日本一周by自転車

定年退職を機に、「もっと日本のことを知りたい」との思いから日本一周に挑戦。
4,800kmを走ったところで事故にあい負傷。
一度、心に決めた目標は絶対に達成する!!
2年後、「北海道開拓の歴史をたどる旅」をテーマとして再チャレンジ!
2008年10月遂に日本一周を達成。
夢はまだ続く。
新しい目標は、自転車で旅をしながら郷土の歴史を調べる。
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | - | -
7月6日の出発は駄目になった
JUGEMテーマ:旅行


2008年7月2日(水)その2

夕方、日ごろ世話になっている小野自転車の店長から電話が入った。「部品を取り寄せなければならないので、整備の完成は来週の水曜日になる」であった。

今回の再挑戦に備え、この日曜日に、点検と不具合の整備をお願いするため同自転車店に愛車を持ち込んでいた。
そして、今日日中、点検・整備の状況を確認するため店を訪ねたが、細部にわたる点検を頂いており、金曜日には整備完了できるとのことであった。
仕方がない。6日出発で計画していた行動予定を、10日出発に変更して組み替えざるを得ない。

今日は、退職後の保険、年金の手続き。友人への退職と再チャレンジの報告。そして、氏自身が琴似屯田兵の子孫でもある北海道屯田倶楽部の会長宅を訪れ、旅の構想を説明するとともに、今回訪れる予定である上湧別、北見、根室、厚岸の屯田兵入植地におられる子孫の方の情報を収集してきた。また、同氏は会津藩の子孫の方で会津若松と琴似、北海道の交流の状況を聞くことができた。琴似から会津若松市へはライラックが、会津若松市からは、余市、函館、瀬棚、利尻島、そして、琴似へ杉の木が送られたそうである。


20:06 | 新たな挑戦に向けて | comments(2) | -
再挑戦に向けて
JUGEMテーマ:旅行


2008年7月2日(水)

昨日をもって遂に退職をした。

6月19日の日記に「有るのは、この際、3ヶ月かけて自転車旅行の続き、北海道、東北一周をやり日本一周を達成しようと心に決めているだけである」と書いたが、今日から頭を自転車日本一周に切り替えた。

妻もしぶしぶ了解をしてくれているみたいだ。(と、言うより何を言っても仕方がないと思っているのかもしれないが)、東京と八戸にいる息子達も「馬鹿な父親」と言いつつも、同じ男、老いかける父親の夢に声援を送っているものと勝手に解している。

再挑戦の目標(北海道、東北一周で目指すもの)
1 テーマ
幕末から明治維新にかけての北海道開拓の歴史、その北海道の歴史に関わる東北の地をたどる。

2 2006年に挑戦した時の「旅の目標」を達成
「2006年の旅の目標」
○その1:離島を除く日本の最南端、最北端、最東端、最西端に到達し、
日本を一周すること。○その2:6月25日に帰宅すること。○その3:それぞれの地に住む、多くの人達と知りあうこと。
○その4:美しい日本の写真を撮ること。
○その5:坂本龍馬ゆかりの地に努めて多く立ち寄ること。
○その6:身の安全を守ること、健康に気を付けること
○その7:旅の日記をつけ、ネット上に送ること

その2「6月25日に帰宅すること」、その5「坂本龍馬ゆかりの地に努めて多く立ち寄ること」については、3ヶ月間に、努めて多くの「旅のテーマ」にかかわる地を訪ねることに修正。

3 旅程の概要
   その1:函館〜松前〜江差〜寿都〜岩内〜小樽〜札幌
   その2:札幌〜道北、道東一周
   その3:山形県酒田をスタートし山形〜秋田〜青森〜岩手〜宮城〜福島〜・・・東京(皇居)をゴール
  
4 出発日:可能であれば7月6日にと考えている。

ここで問題
一昨年、再就職をした段階では、北海道開拓の歴史、それにかかわる東北の歴史を勉強しながら少しずつでも距離を伸ばそう。4〜5年かけて日本一周を成し遂げようと思っていたため、今から3ヶ月間で廻る場合、歴史に関する知識が不足しテーマの達成が難しいと思う。史跡を訪ねるという目標は、今後の歴史研究の布石としたい。

