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屯田兵村を訪ねるたびパート2
2010.7.21「名刺が28枚たまった」
本日の行動:滝川兵村周辺走行。滝川屯田兵子孫の方と面談、美唄へ移動
宿泊地:美唄
明日の予定:美唄、光珠内、茶志内(いずれも美唄市内)屯田兵入植地を自転車で走行。札幌の自宅へ帰宅し旅を終了。
今日、滝川屯田兵子孫会の方と面談したのを最後に、これでアポを取った人との面談をすべて終えた。7月の旅でたまった名刺の数は28枚。6月分を含めると50枚以上に上っていると思う。営業マン並みである。
人と会うのはエネルギーの要ることで、こちらから申し出た面談でもあり気疲れもする。
今日も昨日同様、午前中4時間ほど兵村(滝川)を自転車で走り、13:00から滝川屯田兵子孫の方と面談をした。2時間半ほどの懇談であったが、親ほど年齢の離れた皆さんであり、終わったときにはグッタリときていた。
今日の行動は、昨日とほぼ同じである。午前中、事前に準備した経路に基づき滝川屯田兵入植地を行ったりきたりしながら走った。その走行距離は60km近く。
今まで何度も訪ね、通過した滝川であるが、滝川神社から北側の国道12号線に沿う一帯は高台になっており、JR函館本線より西側は低地となっていることを知った。
また、灌漑溝がいたる所を走り、屯田兵が入植した明治23年から120数年の歳月の間に多くの人力(その中には、囚人、たこ部屋労働者もいた)、巨費を投入し現在の一大稲作地帯を作ったのだろう。
当然、他の地域も同じである。士別から順次走行する中で、最近は、この土地はどうだったのだろうか?という事を考えながら走るようになった。
「空知川。この場場所に三浦屋旅館があった」

「石狩川。滝川はグライダーが盛ん」

「石狩川方向から兵村のあった方向を見る」

「大隊本部跡」
入植地の高低は、屯田兵の開拓にも影響をしたと思う。当初、台上は農耕用の水を得ることが難しく、やはり、馬、牛の飼育をする者が多く出たと子孫の方は言っていた。
滝川は稲作中心と考えるのは、灌漑溝が整備された後であって、それまでは、その場所、場所で違った農耕を行っていたと推測される。
歴史は色々な観点から検証しなければ事実はわからないのだろう。
滝川屯田兵子孫の方と面談を終え、その足で、美唄へ移動し図書館へ向かった。
昨日教育委員会で挨拶を交わした時、22日午前中、あらためて訪問し、記念碑等の場所を調べに来ますと言ったのだが、資料は図書館の郷土史資料室にあるはずで、今日中に調べてしまえと考えた。
それら今日の活動を終え、今(18:30)、今日の行動を整理中。
後は、飯・温泉。
明日は、この旅、最後の日である。いい日であることを祈って。
屯田兵村を訪ねるたびパート2
2010.7.20「旅は終わりに近づいた」
本日の行動:江部乙兵村周辺走行。江部乙屯田兵子孫会会長、美唄屯田兵子孫会会長と面談
宿泊地:滝川
明日の予定:滝川兵村周辺走行。滝川屯田兵子孫会長と面談
6月、7月の約40日間にわたって続けてきた屯田兵入植地を訪ねる旅もあと数日で終わる。美唄を最後に札幌の自宅へもどる予定である。
車に自転車を積み込み、各屯田兵入植地の市町村までは車で移動、郷土史を研究する方等に面談を求め、得た資料から各屯田兵入植地及び関係の箇所を自転車で走行する。
いたって合理的な計画と思い立案し行動に移したが、かなり無理があり変更も多々あった。それでも、総括すれば十分に成果があったと思う。
後日成果を纏めるが、一番の成果は、同じ思いを持つ多くの人と出会えたことだと思う。
これは、今後の研究にはなくてはならない貴重な財産になった。
また、現場をくまなく歩く(いや走るといったほうが正解か?)ことにより、地域の特性(気象・地形、人、町・農村の状況、地方の抱える問題の一端など等)を脳裏に納めることができた。実際に現場を訪ねた者だけが持てる貴重な財産である。
今日の天気予報は曇りのち晴れで、雨はない。朝はどんよりした曇り空であったが、7時〜11時までの4時間、江部乙屯田兵入植地を東から西に、西から東にと楔形に走行してきた。走行距離は約50km。
その結果、屯田兵入植地以外も含め江部乙の景況を目に焼き付けることができた。

