
「文化財だから宿泊に使うなんてもってのほか」と言われるかも知れないが、京都伏見にある寺田屋は
歴史館でありながら今も旅館を営んでいる。
北海道開拓の村の中には、かの有名な北海道大学の寄宿舎「恵迪寮」があり、北海中学の建物、旅館
も、番屋もある。分散して泊まれば中学校の生徒全員が泊まってもまだまだ余る。
人が来なくなり、解体されるよりはマシである。

この施設に泊まった子供達は、北海道の雄大さ、美しさを知ることだろうと思う。そして、野外炊事をすれ
ば、友との絆も深まる事だろうと思う。
そして、家に戻り、その時のことを父母、兄弟に話をするだろう。それを聞いた父母は、今度、北海道に
行った時には是非行こうと言うことになるのでは。そうすれば、830円の入場料も300円位に下げても
採算がとれる。更に色々な催しを計画しPRすれば、リピーターが増えていくのでは。

北海道の良さは著名な観光地だけではない、地元の人が気付いていないすばらしい場所、施設がまだ
まだある。
北海道の歴史は浅いが、どさん子の故郷は全国にある。すべての都道府県の人達が北海道の開拓に
関わった。新しい催しの企画、PRの仕方を考えれば人は集まるのでは?雪祭りも、よさこいソーラン祭り
もその知恵の産物である。

また、資料館等の施設をうまく活用すればチョットしたコンサート等も出来そうである。子供達を集めた
色々な体験も企画出来るのではと思う。
それと、関係ある資料館同士のネットワーク化と、関係した本州、四国、九州の郷土資料館との交流、郷
土に関係ある作家の著書の紹介等、郷土をPRする手はまだまだ残っているのではと思う。

旅行間、訪れた資料館では学芸員の方、地域のボランティア方に大変お世話になりました。現地の事を
何も知らないで余計な事かも知れませんが、何とかできないものかと思い勝手な意見を書かせてもらい
ました。

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21:08 | 旅を終えて(パート2) | comments(0) | -
旅を終えて(その7)
旅を終えて(その7)
「かかった費用」

準備の段階でかかった費用を「準備」のカテゴリーでUPしたが、もう一度登場してもらい、その後に、日々かかった費用を記す。

(準備でかかった費用)
自転車車体(+リヤキャリア、空気入れ、ボトルホルダ、携帯工具セット、
パンク修理セット)
             計 155,295円

フロントキャリア        15,000円
フロントバック          9,000円
フロントサイドバック       9.000円
リアバック            9,500円
サドルバック           3,000円
テールランプ           2,600円
サイクルメーター         3,500円
ヘルメット            9,000円
サングラス           10,000円
手袋               5,000円
ゴアテック雨衣(上下)     28,600円
速乾性パンツ×2         4,724円
同アンダーズボン         2,200円
同Tシャツ            3,591円                           
同長袖シャツ           2,772円
ウィルコム携帯端末       39,800円
画像保存用デジタルアルバム   39,800円  
SDカード            5,000円 
その他小物等          10,000円 
              
            合計 367,182円 

キャンプ用の装備、その他の衣類等は今まで登山に使っていたモノを活用することが出来た。
ウィルコムの携帯端末はブログへ記事を送るために購入、デジタルアルバムは2年半前に大容量の記憶媒体が高価であったために購入した。
自転車は定価160,000円の車体を割り引いて買った。

旅行間に必要な経費は、フェリー等の運賃、施設入場料、食費、宿泊費等で経路と旅行日数によって変わってくる。

一日の費用は、テント泊の場合約3,000円〜3,500円。ユースホステル泊の場合で約6,500〜7,000円。宿代によって費用は変わる。
贅沢な行動をしなければ1ヶ月約15万円位の経費が必要と思われる。
それから、自転車のメンテナンス、部品等の交換のために数万かかった。
それと、馬鹿にならないのが通信費で携帯電話の1ヶ月使用料は2万〜3万もした。
4ヶ月自転車日本一周の旅の総費用は100万〜120万程度である。

これが贅沢か? 贅沢でないか?
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20:44 | 旅を終えて(パート2) | comments(0) | -
旅を終えて(その6)
旅を終えて(その6)
「旅行間一度も病気をしなかった」

元来丈夫な体なのかも知れないが、腰痛と膝関節痛を除き、風邪を引いたり体調を崩したりすることはなかった。
それでも、健康管理には結構気を使ったつもりでいる。
どの様な処置をしたか、その辺のところを記しておく。