出発日まで後5日、退職後の処置をしつつ旅の準備を進める。

今日の最後に
2年前のチャレンジに引き続き、今回の再チャレンジに暗黙の理解をしてくれた、妻に、家族に感謝。

06:20 | 新たな挑戦に向けて | comments(1) | -
新年の抱負
○新年の抱負
薄ぼんやりと構想を描いてはいるものの、まだ、はっきりしたものになっていない。

当初の設定した「旅の目標」は生きている。

残された北海道は自分の住む島、東北は北海道の開拓の歴史に大きくかかわる地域

新しい年、平成19年は、平成18年の延長線上にある。

模索しつつも実行

新年おめでとうございます。
17:45 | 新たな挑戦に向けて | comments(0) | -
怪我の後この半年を振り返ってパート4
遠くにかすかな明かりが

元いた職場の仲間に、「チョット話しをさせてくれない?」と頼み込み、今まで2回ほど自転車旅行についての話しをさせてもらった。
自転車に乗れるようになった8月頃から、旅の記録を整理し始め、人前で話せるチョットした原稿も作った。この原稿の結末に述べる言葉は、やはり「再チャレンジ」である。その為には、自分自身が「再チャレンジ」の為に行動を起こしていなければならない。が、この時期、例の歴史散策を始めており、結構、意欲的に行動する様になり出していた。そして、「何かを」と、模索し出していた時期でもあった。  

講演の原稿は、ブログに書いていた記事をベースとして作ったのだけれど、あらためてブロクを眺めていくと、やはり、多くの人達から寄せられた書き込みに目がいってしまった。旅の途中、途中で、そして、怪我をして入院した時、本当に心温まる励ましを受けた。
病院では、鎖骨と肋骨を骨折しているので、ベットの上で背を伸ばしたり、横を向いたり出来ない。ベットを45度程度に起こした状態でなければ寝ることができず。うつらうつらした状態で夜中を過ごした。そんな時、携帯端末の電源を入れ、送られてきた多くの方からのメッセージを見ていた。涙がこみ上げて来る時もあった。これらの書き込みを見直し、あの時の事を思い起こし、前を向いて歩まねばと意を強くすることができた。
本当に有り難いと思う。知人、友人だけではない。見ず知らずの方からも多くの激励を頂いた。これらの言葉は、わが輩にとって貴重な財産である。

だけど、再度ブログを読んでいて大失敗に気が付いた。6月のはじめに、携帯電話機で送った画像と一眼レフで撮ったが画像を入れ替えたのだけど、その時、携帯電話機の画像に書き込みをして頂いたメッセージが、その画像を削除することにより消えてしまっていた。もう、どうしょうもないのだろう?

そして、講演
その殆どが自慢話でもあったが、まとめの部分で言った言葉を裏返してみれば、自分自身に言い聞かせている言葉でもある。
こんな講演が出来たのも、歩き、自転車で歴史散策をすることにより、新たなチャレンジの方向性が少し見えてきたことと、また、多くの方々と接することにより、自分がやってきたこと、やろうとしていることに自信を持てたからでもあると思う。

そして、この半年間にも、多くの人との交わりがあった。
歴史散策で初めて行った「エドウィン・ダン記念館」へは、この半年間に4回〜5回もおじゃました。
初めて行った時は、羽化した直後と直前の「オオムラサキ」というチョウチョが飼育ケースの中にいた。それをのぞき込んでいたら、ボランティアの女性が丁寧に説明をしてくれた。
そして、次に行った時には、そのオオムラサキのさなぎを持参し、写真を趣味とされている近所の方が来られていた。なんか変な縁かも知れないが、初対面の人であっても急に親しい関係を作ってしまった。
 
自転車に乗れるようになってから、屯田兵の史跡を見学し出した訳であるが、この資料室でも、ボランティアの方が丁寧に説明をしてくれた。自己紹介をし、その中で、最近、屯田兵に興味を持ち始め自転車で見学にきましたと話したところ、ボランティアの方「北海道屯田兵娯楽部」という会があり、屯田兵の子孫の方達を中心に活動をされている。ここに、年1回発行される機関誌があるので、どうぞ持って帰って下さい。また、「北の礎」という本を読まれると屯田兵の事が少し分かりますよ。と、親切に教えてくれた。