「屯田兵家族の像」

「滝川屯田兵屋」

「石狩川沿いは美田が広がる」

「いたる所に沼がある」

「丸加高原」
その後、江部乙支所で江部乙屯田兵子孫会会長さんと面談したが、「どこ何処に何がある」という内容まで話をあわせることができた。実際に自転車で走り、自分の目で見た成果は大きい。
面談の後は、資料を見ながら走行して発見できなかった碑の位置を案内していただき、今後の協力をお願いし別れた。
15:00からは、今度は美唄市役所で、美唄屯田兵子孫会会長、幹事長と面談し、美唄の話を聞く。美唄は炭鉱の町として栄えた歴史があり、活動は難しいと話された。
屯田兵が作り上げたといってもいい町村と、そうでない町村では自治体、地域住民の捉え方が違うようである。
帰り際、教育委員会に案内し、関係者を紹介をしてもらった。
今日の成果は大。
屯田兵村を訪ねるたびパート2
2010.7.19「滝川までもどる」
本日の行動:茅沼〜滝川へ移動
宿泊地:江部乙
明日の予定:江部乙兵村周辺走行。江部乙屯田兵子孫会会長、美唄屯田兵子孫会会長と面談
今日は一日雨が降ったり止んだりの天気。
昨晩は、カヌーで釧路川下りをした後、シラルトロ湖の湖畔上にある茅沼温泉に浸かり、夕食をとったら眠くなってしまい。そのまま、駐車場に泊まってしまった。
今日は自転車に乗りたい。
6時前に茅沼を出発し、釧路〜白糠〜本別〜道東道をトマム〜富良野〜滝川まで移動した。滝川の江部乙に到着したのは13時前。
早く到着し2〜3時間くらい江部乙〜滝川周辺を自転車で走ろうと思ったが、あいにくの天気で走れず。ここ数日間の整理と明日・明後日の行動を考える。
ちょっと滝川、江部乙屯田兵のことを。
その前に。
江部乙は滝川市の一部で、場所は滝川の中心から北に10kmの所にある。平地は稲作が主体で、東側の丘陵は畑作と果樹園中心、一部酪農をする農家もある。春は菜の花、秋はコスモスで有名な丸加高原がある。
滝川は道北、道東へ向かう交通の要衝であり、商工業の盛んな地である。
滝川屯田兵の入植は、明治23年、この地に中央道路(現在の国道12号線)が延伸されたのと併せて行われた。その兵屋等屯田兵の施設を建設したのは樺戸集治監の囚人たちである。江部乙屯田兵の入植は、その4年後明治27年に行われた。
滝川屯田兵と江部乙屯田兵の違いは、滝川は士族、江部乙は一般平民であることにある。
因みに同じ地域に士族屯田、平民屯田が混在するのは滝川だけである。
滝川屯田には奈良県出身者が92戸いる。十津川移民者である。
奈良県で発生した水害の被災者救済を兼ね、明治22年、十津川住民をトック地区(現在の新十津川)に移住させた。滝川屯田兵入植の半年前で、この新十津川移民の中から志願するものを屯田兵として採用した。
開拓という観点からみると、農耕経験のある平民屯田の江部乙屯田の成果は大きかった。
その後、滝川兵村のあった地域は滝川市街の中心になり、江部乙は現在も農業中心である。
自分の住む地の歴史を調べてみると面白い。
今日は一枚も写真を撮らなかった。
屯田兵村を訪ねるたびパート2
2010.7.18「山小屋らんぷの家30周年」
本日の行動:らんぷの家30周年行事参加、カヌーで釧路川を下る
宿泊地:大楽毛
明日の予定:滝川へ移動
昨晩泊まったランプの小屋には東京から2人、札幌から我輩を含め2人、その他、釧路、地元太田の人など13数名が小屋に集まった。
ランプの小屋は、その名前のとおり、文明の利器は一切なし。山小屋生活がしたいとの思いから厚岸屯田兵の入植地、太田村の豊受神社敷地内に小屋を建てた。月に一回、テーマを決めて語らいの会を開き、平成20年現在で200回を数えたという。
平成17年にはNPO法人「屯田の杜野外学校」として新たなスタートを切った。
設立の趣旨を紹介すると
「釧路根室地方には全国に誇る素晴らしい大自然がある。この大いなる根釧原野をスタート地点として、日本人の原点とも言える教育活動を展開していきたい。・・・・・あなたの経験や技術を伝えていただき、たくましい子どもを一緒に育てていきませんか」と書かれている。