まず一番は早寝・早起きである。
朝早くから行動を開始し、出来るだけ早い時間に宿泊地に到着する事を心掛けた。その結果が、日中の走行、宿泊地到着後の行動に余裕が持て体調管理が容易となった。
宿泊地到着後は、テント泊、宿屋泊の場合によって差はあったが、しっかりした食事を取り、近くに浴場がある場合は入浴をし、洗濯をするよう努めた。

無理のない走行と宿泊
北海道の走行以外、無理を押してまでテント泊をしないようにした。テントを張る場所を探すのに結構な時間と労力が必要で、疲れた体で探すのは精神的な疲労にもつながった。
不確実なテント泊の場合は走行距離を少なめに押さえたり、テント泊が連続した後の宿屋泊の場合には早目にチェクインをし、少しでもくつろぐ時間を取れる様にした。体調に合わせた走行と宿泊に心掛けた。

食事
食事にはお金をケチらなかった。栄養のことに関しては素人であるが、通常、朝はパン、昼は外食と言うことになるので、野菜、果物を意識して取るようにした。夕食に食べる野菜は、生でサラダ風にして食べるか、フライパンで炒めて食べた。それも、多くの種類を少しずつ食べると言うことが出来ないので、今日は茄子を、明日はピーマンを、明後日はもやしと言う風にまとめて食べた。
また、1日3食とはせず、昼食は2回に分けて取った。水分の補給は、こまめに行った。

暴飲暴食をしない
アルコール類は、ほぼ毎日飲んだ。ビールであれば350mlを2缶、酒であればワンカップ2本、それ以上は控えた。食事は腹一杯食べたが、次の日に負担が残るような暴食はしなかった。
一番困るのは、知人宅に泊まった時である。事前に、あまり飲むことが出来ない、豪華な食事は遠慮しますと断った。が、食事はいつも豪華なものが出た。幸いかな普段の1.5倍くらい食べても次の日に残らなかった。飲酒はできるだけ控えた。

睡眠
早寝・早起きに心掛けたと言ったが、さすがにテント生活では快眠までは行かなかった。暑かったり、寒かったり、蚊の攻撃にあったりと。そして、朝早く起きる習慣がついてしまい、夜遅く寝ても4時頃には目が覚め、背中の痛い敷物では二度寝は出来なかった。(年のせいかも知れないが)

濡れない処置
雨風に当たっても濡れない処置には注意を払った。
服装については、「安全な走行のために」の項で書いたが、外被はゴアテックスの素材、下着は速乾性の素材を着用することにより濡れることを防いだ。また、気温にあわせ半袖、長袖、フリーズ、ウインドブレーカー等を着こなし、防寒、防暑に配慮した。
装具についても、雨に濡れるとその後の手入れが大変で、キャリアバックのカバーは勿論のこと、バック内用品もビニール袋に包み2重、3重の防水処置を施した。

入浴と洗濯
元来温泉好きで、近くに銭湯がない限り必ずと言っていい程入浴をした。
下着の着替えはほぼ毎日行った。着替えなかった日は、近くに水がない時くらいである。
そして、着替えた下着の洗濯は風呂場(洗濯禁止の張り紙をしてある時はしなかったが)、水のみ場等で行い、夜間乾燥させるようにした。しかし、朝までに乾かないことが多く、夜露に濡れた時には干した時よりも濡れていた。そんな時には、走行間洗濯物をキャリアバック等に結びつけ乾かした。大概は宿泊地到着までに乾燥していた。
この様に、ほぼ毎日入浴し、洗濯し、着替えることにより清潔な状態を維持した。

長期間の旅行で一番大事なのは健康を維持することだと思う。そして、意識して行動すれば、結構病気と怪我から身を守ることができる。
基本は無理をしないこと、寒ければ着る、熱ければ脱ぐ。雨が降れば雨具を着用し晴れれば脱ぐ。
腹が空けば食事を取り、のどが渇けば水分を取る。眠くなったら眠り、目が覚めたら起きる。
こんな本能に従う行動が、旅行間の健康を保つ秘訣であると思う。
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20:10 | 旅を終えて(パート2) | comments(2) | -
旅を終えて(5−4)
旅を終えて(その5―4)
「安全な走行のために」(その4)

○事故を避けるために取った対策・処置
計画、準備の段階についてはその項で記した。
此の項では走行間に気を付けた事項について記す。

目立つ服装で走ること
ウインドブレーカーは黄色、ヘルメットは白、シャツは白っぽい物をその日の天候に合わせ着用した。
また、ヘルメットには反射テープを前後に貼り付けた。