遠友夜学校の資料室がある札幌市勤労青少年ホームへ行った時も同じであった。

色んな所へ行き。色んな人と会い。行く先々での自己紹介の中で、北海道開拓の歴史に興味を持った理由等を述べ、自分の住んでいる南区の歴史を紹介するようにしている。そうすることにより、会話が生まれます。
今まで行ったところ、その感想、そうした会話の中から、さらに、共通の話題が生まれ、親しくお話ができるのかなと感じた。

こんな活動をしながら、
「意識し、行動すれば、何かが残る。人との出会いがある。」

遠方にかすかな明かりが
07:50 | 新たな挑戦に向けて | comments(2) | -
怪我の後この半年を振りかえってパート3
○リハビリを兼ねて歴史散策
怪我をしてから1ヶ月半、その間、仕事で歩き回っているが、それ程の距離ではない。そして、あくまで仕事、それでは気分は晴れない。
今、出来るのは歩くことだけ、肩の方も歩き回るのには問題ない。そんな訳で、散歩がいいのでは?どうせ散歩するなら何か目的を持ってと、本屋で「さっぽろ歴史散歩」と言う本を見つけてきた。
我が住む南区には何か歴史に残る場所はないか?
あった。「エドウィン・ダン記念館」

これが、6月26日から歩いて散策を始めるきっかけとなった。
その後、真駒内用水路、西岡公園の水源地、精進川、石山軟石採石場、藻岩山山麓など真駒内周辺の歴史的な場所を歩いて散策してきた。これは、自転車に乗れるようになる7月末まで続いた。

この散歩、水々しい新緑、澄み切った青空、地にあるすべてのものを包み込むような暖かい光線、爽やかなすんだ空気と、北海道にあっては最高の時期ということも重なり、週末のいい気分転換となった。そして、土・日が来るのが楽しみとなり、ウィークデーは週末に何処へ行こうかと考えるようになった。そして、地域の本も見るようになり、少し知識をつけた。
仲間に、「真駒内周辺にこんなところがあるのを知っている?」「えっ、知らないの。」「実は、俺も、つい今まで知らなかった。しかし、ここに住んでいるのだから、やはり、知っておくべきだと思うよな。」とか言って自慢話の材料になった。

7月22日晴れ、怪我から約2ヶ月半、右腕も少々動かせるようになり、今まで、物置に汚れたまま手入れをすることなく放置していた自転車、長男の部屋に置きっぱなしになっていたキャリアバック等の装具を玄関脇の洗い場に降ろし、ひん曲がったフロントキャリアをはずし、洗車と洗濯を行った。これで、やっと、物置と部屋の中がすっきりし、気持ちも少し前向きなものとなった。そして、試しに、自転車に乗ってみたが、右腕を伸ばすと、まだ、少し痛みがあり乗るのは無理なようであった。

それから1週間後の7月29日、自転車を車に積み込み、自転車の購入、メンテナンス、日本一周間電話でのサポート等で色々お世話になっている小野自転車へ点検・整備を受けるため自転車を搬入した。
店長へは帰宅後しばらくしてから、挨拶と帰札の報告だけはしていたが、車に乗れないものだから自転車の点検・整備を受ける事が出来なかった。
 これで、もうすぐ自転車に乗れるようになる。

8月5日、自転車の整備完了
自転車の点検・整備が終わりましたと連絡があり、午前中、車で受領に行った。整備はタイヤ、ブレーキシューの取り替え、ひん曲がったフロントキャリアの整形、後は点検と給油程度で済んだ。
我が愛車、新品の様に輝いていた。
怪我からほぼ復帰したこの時に思ったのは、フロントキャリアだけの損傷で良かった。もし、自転車本体が使い物にならなくなっていたら、もう自転車に乗れなくなっていたかも知れない。妻は絶対に新しい自転車を買ってはくれないだろう。

この日の夕方、怪我をしてから始めて自転車に乗った。
いきなり公道を走るのは危険かと思い、車に自転車を積み込み真駒内公園まで、そこで、自転車を組み立て、豊平川河川敷で走行練習をした。最初は慎重に、そして、転倒したら大変と前後・左右に気を配りペダルをこいだ。
昨年、自転車を乗り始めた頃、この河川敷で、まず、自転車に慣れ、それから、車の往来が少ない一般道路から徐々に交通量の多い道路へ、国道、トンネル、橋梁、峠越え、立体交差をする道路の通行等を段階的に練習したことを思いだした。