「山小屋ランプの家」

「杜の学校」
集まりたいから集まる。語り合いたいから集まる。飲みたいから集まる。実にフランクな居心地のいい集まりである。昨晩は12時くらいまで飲んで語り合った。その中で、30年前はなにをしていたかというテーマでそれぞれ発表した。
今日は、この会発足30周年記念としてバーベキューパーティーがあった。老若男女100人ほどが集まった。
余興として屯田兵の寸劇があり、皆さん即席の芸を披露し楽しい笑いを誘っていた。こんな会を通じて地域の人達のコミュニケーションを図ることはいいことだと思う。集まった人は釧路、厚岸、太田の人などまちまちである。子供さんも多数含まれていた。
「仮想したスタッフ」
会も終わりの時間に近づいた。明日の夕方までに滝川に到着すればいい。
昨晩語り合った内の一人に、カヌーをやっている人がおり、会が終わったら釧路川の川くだりをやろうと誘われた。
以前から乗りたいなと思っていたが、それほど強くやろうとは思っていなかった。
塘路から2時間くらいの行程なので、チョッと体験しないかといわれた。
そして、川くだりとなった。
乗る前に若干の注意事項を示され、いざ漕ぎ出したが、釧路川は水の流れも緩やかで、ところどころ渦を巻く場所や沈木があったりするが、ベテランの乗り手が後方より指示を出してくれるので安心して漕ぐことができた。
「カヌーから見る釧路川支流の流れ」
屯田兵村を訪ねるたびパート2
2010.7.17「厚岸に向けて」
本日の行動:深川から厚岸へ移動。途中、幌加温泉に温泉に浸かる。
宿泊地:大田村「ランプの小屋」
明日の予定:屯田の杜野外学校、帯広付近まで移動
昨晩は一巳屯田兵子孫会と地域の人達が集まるビール会に参加してきた。
場所は、某住宅メーカーが寄贈をしたという一巳屯田会館3階で、この会は、二年に一回開かれ今回は7回目という。
寝床兼用の車は、近くにある大国神社脇の駐車場に置いたので、おいしくビールをいただくことができ、参加者と親しく話ができた。
ことの発端は、当地の屯田会長に電話で訪問の趣旨を伝えたのがきっかけで、丁度このような会があるから参加しないかといわれ、7月9日の「拓魂祭」にも誘われた。地域の人達と接するのが旅の目的でもあり喜んで参加をさせてもらった。
集まった人は、その多くが農家の方、あるいは農家とかかわりのある方で、皆さん日焼けされ、その年齢を感じさせない元気な方が殆どであった。
9日の会に事務方として参加されていた教育委員会の方も出席されており、地域の人達と教育現場の人とを結びつける上でもいい試みであると思う。また、屯田兵子孫だけではなく、誰でも参加OKの形態は今後に続く会であると感じた。
今日は、大きく経路を外れ、厚岸の大田村(屯田兵が入植した場所)へ向けて移動した。
実は、6月の旅で太田村へ行った時、大田村の豊受神社の敷地に「ランプの小屋」なるものがあり、色々な体験型の活動をやっているという話を聞き、当会理事長にお話を伺った。その時、今回の行事に誘われていた。
本来は、滝川の関係者と接触をしたいのであるが、17日からの3連休で中々難しい。
であれば、厚岸まで行こうと昨日決心をした。
深川から約400kmあり、老体には一寸きつい距離。
朝7時頃に出発。旭川〜層雲峡〜大雪湖〜三国峠〜糠平〜本別〜白糠〜釧路〜厚岸の経路を取った。
理由は、若い頃に上った裏大雪の山々を見たいのと、そこにある温泉に浸かりたいから。
出発して旭川付近までは、空全体が雲に覆われていたが、層雲峡を過ぎたあたりから青空が見え始め、三国峠に来たときにはニペソツ岳が雲の合間に望めた。折角なので雲があけるのを待つかと30分ほど車の中で休憩をしていたら、頂上の雲が開け、懐かしい姿が見え出した。この山は7合目位から見ると尖塔が幾重にも重なったような形をしており、憧れの山である。
「ニペソツ岳」

「三国峠を越えた地点から東大雪をバックに」
その後は、幌加温泉に浸かり、さっぱりとした気分になる。
この温泉は、ひなびた温泉で20年以上前に入ったことがあり、今回ぜひ入りたいと思った。内風呂の湯船は昔と変わっていなかったが、壁板は見栄えのいいものに変わっていた。以前の露天風呂はミズゴケが一杯こびりついており、入るのをためらったが、今回はきれいに手入れがされていた。ただ、アブの執拗な攻撃には参った。