危険箇所を事前に承知
前日に走行経路を決定し、走行前、1/10万の地図で経路上のトンネル、立体交差、橋、峠道等を把握した。

道を間違わないために
最初の頃には何度か道を間違い、大変な思いをした。
走行中、休憩の都度地図を開き、何キロ先に経路変更箇所があるか確認し、サイクルメーターで距離を計測しながら走行した。
また、東北地方走行の時に気が付いたのだが、国道には国土交通省、建設省の名前が入った路側のポールがあり、県道には県名、市道には市の名称が付いているのが分かった。これを確認して走行することは経路を維持するために有効な策であった。

目、耳を働かしての走行
目視をしながら走るのは当然であるが、頻繁に後方を振り返りながら走行することは出来ない。そのため、耳から入る音で後方から来る車両の状況を確認していた。
排気ブレーキと、ディーゼルエンジンの音で大型車が近づいているのを察知することが出来た。

車道と歩道走行の切り替え
通常は車道を走行したが、路側のない車道(旧街道を国道にしたところで多い)では、後方から来る車両と対向車線の交通量を考慮して、歩道を走ったり、車道走ったり切り分けて走った。
後続車に渋滞が出来た場合は、道路脇に停車し追い越し易くした。

転倒しないこと
2年前の走行では、自転車走行の経験が浅く5回転倒をした。以前にも書いたがそれらは歩道、あるいは歩道と車道の間。
まず、自転車に対する処置であるが、日本一周をするような旅であれば少しサドルの高さを下げ、いざというときに足が着けられる高さにする必要がある。それと、日頃から停車する時にはサドルから降り両足をまたぐように立つ癖をつけること、よく、歩道の縁石に左足をかけサドルに跨ったままと言う姿を見るが、不安定で、転倒するようなことがあったら危険である。
歩道を走行しなければならない時には、人、自転車の混雑に合わせ咄嗟の対応が出来る速度で走った。道路が濡れている場合、鉄製の物、道路のペイント等は滑るとの認識に立ち、それらの上では急ハンドルは切らないようにした。
歩道から車道、車道から歩道に移る場合は速度を落とし出来る限り鋭角にハンドルを切った。
歩道が切れる場所では制動をかけ静かに段差を越えた。
一番注意をしたのは、路側の外側にある縁石で、これにペタルを引っかけたら大きな事故につながる可能性があるので、出来るだけ縁石から距離を取るようにしていた。しかし、路側幅の関係で近づいて走行しなければならない時には、速度を落とした。

走行前・中の点検・整備、事前にパーツの交換日々の点検・整備、約500km(此の距離が妥当かは分からないが)毎の給脂、雨天走行の後の念入りな手入れと給脂等走行の状況に合わせ整備をした。
ブレーキシューの予備を携行し早期に交換をした。タイヤも溝が浅くなった時点で交換し安全を期した。

トンネルの通過
トンネルにも色々な種類があり、自転車が走ることが出来る歩道のあるトンネルは問題ない。歩道がなくても路側に余裕があるトンネルも割合安全に走行できるが、路側の殆ど無いトンネル、勾配のあるトンネルは怖い。
トンネルを通過するときには、手前で一旦停車し、トンネルの状況を確認、サングラスをはずし、テールランプを点灯し、危険のあるトンネルでは日本一周プレートを表にし、後続車両に間隙が出来た頃を見計らいながらトンネルに入るようにした。そして、路側のないトンネルでは何とか後続車が追いつく前に通過できるようにペタルを漕いだ。
トンネル通過後は一旦停止し、態勢を取り直して走行をした。トンネルを出てから下り坂というのが多かった。

橋の通過
橋の通過もトンネルと似ている。歩道のあるところは問題がないが、路側のない橋は怖い。トンネルの場合は楕円形をしており、足下よりも肩口の壁が広くなっているが、橋の場合は、すぐ横は欄干で近づきすぎると欄干に接触して転倒する可能性がある。道幅のない橋は怖い。
歩道がなく路側のない橋では、手前で停止し、後続車の間隔が空いた頃を見計らって橋に入った。
そして、出来るだけ早く通過できる様にした。

立体交差点の通過
左折をする道路をまたぎ、上り坂を登る形になり、後続の車に当てられるのではと気になり怖い。
登り切ってところで、下りにはいるが、今度は左斜線が合流する形になり、左からくる車と接触するのではと気になる。
出来るだけ車の流れに乗り、後方を確認しつつ手で後続車両に合図を送りながら走る形となる。中々高度なテクニックが必要だ。我が輩の場合、事前に車の少ない場所で練習し感覚を養った。それでも、怖かった。