この自転車によるリハビリは、歩いて行っていた歴史散策の延長となり、まずは定山渓方面へ、その後、屯田兵に興味を持ち始めたものだから、札幌市内にある屯田兵が入植し駐屯した山鼻、琴似、新琴似、篠路の歴史跡を求めてサイクリングをした。
それらの歴史に触れることにより、更に開拓の歴史を知りたくなり、北海道開拓の歴史に関する書物を読み始めた。そして、即、現地に訪れ見学をすると言うスタイルでサイクリングを続けた。

そんな中、小野自転車を訪ねた時、店長から「ブログ見ていますよ。私も屯田兵の子孫なんですよ。」と。この付近は、琴似屯田兵が開拓した場所で、何か、北海道の開拓の歴史というものが、つい最近の出来事で、身近なもののように感じ、更に興味を持ち始めた。

ここからは歴史散策の話しではないが
自転車に乗れるのは、休める土・日、その土・日も仕事、他の用事等で自由に使えない時がある。また、北海道で自転車の乗れるシーズンは半年、11月中旬から自転車に乗れない。シーズンは、もう後少し、そんなこともあり千歳で会合があった時、雷電朝日温泉で古い山の仲間と泊まった時は、自転車を車に積み込み、牧場のある早来付近、そして、雷電へ行った時は羊蹄山麓を走ってきた。これは一石二鳥で、少ない自転車に乗る機会を上手く活用し、爽快な郊外でのサイクリングを楽しむ有効な方法でもある。

現在、鎖骨を折って肩の調子が悪いだけではなく、1年9ヶ月前に行った半月板の手術後の経過が思わしくない。この半月板の損傷は、好きなスキー、山登りが出来ないと言う理由から自転車旅行のきっかけを作ったものでもあるが。やはり、いずれは、スキーもしたい、山にも登りたい。そんなことから、少しづつでも山に登ろうと、70歳の高齢者でも簡単に登れる札幌近郊の八剣山、藻岩山、樽前山、風不死山を登ってきた。
最初は登り30分、最終的には、重い荷物を持たなければチョットした山に登れる様になった。大事にするだけではなく、徐々にでも負荷をかけた方が良いみたいである。(多分)

そして、遂に雪のシーズンになってしまった。
自転車に乗ることが出来ない。また、歩くしかない。
11月下旬から、また、歩いて市内を散策し出した。それは、大通り公園であったり、時計台であったり、道庁の赤レンガであったり、美術館であったり、資料館であったりと。今まで、何の気なしに、ただ通り過ぎて、注意も払わなかったが、意識して歩き、感心を持って建物の中に入ることにより色々な発見をすることが出来た。
その散歩も、歩道がアイスバーンになると・・・、部屋にある自転車漕ぎマシーンが活躍し出した。
18:26 | 新たな挑戦に向けて | comments(2) | -
怪我の後この半年を振り返ってパート2
○新しい仕事
元いた職場へ顔を出したのは退院後2週間ほど経ってからで、腕を三角巾で吊った状態を装い、間違っても「やぁ」と肩を叩かれないように気をつけ、元上司、元同僚等へ帰宅後の報告、お礼で顔を出した。仲間から「怪我は大丈夫か?」「ブログを見ていたよ。」「これからどうするのか?」とか、気にかけ、心配してもらった。
嬉しかった。
ブログに書き込みをしてくれた人は、ほんの数人であったが、わざわざ、ブログの日記を日々プリントアウトし、ファイルに綴じて皆で見れるようにしてくれた人もいた。
職場にいた時は、仕事上のことで議論もしたし、意のままに事が運ばず、いらいらが募ることもしばしば有ったが、この時ほど、仲間意識を感じたことがあったろうか? あらためて、元いた職場の人達に御礼を言いたい。

それから、気になり出したのは新しい仕事。6月下旬に入り、7月から入社予定の会社の支店長に挨拶伺いをした。入院していた新庄の病院から怪我の状況を連絡していたので、「びっくり」と言うことはなかったが、怪我、そして、治療の経過を報告した。    
その際、支店長から「早く出社して欲しい。6月中旬頃はどうか?」との指示を受ける。わが輩も、家で何もしないでいるのは、いい加減に嫌になって来たので「はい、お願いしますと返事をする。」