「幌加温泉」

「幌加温泉の露天風呂」
もうすぐ厚岸に到着する。
ランプの小屋での語らいが楽しみである。屯田兵村を訪ねるたびパート2
2010.7.16「滝川の郷土史研究家と」
本日の行動:滝川の郷土史研究家と面談、深川に戻り一巳子孫会の集まりに参加
宿泊地:大国神社駐車場
明日の予定:厚岸へ移動?
昨日、今日と、朝の空は低い雲が立ち込めている。
「石狩川の影響だろうか?」そんな会話を隣の住人と話した。
その人、キャンピング仕様のワンボックスカーで旅をする、というよりも旅を楽しむ札幌在住のご夫婦。定年後どうするかということで、600万円位いかけてこの車を購入したという。内部を見せてもらったが、快適極まりない。生活に必要なものが殆どついている。電源はソーラーパネルから取れるようになっている。
ゆったりした旅を夫婦楽しむ。この600万円が高いか安いか?
道の駅には色々な人が寝泊りし、旅をしている。
当麻では、日本100名山の登山を終え北海道100名山にトライしているという東京からこられた方と話をした。狭い乗用車を寝床にしているが、その内部は、よくここまで考えたものだと思える位に工夫を凝らしていた。
夏は北海道を、冬は沖縄等南の島で過ごし、年間の半分以上を旅しているという人がかなりいるようで、それらの人達の間ではちょっとしたコミュニティーがあるみたいだ。北海道の人よりも北海道を知っている。
道の駅を作った時、これほど多くの人達(殆どが年金生活者でお金をかけないで旅行する)が寝泊りに活用すると予想をしたことだろうか?特に旭川の道の駅はそんな車であふれていた。
まだ、シーズンではないのかもしれないが、バイク、自転車で旅をする人達のテントを余り見かけない。こんな道の駅には泊まりづらいのかもしれない?
今日は、10:00に「滝川美術自然館」待ち合わせで、滝川で郷土史を研究されている方と面談をした。屯田兵を含む滝川の歴史、さらには、氏の出身地である山形県の話しや、山形出身者の話し等、楽しい歴史談義をすることができた。そのあと、屯田兵関係の碑がある場所を案内すると、車を先導してくださった。

「滝川美術自然館」
結構な時間になってしまった。当初の予定では、2〜3時間かけて滝川屯田兵入植地をまわろうと思っていたが、残された時間が少なくなってしまい、滝川郷土資料館を見学し、夕方、一巳屯田兵の懇親会のある深川へ戻った。

「滝川郷土資料館」
屯田兵村を訪ねるたびパート2
2010.7.15「美田を走る」
本日の行動:大国神社訪問、一巳屯田資料館、深川郷土資料館見学、一巳〜納内を走る。
宿泊地:秩父別
明日の予定:滝川兵村を訪問、夕、一巳屯田兵子孫会の集まりに出席
腕、脚がかなり焼けた。顔はまだ見ていないが同じだろう?
今日一番の目標は、兵村があった深川市の中心から郊外を走ること。天気も味方し楽しく走れた。
朝、動き出した時は、まだ、一面の曇り空であったが、大国神社(深川市)を参拝し、宮司さんと面談を終えた09:30頃から青空が多くなりだした。
その後、一巳屯田資料館。そして、深川市文化センター内郷土資料室の見学を終えた時にはほぼ快晴になっていた。
文化センターには教育委員会があり、7月9日「拓墾祭」でお世話になった担当の職員に挨拶をしてきた。

「大国神社」

「一巳屯田兵資料館、見たことある家?」
(ある住宅メーカーのオーナーからの寄贈された建物)

「深川市文化センター奥にある屯田兵屋」
(屋根の吹き替え中)
後は、一巳(深川市の中心部)から東側の納内へ向け田園風景を見ながら走るだけ。
自転車で走ると、前方ばかりか左右の景色も見渡すことができる。気に入った場所、何か興味をそそるものがあると、即停車し、カシャッとカメラのシャッタを切る。
そんな走行を2時間半ばかりしてきた。