街の中で
車道を走る時には、頻繁に後方を確認し、出来るだけ車の流れに沿うように走った。左側車線に停車車両がある時は、後続車両に進路変更の合図を出し追い越した。これは、慣れることによりスムーズに走れるようになった。

雨の日の走行
スリップしないようにハンドル操作に気を付けて走行した。
一番危険なのは路側にたまった水たまりで、道路補修の時に出来た段差を隠していることがあることだ。一度転倒しそうになったことがある。
それと、水しぶきで後続車両に発見されづらくなることで、黄色ヤッケ等の目立つ服装をする必要がある。

大型車に追い越される時
大型車が危険なのは、前後輪の内角の差で、前方を塞ぐ形で追い越してくる車のあること、すぐ右を大型車に追い越される時には、進行方向を維持しつつ少し制動をかけ臨機の対応が出来るようにして走った。

今回の日本一周で我が輩の取った対策・処置を記したが、正かどうかは分からない。
ケースバイケースでその場所で一番安全と思える処置を取ることが大事だと思う。
そして、対策・処置に100%というものはない。後は運頼み、神頼みである。

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10:26 | 旅を終えて(パート2) | comments(0) | -
旅を終えて(番外編)その2
旅を終えて(番外編)その2
「事故誘発 自転車の96歳書類送検」から
 
2008年10月23日の某新聞朝刊にこんな見出しの記事があった。
ある県の国道で、交差点の赤信号を無視して横断していた自転車(96歳の老人)を避けようとしたトラックが民家に突っ込み運転手が死亡した。それに対し、警察は、危険な自転車の運転が事故を誘発したと判断し書類送検をしたという。
 
この記事に思いあたるところがある。自転車で日本一周をしていて、車道の真ん中付近をふらふらと運転する老人の自転車、電動機付き車椅子を車道に走らせる老人、車の通行を確認せずに車道を堂々と横断する老人等の姿を何度か見かけた。今まではどちらかと言うと、老人は弱者、歩行者は弱者、自転車は車に対して弱者として取り上げられる事が多かったと思うが、自分勝手な弱者と思われる自転車、老人でも善良なトラックの運転手を死に至らしめることがあると言うこと。

エコな乗り物として自転車が見直されはじめてきたが、自分勝手な人が乗り回すと周りに迷惑を与える。そして、車を乗る人達から迷惑な存在と思われ、自転車が世間から認知されなくなるのではと行く先に不安を持つ。

自転車も車も運転するのは人。他人に迷惑をかけない善良な自転車乗りでありたい。

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05:52 | 旅を終えて(パート2) | comments(0) | -
旅を終えて(番外編)
旅を終えて(番外編)
「車側から見る自転車」

昨日の日曜日、陽気に誘われ妻とともにドライブに行ってきた。
経路は札幌〜定山渓〜朝里峠〜小樽〜積丹半島往復〜小樽〜札幌。(北海道以外の人には地名が分からなくてごめんなさい)

以前から朝里峠はロードランナーで練習する人が多いと聞いていた。
我が輩も3年前に走ったことがあるが、今回ドライブをしてみて自転車で走っている人の多いことに驚いた。

この週末、自転車に乗る者の立場として「安全な走行のために」を記してきたが、車側から見ると結構邪魔な乗り物だと分かった。1台、2台なら良いが、度々自転車が現れると「気を付けろ」と言いたい気持ちになる。特に紅葉シーズンの日曜日となる車の切れ目が殆ど無く、追い越すのが大変だ。

こんな時自転車はどうするか?チョット答えの難しい質問だが、いずれにしても車を運転するのは人であり、相手の気持ちになって自転車に乗らねばと思う。

余市から小樽に向かうトンネルの中で、左側前方に白く点滅するものがあった。近づくとマウンテンバイクのライトだった。トンネルの中で右側を走っている!自殺行為に等しい。あわてて制動をかけ徐行ですれ違った。

自転車に乗る者は弱者だから何でも有りではない。ルールとマナー守り、更に身の安全を守るため最大の配慮をする必要があると思う。

「積丹の景色」







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06:08 | 旅を終えて(パート2) | comments(4) | -
旅を終えて(その5―3)
旅を終えて(その5―3)
「安全な走行のために」(その3)


○気象が自転車の走行に与える影響
走っている時、「雨に降られると大変でしょう」と言われる。しかし、そんな時、雨よりも風の方が大変と答えている。
走った時期が3月始のめから10月の始めであったのでミゾレのような雨は経験していない。その条件を加味しての答えである。