そして、初出社したのは6月16日。
この後が大変、ハンドルを握れないため車に乗れない。歩き、バス、電車で、営業活動をせざるを得ず。徐々に暑くなる中、スーツに身を包み、資料の入ったバックをぶら下げ、右腕が使えない状態で動き回るのはつらかった。汗を拭くのも大変で、バックをおろし、左手で顔やら首やらを拭く、そして、また左手にバックを持つ、そうしたら、また汗が出てくる。
それでも、社員の中に学生時代に自転車をやっていたと言う人が数人おり、自転車旅行に関心を示してくれる人がいたのは嬉しかった。そして、仕事の行く先々で自転車旅行をPR、関心を持った人、あまり関心を示さなかった人等色々有ったが、それでも、自分を知ってもらう良い材料になったことは確かであった。

そして、7月17日、遂に、車の運転が出来る様になり、行動範囲が広くなるとともに移動間はエアコンの入った車内、気分も少し晴れた。
08:31 | 新たな挑戦に向けて | comments(0) | -
怪我の後この半年を振り返ってパート1
怪我の後、今日までを振りかえって

今日から大晦日までの数日間、帰宅してから、この半年間のことについて記録に残す。

当時のブログに書いたが、5月8日、新庄から酒田へ向かう最上川沿いの国道47号線上で転倒事故を起こし、右鎖骨と右肋骨2本を骨折し、新庄の病院に入院、5月19日新庄の病院を退院、5月20日妻に付き添われ札幌の自宅に帰ってきた。
それから、約7ヶ月、療養、再就職、リハビリ、新たなチャレンジに向けての歴史散策等、早く現状から脱出しなければと、意図的に活動をした日々であったと思う。

○療養生活
新庄の病院でも、札幌の病院でも、骨がくっつき出すまで約3ヶ月かかると言われ、ほぼその通りだった。その3ヶ月間を含め、病院へは11月中旬まで通院した。
5ヶ月ほど経過した時点で、担当の医師から肩の上がりが悪いので調べてみると言われ、10月下旬にMRIを撮った。やはり、「肩盤が損傷している様です。直すには手術をする必要があります。約1ヶ月から6週間の入院が必要です。」と言われた。
今、入院出来る状況に無い。普段の生活にはさほど支障はない。ひょっとして症状が回復するかも知れないので取りあえず来春までこのまま様子を見ることに決める。

病院を退院し家に戻ってからの2週間程は、風呂に入っても自分で背中を洗えない。水平なベットでは胸が痛くて寝付けない。肘が上がらず思うようにパソコンのキーを打てない等、不自由な生活を強いられた。この間、妻に面倒を見てもらい奥様様々。
元気な時は週に1回は口喧嘩をしていたのに、体の動かない間は、妻の有り難たみがつくづく分かった。特に、妻が仕事で日中いない時は、何か物足りない寂しい時間を過ごさなければならなかった。
それらの憂鬱な気分を紛らわせるためもあり、「いやぁ、大丈夫だよ、大したこと無いから」、等と、電話で知人、友人に御礼の電話をするとともに、お世話になった方々への手紙を書いたりした。

家にいても特にこれと言ってやることもなく、旅の記録を整理するのにうってつけの時間があるのだが、パソコンのキーを長く打てないと言うこともあり、中々その気になれない。旅行中は、毎日疲れた中にあっても、マメに日記を書いてきたが、入院、そして、自宅療養で、完全に緊張の糸が切れてしまったのか?
それでも、6月に入ってから、写真の整理、携帯電話機で撮ったブログの写真を一眼レフの画像に取り替え、旅の途中、携帯端末が故障し携帯電話機で打ち込んだ記事の書き換え、行動の概要の整理、チョットした所見のブログ上への掲示等を行った。

まじめに整理をし出したのは、体がある程度動き、自転車にも乗れる様になった8月に入ってから。やはり、何か障害を抱えている時には前向きな気持ちに慣れないのかも知れない。実際、自転車で走り始めた頃から、何か次に向けての意欲の様なものが湧き上がってきた。そして、「絶対に再チャレンジをする。」「次にやる時には・・・しようかと思っている。・・・・まだ、何とも言えないけど。」、こんな話しを、意を同じくする仲間に話しをするようになった。