「一巳屯田兵村の遠景」

「納内屯田兵村の遠景」
車の置いてある秩父別に戻る途中、大国神社の宮司さんから聞いていた、地元の郷土史研究家の家を訪ね挨拶をしてきた。
アポなしであったので、いきなり何をしに来たのかという表情であったが、事情を説明したら納得をしていただいた。
この方は、農村に住まわれる方で、3棟の建物の中に自ら収集した歴史資料を保管されている。
資料室の見学はお願いしなかったが、今後、必要な時には宜しくお願いしますと言う事で玄関先での挨拶を終えた。
屯田兵村を訪ねるたびパート2
2010.7.14「中だるみかな?」
本日の行動:秩父別郷土資料館見学、秩父別兵村の史跡を訪ねる
宿泊地:妹背牛
明日の予定:一巳を走る
朝一番で旭川から深川の西隣にある秩父別へ移動する。まずは、資料館の開館の時間を見計らい、館の管理をしている秩父別スポーツセンターに顔を出し、説明を受けるとともに資料を頂く。
資料館の入り口近くに「屯田の鐘」という鐘が展示してあった。
秩父別町は「鐘のなる町」と呼ばれているという。そのキャッチフレーズは、屯田兵に時間を知らすために鳴らした鐘の音色にちなんで取ったと言う。

「屯田の鐘」

「鐘のなるまち」
その後、頂いた資料に基づき史跡めぐりをしようと思うが、今一気合が入らない。
11:00、「ちっぷべつ道の駅」にある食堂で早めの昼食を取り、女将さんと雑談をしていたら少しずつ意欲が出てきた。
この機を逃したらと、走り始める。
秩父別市街の内外に散らばる史跡、中隊本部、練兵場、射的場、井戸、墓跡等を廻り終えた時は14:30頃であった。
まだ時間がある。深川へ行くか?と思案していたらローズガーデンの標識があった。この際、ゆっくり花でも見て気分転換をしようということになり、左折しガーデンに向かう。
それほど規模の大きいガーデンではなかったが、前方に広がる秩父別の田園地帯の眺めは格別で、目線を下げ、遠方を透かすよう花を見たら赤、ピンク、黄、白の花が遠方の緑に映えて美しかった。

「ローズガーデン」

「秩父別兵村の眺め」
そんな訳で、今日は余り活動をしなかった
屯田兵村を訪ねるたびパート2
2010.7.13「気持よく旭川の地を走る」
本日の行動:当麻子孫の方と面談、旭川を走る。
宿泊地:神楽岡公園
明日の予定:深川、秩父別の地を走る
段々よくなる今日の天気、行動は自転車に決めた。
出発前、神楽岡公園の敷地内にある上川神社に朝の散歩がてらに行く。
神楽岡は、初代北海道長官岩村道俊、2代目長官永山武四郎がこの地に北京を置こうとした地で「上川離宮予定地の碑」がある。
もし、上川の地に離宮ができていたら北海道はどのようになっていただろうか?

「上川離宮予定の地」
09:00に当麻郷土資料館(旧当麻町役場)で屯田兵子孫の方と面談をする予約を入れており、1時間前の08:00前に神楽岡を出発する。距離は20km弱。1時間もあれば十分間に合う距離である。
途中、永山武四郎の碑がある常盤公園に立ち寄り、当麻を目指す。
国道39号線を走ったが、街の中で信号待ちに時間を取られ、段々予定の時間がせまってきた。こちらからお願いをした面談である。途中から必死でペタルを漕いだ。
到着したのは6分オーバー。噴出すような汗がお詫びの言葉を助けた。
対応していただいたのは、資料館でボランティア活動をしている子孫の方で、当麻屯田兵の特色などについて説明してもらった。
こちらからは、今まで他の兵村を廻った時に感じたこと、他の資料館の展示状況について補足した。
見学を含め2時間半近くもいた。本来であれば今日は休館日であるのにご足労を願った。
資料館の展示品に同じものが多くあり疑問に思ったが、提供者が展示を求めるために片付けることができないと話された。ボランティアで行う運営ではこのような状態にならざるを得ないのだろう。
資料館を出てからは、子孫の方から聞いた「水田発祥の地」、旧当麻神社跡にある碑の写真を撮り、永山兵村の農村部を経由し市街地に入る。
「水田発祥の地」

「大雪の山並みを背に当麻の水田」
その後、軍都旭川を象徴する「旭橋」。この橋は旧第七師団が出征、凱旋するときに通った橋で、ボルトナットがむき出しになったアーチ橋、今だに頑強な姿をとどめている。

「旭橋」
段々よくなる今日の天気。最後にサンタプレゼントパークお詫びを入れたが、スキー場まで登ってくる。
この山に登れば、この3日間走り回った上川の地が一望できるだろうと、最後の一頑張りをする。中腹まで上れば展望が利くだろうと思っていたが、ついつい頂上近くまで登ることになった。
「サンタプレゼントパークスキー場から見る上川の地」