台風のような風は論外として(そんな日には走らない)、後ろから吹く風は神の恵みでペタルに足を置くだけで前に進んでくれる。当然一番辛いのは前方からの風。3月の中旬頃に東海から三河付近を走った時は終日強風に晒され参ってしまった。平地で10km程度、突風が来た時には5〜6kmの速度しか出なかった。
横風で怖かったのは雲仙の島原から長崎に向かう途中。この日は暴風雨警報が出ていたが、一日中降っている分けはないだろう、行けるところまで行けと走った。案の定、島原を出た途端に雨が降り出し、雨宿りをしながらの走行となった。左側から車道に向けて吹く横風が強く、もうこれ以上進むのは危険だと再度雨宿りし、早々に宿屋に入った。
後は、郡山から猪苗代へ抜けるし途中の中山トンネル。トンネル内でこんなに強風を受けたのは初めてだった。丁度トンネルの進行方向から風が吹き抜けていたからだと思うが、トンネルが風の通り道となり、前方に中々進まず、ふらつきながらの走行となった。幸い右側の歩道の幅が広く自転車を走らすことが出来たから良かったものの、左側の車道を走っていたら非常に危険だった。

雨だけではさほど自転車の走行に影響を与えない。しかし、雨降りは風を伴うことが多いので、そちらの方が危険である。島原から長崎に向かう途中も雨を伴っていたし、北海道の最南端白神岬で雨に降られた時は、それに合わせたように強風が吹き出し、しばらく動けなかった。
「雨の日の走行については」後の項で記す。

一番雨に当てられたのは、釧路から帯広へ向かう時で一日中雨降りだった。一時は目ガラスに水滴が付き前が見えない位の時もあった。その日の走行は約120kmであったが、帯広近くの豊頃付近から小降りとなり走り切れた。そして、長時間雨に当てられても大丈夫であるとの自信がついた。
雨で困るのは、その後の被服・装具の手入れである。更に言えば、気分が滅入ってしまうこと。朝起きて雨が降っていたら、それだけで憂鬱になってしまう。

雨対策の一番は衣類にお金をかける事だと思う。我が輩はゴアテックスのウインドブレーカー上下、下着は速乾性の物を着込んでおり、雨降りの中でも下着はそれ程濡れることがなかった。途中のコンビニで一緒になった大学生は薄っぺらいビニールカッパの下にピチピチの自転車用ウェアーだけ、ガタガタ震えながらカップラーメンをすすっていた。そして、早く家に帰りたいと言っていた。

○最大の脅威、車のドライバー
大型車が危険とは言えない。大型車のドライバーは長距離の走行をしているため技量は高い。また、応援してくれているドライバーも多い。それから、大型車が後方につくと排気ブレーキの「プシュー、プシュー」という音、ディーゼルエンジンの音が聞こえる。
路側のない幹線道路で、たった一台の自転車を追い越せないためにしばらく併走してくれた大型車あった。あおるようなドライバーは殆どいなかった。怖いとすれば、ギリギリをすりに抜けるように追い越す車のあること。これは、市内を走る路線バスに多い。多分、路線バスの走るレーンと自転車の走行する位置が同じで、運転手がイライラしているからだろうと思う。それでも、我の存在を知って追い越しているので、後続車の存在を知って走っていれば大丈夫。

一番怖いのは対向車線を追い越してくる車。視界の外からいきなり前方に車が飛び出してくる。自転車は路側を走っているのでそれにぶち当たることはないと思うが、何度ヒャッとしたことか。バイクは車道を走っているのでもっと怖いのではと思う。この車に対して避ける手段はない。

次に怖いのは明らかに運転技量の低いと思われるドライバー。こんな例があった。一車線の細い道路で右折のサインをする車があった。当然、左側から車はすり抜けることが出来ないと思われ、そのまま、路側を進んでいたら。いきなり軽自動車が我の前に割り込んできた。急ブレーキをかけて止まったが。考えられない。他に、道幅の広い道路なのにギリギリを追い越してくる車等。
車が怖いのではなくて、それを運転しているドライバーがどんな人間なのかが問題である。

あおるドライバー、明らかに嫌がらせと思われる走行をするドライバー。これらについてはあまり危険とは感じなかった。それらは、我の存在に気が付いていることと、程度の差こそあれ、ある程度の運転技量を持つドライバーであるから。そんな車が来た時には走行レーンを維持し速度を落とせば大丈夫。
  
そして、どうしようもないのが居眠り運転だろうと思う。これに対する対策はない。あるとすれば神に祈る事のみ。
  
それから、運転マナーの地域差もあることを察知する必要がある。
凡に北海道では道路が広いこともあり自転車であっても加速しながら追い越しをかけてくる。一般道路でも90kmはざらである。
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07:23 | 旅を終えて(パート2) | comments(2) | -