療養生活から全然関係のない内容になってしまったが
まじめにブログに日記をつけていて良かったとつくづく感じる。これがなったら、旅の整理は出来なかったろう。また、ブログの日記を読んでいて、ああ、あの時、あの場所で、会った人達の顔が思い浮かぶ。特に、写真に撮った人達の笑顔が、わが輩にとっては宝物である。欲を言うなら、更に、途中で出会い、話しを交わしたすべての人の写真を撮っておけば良かったと後悔もする。
この旅行は自分自身にとってかけがえのないものだったし、私と出会った人達にとってもインパクトの有る出来事では無かったかと思う。(自己満足かも?)
過去に色々と旅行をしたことがあるが、こんなに鮮明に記憶が残っているのは今回が初めてある。写真の中の人達と再会をしたいと思うが、名前も聞かなかった通りすがりの人達とは、2度と会うことが出来ないつらさを感ずる。まあ、それが旅の出会いでもある。
17:05 | 新たな挑戦に向けて | comments(0) | -
装備、自転車の手入れ
入院先の新庄の病院から帰宅以来、装備は長男の部屋に、自転車は物置に置きっぱなしで、早く手入れをして家の中を片づけなければと気になっていた。

今日は、朝早くからやろうと思っていたが、なかなか体が動いてくれない。妻から、「少しでもやったら?」との声で、ようやく起きあがり、装備の洗濯だけでもと始める。
そうしたら、段々その気になり、物置から自転車を出しきて、洗車と給脂。そして、「えぃ、やってしまえ」と車の洗車、ウインドブレーカーの洗濯までやってしまった。

なんや・・かんやと、やっていたら3時間半も経っていたが、今まで気になっていた物が片づきほっとした。

今夕は定山渓一泊で同期会
酒はあまり飲めないので・・、温泉に入るぞ!!

「装具の手入れ」


「自転車の手入れ」

フロントキャリアがひん曲がったくらいで、大した損傷はありませんでした。

それから、「チョット乗れるかな?」とサドルにまたがりましたが、まだ、ハンドルを握るのは無理のよう。

14:16 | 新たな挑戦に向けて | comments(1) | -
夢うつつの中で
この一週間の疲れから、昨晩は、「もう寝るわ〜」と2100頃に寝てしまった。
そしたら、夢の中で再チャレンジに向けてのテーマが閃き寝むれなくなってしまった。

こんなことは良くある。日中、いくら考えてもいい思考が浮かばないのに、夢の中で閃くことがある。しかし大概は、朝起きたときに「あれ、何だったかな?」と、なかなか思い出せず。そのままにしてしまう。

今回は、夢から急激に覚めてしまい、うつらうつらしながらベットの中で考えていた。
それは、旅の目標である「人との出会い。」があり、更に、「自分の住む島である北海道をもっと知る。」にふさわしいテーマになるような気がする。が?

具体化できないか、内緒のプランを練ってみよう。

当然、今度は夢の中ではなく。
06:46 | 新たな挑戦に向けて | comments(0) | -
今日から新入社員
当初は7月1日からの採用であったが、「早く出社してほしい。」との会社側の要望と、「もうこれ以上、家でじっとしていられない。」との我が希望から本日より出社した。
まだ、右腕は上がらないが、それ以外はいたって健康、そして、この1週間は、仕事に備えての体力回復と気分転換を兼ね、毎日1〜1.5時間程歩くようにしていた。

体の方は何とかなりそう。
問題は仕事の方で、今日は挨拶程度で終わったが、まるっきり今までと違う仕事、知識が皆無、やはり仕事をして給料を貰うのは大変だ。

再チャレンジについてであるが?
まだ、人生は長い。最近、70歳で日本縦断をしたと言う新聞記事もあった。
体力と気力さえ維持していれば何時でも出来る。
取りあえず仕事が軌道に乗り、ある程度の実績を上げるまでは仕事中心の生活にならざるを得ない。その間にリハビリと体力の回復、そして、怪我が完治したならば、余暇を活用した趣味としての自転車を始めるつもりでいる。

今、考えている再チャレンジのやり方は、ただ走るだけではなく、何かテーマを持った付加価値のあるものにしたい。
19:09 | 新たな挑戦に向けて | comments(6) | -